中編
図書館で借りた挿し絵の無い本の余白のページに、鉛筆で描かれている絵が気になっていた。
まるで私に発見されるのを待っていたかのように、私に見付けられて嬉しいと言うようにそこに描いてある絵。
思えば初めてその絵を見た時から、私はこの絵を描いた人に惹かれていたのかもしれない。
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彼からコクられたのは、もうすぐ夏に入る筈なのに急に涼しくなったりと中途半端の季節での事だった。
帰り道での急な告白。
自分の気持ちだけを強引に伝えてきて、『悪い返事ならいらないよ、付き合ってくれる?』と言う勝手な告白を受けてから、一ヶ月以上経つけど、彼はまたあれから一度も学校に来ていない。
あの後、一度も連絡は来ない。
何か私からするのもなー、何て言っていいか分からないし。
やっぱり、あの告白も冗談だったのかな?って思える。
きっとからかわれていただけなのだろう。
そう思うようになっていた。
それでも、彼に逢いたいと言う気持ちは日増しに強くなった。
美術の授業中に彼が描いてくれた私の自画像は勉強机に置いてある。
自分から見てもこんなキレイな笑顔が自分だとは思えない。
人から…、いや、彼はこんな風に私を見ていてくれている。
それは恥ずかしい事だけど、素直に嬉しかった。
世の中にこんな風に自分を見てくれる人がいる。
自分に自信が持てた。
彼から連絡が来たのはそんな中での事だった。
『今すぐ図書館に来て』
顔文字も絵文字も無い上に、『来てくれる?』と言う問いかけではなく、『来て』と言う一方的過ぎる連絡だった。
え?今?
私は部屋のカーテンを開けて窓の外を見てみる。
雲行きが怪しく、どんよりとした曇天が広がっていた。
そんな中でこんな自己中な連絡とか…。
何て思いながらも。
久々に彼に逢える事に嬉しさを隠しきれない。
一秒でも早く彼に逢いたかった私は自転車に股がり、図書館に向かった。
「久しぶり」
図書館に入って南側の一番奥の席に座っていた彼は、すぐに私に気付き優しい笑顔を浮かべた。
「元気だった?」
私が聞きたかった事を彼から聞かれた。
私は、コクンと頷いてから彼の隣に座った。
「何読んでるの?」
「今日入ったばかりの新作の恋愛物、キミが好きそうな話だよ」
奥村くんが差し出してくれた本を私はパラパラと捲ってみた。
『『これからも君の側にいたい』
彼の言葉に彼女の胸は高鳴った。
その瞬間彼女は自分の想いに気付いた。
ああ、私は彼の事が好きなんだ』
まさに王道の恋愛話し。
私がした事の無い恋のお話し。
「これにも絵を描くの?」
すると彼は首を横に振り、静かに答えた。
「もう本には絵は描かないよ」
「どうして?」
意外な答えにすぐに疑問をぶつけてしまった。
「キミにバレたから。こう言う事はバレたら意味がないんだよ」
彼は私を真っ直ぐに見詰め、ニコッと笑った。
「ボクの絵を見付けてくれてありがとう」
トクン。
あ……。今、分かった。
胸が高鳴るってこう言う事を言うんだね。
私、奥村くんに恋をしてたんだ。
「ちょっと外に出よう」
立ち上がって私に差し出す奥村くんの手を見て恥ずかしさで顔が赤くなる。
私はそれに触れる事ができずに一度は伸ばした手を机の上に戻した。
「行こう」
そんな私を見てまたクスリと笑い、私の右手を取って立ち上がらせてくれた。
男の子の手ってこんなに大きいんだ。
手を通して私のドキドキが伝わりそうで怖かった。
私たちは図書館を出て、すぐ横にある公園に来た。
春には満開の桜を咲かせていた木々は、もはやそれが桜の木であったことを忘れさせていた。
「うーん、やっぱり外の方がいいな、室内はエアコンの風が寒すぎて…あ…ごめん、手繋いだままだったね」
手を放される瞬間、寂しさを感じてしまった。
もう少し繋いでいたかったな、何て思ってる私がいる。
「もうすぐ夏休みだね…キミはどこか行く予定ある?」
「特に…無いかな。奥村くんは…?」
聞いてから迂闊だった、と反省した。
奥村くんは視線を下に向け、ただ黙って首を横に動かした。
数秒の沈黙の後、重く垂れ込んだ空を見上げながら私に言った。
「…ねぇ、何の予定も無いなら二人だけでどこか遠くに行かない?」
「え…?」
「二人だけで誰も知らない所に行かない?」
予想だにしない言葉で、頭の中が真白になる。
まだ子供の私達が二人だけで旅行なんて常識に考えて不可能に決まってる。
そんな事きっと、奥村くんにだって分かってる。
それでもそう口に出してしまってるって事は自分の中で葛藤しているのだろう。
不安定な瞳で私の言葉を待っていた。
「今は行けないよ…」
この言葉がどれほど彼を傷付けてしまうか分かっていたけど。
今の私にそれ以外の言葉を言う資格はない。
こんな言葉に対して、奥村くんの言う言葉は分かってる。
きっと…。
「分かってる。冗談だよ」
ほら、やっぱり。
そう言うと思ってた。
憂いに染まった瞳はもう何も期待しない、期待してはいけないと言ってるようでやるせなくなり、私は奥村くんのひんやりとした手を包んだ。
息を呑んで私を見る彼に私は言った。
「いつか一緒に遠いとこに行こう」
いつか…?
