第3話 金色の王女(後編)
そう一言わびる皇帝に、王間は無言で答えをみせる。誰も答えないのをいいことに、アズールは話しを先へと進め始めた。
「今日、ここに集まってもらったのは他でもない。わがライト帝国のために、生命師の協力が必要なのだ。
わが国と長年友好関係にあったバビロイ公国の情勢が、近年悪化の意図を辿っていることは、それぞれの耳にも入っていることと思う。しかしながら、状況は少しばかり緊急を要するものとなってしまった。」
「と、申しますと?」
「うん。最近、反抗勢力組織クレイヴァーの動きが活発化している。バビロイ公国は、彼らとの関係を否定しているが、クレイヴァーがバビロイ公国に拠点を置いていることは、みなが承知のところだ。」
「お言葉ですが、アズール様──」
この雰囲気の中で唯一口をはさめるのは、リナルドをおいて他にはいない。誰もがきっとそう思ったのだろう、固唾をのんでリナルドの言葉を待っていた。
アズール皇帝も、リナルドに意見の先を求める姿勢をみせる。
「続けてくれ。」
「──はい。クレイヴァーを危険視なさることは、マリオット戦争以後は特に常識として、我々の間で黙認されてきた事実。それがなぜ、今ここにきて緊急に警戒せねばならぬようになったのかの?」
白いふさふさの眉毛に隠されたリナルドの瞳は、よく見えない。けれど、どこか探るような物言いに、アズール皇帝は沈黙をもってリナルドの本音を聞き出した。
「バビロイ公国がヴェナハイム王国と同盟を結び、その軍の統括としてクレイヴァーが君臨でもしましたかな?」
シンと空気が凍る。
誰も何も言えなかった。
ナタリーでさえ、皇帝に面と向かって「今から戦争ですか?」と尋ねた祖父を止める言葉が浮かんでこない。
ドキドキと鼓動が速くなっているのがわかった。
抱きついてくるギムルの温かさが、ほんの少しだけナタリーの不安を押さえてくれる。
「いや、そのような報告はわたしの耳には届いていない。」
アズール皇帝の否定に、ホッと空気が和らいだ。しかしすぐに、「だが」と口火を切った皇帝のせいで、広間に緊張が戻ってくる。
「状況は、それ以上に深刻かも知れぬ。」
はぁと、深い息を吐いたアズールの姿に、ナタリーはギムルを抱きしめながらテトラと顔を見合わせた。心なしかテトラの顔は青白くうつったが、たぶん自分も大差ないだろうと、ナタリーは唇を噛みしめる。
不安な気持ちはおさまらずに、リナルドへと顔を向けたナタリーは、同じようにリナルドへと顔をむけるハティとルピナスの視線を見つけた。
「大丈夫ですよ。」
「おう、安心しろって。」
ルピナスとハティが、口パクで励ましてくれるが、この異様な空気の中となってはそれさえも心もとない。
もっと安心できる何かが欲しいと、ナタリーが落ち込みかけた時、それまで存在感すら消していた機械犬のビーストがそっと頭をすりよせて来た。
「ありがとう、ビースト。」
ギムルを片手で抱き直したナタリーは、よしよしとビーストの頭を撫でながら意識を奮い立たせる。気がつけば、リナルドに変わって次の年長者であるジュアンが、ちょうど意見を述べるところだった。
そして、その衝撃的な事件を知る。
「深夜に、ターメリックが襲われたことが関与しているとお見受けしますが?」
「えっ!?」
「どういうことじゃ?」
ナタリーの驚いた声に続いて、リナルドの緊迫した声が続く。昨夜から今朝にかけてずっと一緒にいたデイルとテトラ、メアリーとビーストとギムルは当然のように戸惑いを浮かべていたが、どうやら集められた他の面々は、その事件を知っていたらしい。
なんとも難しい表情で、ターメリックに視線が集まっていた。
「クレイヴァーの幹部イシス・バダーリが、昨日の式典の後。ターメリックに亡国レオノール王家の血筋に関する情報を聞き出そうとしたらしいのだ。」
「レオノール?」
ナタリーは聞いたことがないとでもいう風に首をかしげて見せたが、全員がきっと知っているのだろう。今回ばかりは、誰も同調を示してはくれなかった。
「そういえば、昨日の式典でアズール皇帝が少し話していたっけ?」
誰にでもなく、心の中でナタリーはつぶやく。そうならば、張り詰めた空気の中で変に口を挟むわけにはいかないと、ナタリーは大人しくすることに決めた。
ありがたいことに、ナタリーの疑問の声はジュアンに届いていなかったらしい。問題がなかったかのように、話しを続けている。
「通りがかりの善良なるものに救われたらしいのだが、クレイヴァーの。それもイシスが直接、三大名家に手をあげたのは未曽有の事態のようにも思える。」
