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怒り、悲しみ、憎しみ、喜び。
もしも戦乙女以外の者が四大を授かるとすれば、その一点。
だが、その条件を持ってしかも人間にとって死後の世界であるヴァルハラで二度目の生を受けるとなると、その人間の存在価値はもはや人以上のもの──もしくは人外と評しても間違えではない。
ヴァルハラで二度目の生を受けるには、通例、二つの条件を満たさなければならない。
一つ、帰天の過程で主神の加護を受けなければならない。
加護の授受。これは、きたる『神々の黄昏』に備えて集められた戦士たちを管理するための採番処理のようなものだ。加護というのも名ばかりで、実際には主神の四大の末端に触れさせる事で戦士たちを洗脳するためだけの作業である。
そしてもう一つ、戦乙女の手で死した者は蘇生の対象とする事ができない。
基本的に戦乙女たちは戦士の収集において自らが人間に手を下す事はできない。
ただし、主神の加護を受ける事ができない者(既に四大を保有している個体)は洗脳ができず、反乱分子と成りうるため、排除しても構わないという特例が存在する。
また、四大を保有すると判断された人間の魂は地獄に叩き落とされ、永劫囚われの身となる。
事実、己れも一度は地獄に堕ちた身。
無論、ロビンも堕ちているはずなのだが一部記憶が抜けているらしい。
そんな己れたちが何故ヴァルハラに存在しているのか。
答は簡単だ。──ヴァルハラへ至る方法が他にもあるからである。
考えれば難しい事ではない。戦乙女たちが地上に降り、その後どのようにしてヴァルハラへ帰還しているのかという事を考察すれば。
「……アルヴィンスは、なぜヴァルハラに?」
現状を説明している途中、ロビンは唐突に己れに尋ねてきた。
『探しものだ』
「探し、もの……?」