そんな曖昧な返答…しかできない。
それでも、今の私の最善の言葉だった。
奥村くんは探るような瞳で、乾いた声を出した。
「いつか…か…」
私を見て、ニコッと優しく笑ったかと思ったら、私の右頬を彼の手が空を切り、後ろの壁に手を突いた。
「そんなの待てないって言ったら?」
「……」
「いつか来る未来なんて待てないって言ったら?」
先程までの穏やかな表情とは違いゾッとするほど険しい顔付きに恐怖を感じ何も言えなくなる。
「ボクにとっての時間の流れはキミの時間の流れよりずっと速い。キミが来るのを待っていたらボクは…きっと…」
壁に触れていた手を握り締めコツンコツンと音を出した。
それは奥村くんの言う時間の流れを表しているのか一定のリズムで音を鳴らした。
奥村くんの瞳は私を見ているようで、ずっと遠くの何かを写しているようで私の事なんて目に入っていない。
私は先程までの恐怖は消え、変わりに悲しみが伝わってきた。
どんより雲が一滴の雨を奥村くんの右腕に落とした。
それが合図となり、大粒の雨が一斉に降り出す。
慌てて私たちは南端に建っている東屋に入った。
「ごめん」
タオルで頭を拭いていた奥村くんが申し訳無さそうに謝った。
「あんな事言うつもりなんて無かった」
「うん…」
ベンチに腰掛けて、静かに雨を見てると、徐に奥村くんが話始めた。
「ボクの願いなんてそんな大した事無い物だよ」
立ち上がった奥村くんがアスファルトに弾ける雨を避けて、雨がかからないギリギリの所に立ち続けた。
「ただ普通に毎日学校に行って、毎日他愛ない事で笑ったりしたい、あ、部活なんかもしてみたいな、でも、ボクは運動には自信が無いから、入るなら文芸部とかがいいかな」
彼の話し方は独特で、どこか皮肉っぽく話す癖があったが、今はとても楽しそうに話していた。
「キミも同じ部活でお互いの作品の感想を言い合ったり、それで切磋琢磨してどんどん腕を磨いていって…ボクの作品が何かのコンクールで優勝して、それはキミをモデルにした作品なんだけど、優勝するまでその事を内緒にしておくとか。そんな学園生活送れたら楽しそうだよね」
「うん」
「ボクは毎日キミに逢いたい。毎日キミと話がしたい」
そして…。と一度言葉を区切り。
「毎日キミと恋がしたい」
雨の色を映した彼の瞳はより一層暗さを増していた。
私や普通の人が普段送っている当たり前の毎日を彼は送る事ができないでいる。
その事で彼がどんな思いをしているのか私には分からない。
でも…。
「私が毎日逢いに行く、私が毎日話に行く…だから、だから…」
少しでも奥村くんが元気になれるなら。
奥村くんが楽しいと思えるなら。
たくさん伝えたい言葉はあるのに、涙が言葉を邪魔する。
「だから…」
だから、たくさん恋をしよう。
奥村くんの指先が私の涙を拭い、その手が顎に触れたかと思うと、ぐいと軽く持ち上げられ、閉じた私の唇に突然のキスを落とした。
僅か数秒の筈なのに永遠のように長く感じられた。
心臓が飛び出してしまうのでは無いかと思うほど動きが速くなる。
私間違えてた。
これが本当の胸の高鳴りだ!
次の瞬間。
私の手を取り、強く抱き締めらる。
「もう少しキミを好きでいていい?」
震える声でそんな事を言う奥村くんの想いが哀しくて。
どうして、もう少しとか言うの?
何か声を掛けたいのに、何て言っていいか分からず、私は奥村くんの腰に回した手に力を込めた。