「しかもね、それだけじゃないのよ!!」
「アンジェ、またお前は人がは──」
「イシスは、プレイズの在処も知りたがっていたわ。」
「──はぁ。そういうわけです。リナルド様。」
途中、口を挟むことに嫌な顔を見せたジュアンを押しのけるようにして、アンジェは前に躍り出てきた。その顔は、憤慨しているようにも見えたし、おびえているようにも見えたが、やはり一番は興奮が勝っている。
そんなアンジェの様子に、ジュアンは心底疲れたような息を吐き出す。しかしすぐに、リナルドのこわばった表情を見て顔をしかめた。
「リナルド様までおやめ下さい。イシスがどこでプレイズのことを知ったのかは定かではありませんが、所詮は伝説の代物。生命師発端の地であったレオノール王国が管理していたとも噂されておりましたが、いまやそのレオノール王国も滅亡しておるではありませんか。」
心配するようなことは何もないとでも言いたげに、ジュアンはリナルドのもとへ腕をのばす。
「たしかにハーティエストを意のままに操れると伝承されているプレイズが、クレイヴァーの手に渡れば大変なことになりますが、所詮伝説は伝説。レオノールを支配下に置いたヴェナハイム王国が、そのプレイズを手に入れていないことが何よりの証拠ではありませぬか?」
「いや、ジュアン。残念ながらプレイズは存在するのじゃよ。」
リナルドの言葉が静かに響いた。
伸ばした腕をピタリと止めたジュアンの横で、アンジェがあんぐりと口をあけたまま固まっているところを見ると、その事実は相当受け入れがたいものらしい。
「レオノール王国滅亡の裏には、プレイズが深く関わっておるのじゃ。いや、正確にはフォスター・プレイテッド。天才として崇められたレオノール王国の王室生命師が、起こした災いなのじゃよ。」
「冗談がすぎるぜ!!」
「そうです。無垢増に命を誕生させるフォスターの法則を生み出した彼は、マリオット戦争が始まる前に処刑されたと聞いています。」
ハティとルピナスが、リナルドの一説にそろって異議を申し立てる。自分たちの知る歴史はそうではないと、強くリナルドを非難していた。
「第一本当にそんなものが存在するのであれば、なぜ誰もプレイズを手に入れていないのですか。マリオット戦争終結から、もう十五年たっているのですよ?」
「そうだぜ。大体プレイズは生命師にしか扱えねぇって聞いてるぜ。生命師を殺したいほど恨んでるクレイヴァーはもちろんのこと、あのバビロイ公国が探しだしたところでなんの価値もなっ?!」
言ってる途中で気がついたらしいハティの嫌な想像を肯定するかのように、そっとリナルドが顔をあげる。そうして真っ直ぐにハティを見つめながら、はっきりと言い切った。
「そうじゃハティ。ヴェナハイム王国のシオン王子が生命師なのじゃ。」
その時の肌を指すような空気の張りつめかたで、ナタリーはブルッと鳥肌がたつのを感じていた。それまでリナルドを説得しようとしていたハティとルピナス、固まったままだったジュアンとアンジェは、この世の終わりのように顔を青ざめさせている。自国のことではないながらに、世界的犯行は見逃せないとデイルも難しい顔をしていた。
アズール皇帝も頭が痛いと、重いため息を吐きだす。
けれど残念なことに、生命師としてだけでなく情勢に興味のなかったナタリーはそのため息の深刻さが理解できない。ひとり、話の内容に頭が追いつけないと助けを求めるようにテトラをみた。
「………。」
すがる相手を間違えた。
ギムルは論外だし、ビーストもたぶん知らない。残る助け船はメアリーしかいないとナタリーがその姿を探していると、逆にメアリーの方からギュッと背中に抱きつかれた。
「メアリー?」
カタカタと震えるメアリーに、ナタリーは首を後ろへとひねる。
見たことのないメアリーの状態に、ナタリーは焦ってリナルドを呼ぼうとしたが、それよりも早くにリナルドは苦渋の息を吐きだした。
「じゃが、問題が深刻なのは、それではないのじゃ。」
震えるメアリー、更に頭を抱えるアズールを残して、王間は混乱に包まれる。
「どういうこと。超軍事国家のヴェナハイム王国と、ハーティエストを一切認めないバビロイ公国が手を組んで、残虐組織のクレイヴァーを使って世界征服を企んでいること以上に問題なことがあるっていうの!?」
「アンジェ姉さんの言うとおりだぜ。マリオット戦争以上のデカイ戦争が起きるかも知れないってのに、それ以上、深刻なことってなんだよ!?」
「ハティ、口が悪いですよ。」
「んなこと言ってる場合かよ!!」
