後編
夏の始まりに奥村蒼汰が言った、絞り出すような気持ち。
『もう少し好きでいていい?』
そんな切ない言葉聞きたくなかった。
私はただただ奥村くんの側にいたかった。
ただ…このまま限りある時間が永遠になればいいと思っていた。
*******
図書館で奥村蒼汰に会ったのを最後に、そのまま夏休みも中盤を迎えてしまった。
あれから…。
何度も私から連絡しているものの、いつまで経ってもメッセージは読まれず、発信しても出てくれる事は無かった。
もしかしたら、携帯さえ開いてないのかもしれない。
それって…。
携帯さえ開けないほど具合が悪化してるのかなとか…。
もしかしたら、もう家にはいなくてどこかの病室にいるのかな?とか…。
考えないようにしても頭に浮かぶのは、最悪の事ばかりで…。
奥村くんに逢いたい。
奥村くんの顔が見たい。
既に陽は西に傾きつつあるものの、まだまだ明るい。
こうやって部屋で考えいるだけの時間が勿体無いと分かっていても何もする事のできない自分がイヤになる。
図書館にも何度か足を運ばせたものの、奥村蒼汰に会えた事は一度も無かった。
ひょっとしたら、また奥村くんが挿し絵の無い本の余白に絵を描いているかもしれない。
その絵が私に気付かれるのを待っているかもしれない。
そう思って何冊も何冊も借りてみたけど、奥村くんの絵は一冊も無かった。
そう、一冊も無かったのだ。
今まで描かれていた絵もキレイに消されていた。
それが私の心に更なる不安を落した。
私が奥村くんの『想い』に気付いた図書館。
奥村くんと会わせてくれた図書館。
今日も行ってみよう。
ベッドから起き上がり、用意を始めると、LINEの着信音が鳴る。
奥村くんからだ!
『今日花火大会行こう』
たったそれだけの文が奥村蒼汰らしくて
、たったそれだけの文なのに嬉しかった。
花火大会…?
確かに、今日近所で割りと大きな花火大会が行われる。
奥村くんと花火大会?
想像ができない。
考えてる場合じゃない!
急いで用意しなくちゃ。
浴衣、浴衣さがさないと。髪の毛も何とかしなくちゃ。
*********
花火大会の会場は当然の事ながら、たくさんの人に覆いつくされていた。
この中から奥村蒼汰を探すのは厳しいな。
と言うか、奥村蒼汰は本当にここに来れるのかな?
体調大丈夫なのかな?
路駐している車のフロントガラスに自分の姿が写った。
久々に袖を通した水色の浴衣に、自分なりに頑張ったまとめ髪。
まぁまぁ、様になってるかな?
私だけが写っていたフロントガラスに狐のお面を被った人影が写りこむ。
お面を被っているから顔は分からないけど、私には誰か分かる。
私が振り向くのをその人物はただ静かに待っていた。
「奥村くん、どうしたの?そのお面?」
「そこの露店で売ってたから買ってみた、ばれちゃったか、つまんない」
そう言いながらも、お面を外す気は無いようだった。
「外さないの?」
「今日はこのままでいたい、行こう」
差し出された奥村くんの手に迷いながら触れると、すぐにぎゅっと握り返してくれるから、胸の鼓動が速くなる。
「浴衣似合ってるよ」
「え…?」
「可愛いよ」
聞こえるか聞こえないぐらいの声だったけど、私の心にはっきりと届き、ポッと頬が熱くなった。
出店でたこ焼とリンゴ飴と綿菓子を買って、花火の見やすい芝生に移動して座った。
ようやく狐のお面を外した奥村くんは前よりも一層小さくなった顔で、私を見て微かに笑った。
聞きたい事たくさんあったのに、こうして一緒に同じ時間を過ごしていると、そんな事聞くよりもただ今こうしてる瞬間が愛しくて、ただこうして目を合わせる事が、ただこうして手を合わせる事が今は大切だと思えた。
空に打ち上げられた大きな花火は一瞬の美しさを私達の瞳に焼き付けて儚く散って行く。
「花火見てると、今年の夏も終わりだなって思うよね」
不意に奥村くんがそんな事を言うから、慌てて彼の方を見ると、花火を映しているはずの彼の瞳が淀んでいた。