「落ちついてください。推測でしかありませんが、本当にプレイズが存在していたとしても、それをクレイヴァーが見つけ出すことは不可能です。」
まったく理解できないと叫ぶアンジェを筆頭に、頭に血が上ったハティをルピナスがやんわりと制した。いつもなら、それはジュアンの役割のはずが、当の本人がルピナスに譲ったのだからいいのだろう。
王間の視線を受けて、ルピナスは軽く咳払いをする。
「プレイズは、レオノール王家の血によって受け継がれ、その血が絶たれるとき永遠に消滅するのです。」
「ってことは!?」
「そうです。フォスターがどこかに持ち出していたとしても、レオノール滅亡とともにプレイズは意味をなさない"ただの"個体になっているはずです。仮にクレイヴァーがそれを手に入れた所で何の問題もないでしょう。レオノールの血筋は絶やされたのですから、そもそも見つかるとも思えません。この十五年もの間、誰の手にもおさまっていないことで立証されているはずです。」
非の打ち所のないルピナスの説明。
それでもリナルドの表情はすぐれない。
メアリーも震えたまま。
アズール皇帝は、ますます唸るばかりだった。
「ルピナス。たしかに、おぬしの言うとおり、プレイズは受け継ぐものを無くした時、その魂は消滅する。じゃが、今回はただ眠りについておるにすぎぬのじゃ。」
「どういう意味でしょう?」
「プレイズは、正当なる王位継承者が十七になると同時に先代から受け継がれる。前継承者を失ったとしても、後継者が存在する限りプレイズは滅びたりせんのじゃ。今はただ、どこかの地で長き眠りについているだけにすぎん。」
「なぜです。レオノールの血は、国と共に消滅したのですよ。眠りについているのだとしたら、他にレオノールの王族が……それも正当なる王位継承者が、生きていると言うことになります。」
そんなことはありえないと、全員の目がそう言っている。ナタリーは震えるメアリーが更に抱きついてきたせいで、前のめりに倒れ込みそうになりながら、リナルドとルピナスのやりとりをただ黙って眺めていた。
難しすぎて、よくわからない。
十五年前と言えば、まだ小さな赤ちゃんだったし、危険極まりないプレイズの話しをされたところで、聞いたこともないその存在に実感は皆無だった。
「まさか。」
ジュアンが、何か思い出したようにアゴに手を添える。
「それでイシスは、レオノールの王女の所在をターメリックに聞き出そうと、昨夜襲ったというのですかな?」
「クレイヴァー。いや、ヴェナハイム王国やバビロイ公国が、どの程度まで状況を把握しておるのかは、わしにもわからん。じゃが、プレイズの真の継承者が生きているということは、まぎれもない事実なのじゃ。」
「そんな…っ…では、生きていると言うのですか。あのレオノール王国、金色の王家最後の王女が?」
夢でも見ているんじゃないかとでもいう風に、ジュアンは大きく見開いた目でリナルドに疑問を投げかけた。誰もが歴史の真実を聞き逃すまいと、刺すほどに張り詰めた緊張が敷き詰められる。
「そうじゃ。」
短いながらもはっきりと、リナルドは肯定した。
今ここに、隠されてきた過去が存在していると、お互いに顔を見合せながら、興奮を隠しきれない表情でみんな胸に手をあてている。
あろうことかテトラまでもが、「すげぇ~!!すげぇこと聞いちまった」と、ぶつぶつ呟いているのだからナタリーは複雑な気分だった。
自分だけ、いまいちよくわからない。
とてもすごいことを聞いているはずなのに、よくわかっていないせいで、感動にひたることができないと、輪の中に入りきれない疎外感がナタリーのホホを膨らませる。
「みな、事態の深刻さはよくわかってもらえたかな?」
それまで重たい沈黙を守っていたアズール皇帝が、騒ぎかけた玉座の前を鎮圧させた。ハッとした空気が流れた所をみると、みんなどこにいたのかを忘れてしまっていたらしい。
それほどまでに、重大な秘密。
ナタリーは、もやついた気持ちのままアズール皇帝に視線を向けた。
玉座に鎮座するアズール皇帝は、若く見えるのにやはりこの国を作り上げてきた功労者なのだろう。落ち着いた声は、ざわついた全員の心を沈めることに成功していた。
「ハーティエストを支配できるプレイズが実在し、プレイズを眠りから覚ませることが出来るレオノール王国の王女も生存している。」
アズール皇帝は、今までの会話を簡潔にまとめてくれる。さすが一国の主だと、ナタリーは一人心の中でうなずいていた。