それを見て言い様の無い不安を感じる。
「奥村くん…?」
この日一番の大きい花火が鮮やかに空に上がった瞬間、奥村くんが言った。
「ボク二学期から違う学校に行く事にしたんだ。だから、もうキミとは会えない」
「え…?」
もうキミとは会えない。
その言葉だけが頭の中で何度も繰り返される。
「学校違っても会えるよ!」
「…ごめん」
奥村くんは私の手を放し立ち上り、頭の後ろに下げていた狐のお面を再び被り、深々と頭を下げた。
「もうキミとは会えない」
お面のせいで表情は見えないけど、震える声が彼の気持ちを教えてくれる。
何か言わなくちゃ、今言わなくちゃなのに。
何も言葉が出てこない。
最後の花火が打ち上り、帰り支度を始める人の群れが私達を離していく。
「奥村くん!待って!行かないで!」
私の声は人混みにさらわれ、ふわふわと宙をさまよったまま消えていった。
*********
「陽菜、今日駅前に新しくできたカフェ寄って行こうー」
まだ見慣れない新しい制服に包まれた教室で帰り支度を始めていると、同じ中学出身の由佳に肩を叩かれた。
「ごめん、今日バイト…」
「えええー、もうバイトしてるの?」
「うん、って言ってもタダ働きだけど…」
「何それ?」
「よく行く図書館のおばさんが腰痛めちゃって、治るまで手伝い頼まれたの」
「へぇ」
彼女は胸元の紺色のリボンを結び直して言った。
あれから、数年過ぎた。
奥村蒼汰はあの言葉通り、二学期にはクラスにいなかった。
元々存在感の無かった彼の存在が無くなった所でクラスには何の影響も無かったけど、私には耐え難い哀しみだった。
担任はただ奥村蒼汰が田舎に転校したとした言わなかった。
もちろん、何の連絡も無い。
携帯も解約したみたいでこちらからも何の連絡もできない。
彼は元気なのだろうか?
今どうしているのだろう?
奥村蒼汰と離れて時間が経てばこの哀しみも癒えると思っていたが、時間が経つ程に、どうしてあの時奥村蒼汰の手を離してしまったのだろう?
どうしてもっと言葉を交わさなかったのだろう?
とか後悔ばかり溢れてきて、一向に彼の事忘れられない。
…私は今でも奥村蒼汰が大好きだった。
学校から帰ってきて着替えて、通い慣れた図書館までの道を歩く。
桜の木から桜の花弁が舞い落ちてくる。
今年は桜の開花が遅かったせいもあり、始業式を迎えた今もどうにか花が残っていた。
でも…。もうすぐこの桜も散ってしまう。
初めて奥村蒼汰と言葉を交わした時の事を思い出してしまう。
『明日には散ってしまうかもしれないのに今この一瞬を堂々と咲き誇る桜が好きだ』
と言っていた奥村蒼汰。
あの深い藍色の瞳は今もこの桜を映しているのだろうか?
新刊の整理をしていると、一冊、私の好きな作家の作品があった。
彼女の紡ぐ愛の言葉が好きで、一時よく読んでいた。
そう、奥村蒼汰もこの作家の本の余白によく絵を描いてたなー。
何の挿し絵も無い小説の余白に鉛筆で描かれていた優しい絵。
あの絵を見た時から、私は奥村蒼汰に恋してたんだ。
いつしか私は奥村蒼汰の描いた絵に逢いたくて本を探していた。
パラパラとその新刊を捲っていると…。
え?これ…。
私の手はあるページで止まった。
これ新刊だよね…?
今日この図書館に入ってきたばかりの本だよね?
それなのに…。
身体中に鳥肌が立つ。
絵が私に話し掛ける。
『気付いてくれてありがとう』
「すみません、ちょっと外出てきます!」
受付の人に一言声を掛けて私は外に駆け出した。
東屋を背に胸元に紺色のリボンが着いた制服を着た女の子が散り行く桜を見上げている絵が本の余白に描かれていたのだ。
あれはきっと私だ。
そしてあの場所は…。
図書館を出てすぐの公園まで私は走った。
ここの公園の東屋で私は奥村くんとキスをした…。
あの時は夏だったから桜の花は無かったけど、今は満開の桜の木の下に、彼はいた。
風が吹き、花弁が舞い落ちる。
茫漠としたピンク色の中私は彼のもとに駆け寄った。