「ライト帝国は、悪用されようとしているそのふたつを守らなければならない。ハーティエストの人権を確保し、全ての生命に平等を掲げる、わがライト帝国が、危険を目前にしながら見て見ぬふりをすることは出来ない。」
だから、今日ここに呼んだのだと、アズール皇帝は話しを冒頭へとこぎつける。
なるほどと、ようやくナタリーの頭の整理がついてきたところで、アンジェがまたも唐突に口に挟んできた。
「お言葉ですがアズール様。守ると言ったところで、そのふたつがどこにあるのか見当もつきません。イシスは三大名家なら何か知っているかもと、ターメリックを媒介にアラカイト家に問いかけたということになります。けれど、あたしはもちろんのこと、他のアバタイト家、アラサイト家にもプレイズやレオノールに関する情報は皆無ですわ。」
今までの反応を見ていた限りでは、たしかにアンジェも、ルピナスも、ジュアンも知らない風だった。
アンジェが嘘や隠し事をするようには見えないし、ジュアンがアズール皇帝に何も報告しないわけもない。当然、ルピナスもハティも彼らのハーティエストも皆、知らないと表情に困惑がにじみ出ていた。
三大名家は本当に何も知らないのだと、ナタリーにもよくわかるほど。
「プレイズに関しては、その子がまだ年齢に達していないのだから探しようがない。しかし、そこは生命師として何かしらの情報を集約してもらいたいのだ。」
アズール皇帝は、諭すように静かに言葉をつむいでいく。
「その子が十七を迎える時に、ちゃんと手元にあるように最大限の協力をしてもらいたい。」
「それは、その…っ…もちろんですわ、アズール様。ですが肝心の王女様は?」
アンジェの疑問はもっともだった。
たしかに一番のカギとなる王女様がいなければ、協力することはおろか守ることさえ叶わない。
「リナルド。」
アズール皇帝がリナルドの名を呼ぶと、リナルドはスッとナタリーのもとへと歩み寄ってきた。
「ナタリー。」
「はっはい?」
「お前が、レオノール王国最後の王女にして、プレイズの正当なる真の継承者なのじゃよ。」
「は?」
間抜けな自分の声が、まるで別の誰かが発したんじゃないかと思えるほど、ナタリーはどこか他人事のようにリナルドの顔を見上げる。
「お前の本当の名前は、ナターシャ・アン・レオノール。金色の王族の血を受け継ぐものじゃ。」
まさか、信じられない。
たちの悪い冗談じゃないかとナタリーは疑心暗鬼になりながら王間を見渡してみた。
「ッ?!」
残念ながら嘘ではないらしい。
「お前の容姿が何よりの証拠なのじゃ。隠さなければならなかった意味は、もうわかるじゃろう?」
小さな頃からずっと不思議だった出来事が、どこかストンとナタリーの胸に落ちてくる。けれど、そのあまりに衝撃な告白にナタリーは自分の耳を疑った。
「色膜はこの世でお前しかつけておらん。」
外すことを強制的にうながされたナタリーは、震える手でその眼球に触れる。
何かと出入りしていた他国の機械職人のデイルが、小さな頃から届けてくれた擬似瞳。この目を知っているのは、リナルドとギムル、メアリーとデイルだけ。
テトラですら知らない。
今日、ずっと秘密にしてきた瞳の色をさらすのだと、王間の全てがナタリーの瞳に向いていた。
「私がレオノールの王女なの?」
声が震える。
帝国外れのド田舎に暮らしていた意味も、人前に出る時の異常な心配のされかたも、今までの不可解な家族の行動が、いっきに頭の中で組重なって怖くなる。とてもじゃないけど、受け入れられない。
それでも第三者が認めている。
「ナタリー、プロメリア王国に行くのじゃ。」
金色の瞳の中で言葉を失った人々の代わりに、長年見守ってくれていた老人が言葉を続ける。
「これ以上、この国にとどまっておるのは危険じゃ。フォスターが最後に向かったのは、プロメリア王国だと言われておる。プロメリア王国の生命師、モクレン・オー・ハイムにも助勢を求めねば──」
物事の意味を飲み込む暇もなかった。事象は、ナタリーの意思を無視するかのように勝手に流れていく。
「──よいか、ナタリー。プレイズは、他の誰でもないお前を待っているのじゃ。決して奪われてはならぬ、全世界のハーティエストの命運は、ナタリーにかかっておるということを忘れるでないぞ。」
ギムルを抱き締める腕をリナルドに捕まれ、背後のメアリーがナタリーの代わりに身体を震わせた。
本当に?
頭の中で誰かが囁く。
目覚めの時は、近づいてるの?
それをどこか他人事のように聞きながら、ナタリーは静まり返る王間をその金色の瞳で見つめていた。
第2章 fin.




