005
日は高く昇っていた。つやつやしく鮮やかな、芝生のグリーンが目に痛い。しかし今、その芝生は半分以上、人の群で覆われている。
不似合いな光景だった。
本館の入り口には入館を規制するテープが貼られていた。突然の非常ベルに追い出された客たちは、立ち去ることもできずその場所に溜まっている。事件を期待しているのか、建物の中を覗こうとする若者も見られる。なるべく穏便に追い払おうとする警備員との間に、少々小競り合いも発生しようとしていた。
チェルトたちが地上に出たとき、中央ゲートは混沌とした状態にあった。
途中で合流したアレクが携帯を確認して、チェルトを振り返る。
「もう少しで、応援がくるそうです。学会から」
「警察じゃなくて学会?」
アリーが割り込む。
「ああ。水道管がやられたせいで、警察も消防も出動できないんだ」
「学会ならね、道が水没してようが、いろいろ反則技があるから…」
頷きチェルトが引き継いで、そしてふと「そういや、反則技と言えばヤツだよね」と、ある人物を思い出して、ひっそりと顔をしかめる。
(ヤだな、もしかして応援って、ヤツのことじゃないだろうな…)
目の前にあの涼やかな笑顔が現れる白昼夢、いやチェルトにとっては悪夢を見た気がして、目を閉じる。
「幹線道路が冠水して…影響は大きそうですよ」
気づいているのかいないのか、アレクがいつも通り、真面目な声で続けてきた。チェルトが目を開けて、アレクを見上げる。
「なるほどね、やっぱりあいつ、頭良いよ。緊急車両を封じ込めるつもりで二カ所選んだんだ」
「ひどいわ。大勢の人を巻き込んで!」
アリーがぷりぷりと怒りながら腕を組む。
「うん…でも、…屋外の貯水槽とかだったら、爆発に巻き込まれて怪我する人が出てたかもしんない」
真面目に恨んでいる感じがする。変な言い方なのは百も承知で、チェルトはそう思った。一人逃げたマナ技術者、男の残した恨みの言葉は、異様なまでの学会への執着を見せていた。無駄な殺人に興味はなくて、学会を傷つけることだけを考えているのではないか、と。
(まずいな)
なりふり構わず逃げるような輩は絶対にボロを出す。力を持てば持つほど、広がる波紋で退路を追われる。
その逆が恐ろしい。
追われてもなお理性を保ち、最小限の武器で最大級の効果を出す、姿無き犯罪者。
(推理小説みたいだ…)
ただの湯沸かし器と侮るが誤りだ。
「まずいな」
図らずもシンクロしたアレクの声に、思考を一時停止して、振り返る。
血気盛んな若者が警備員につかみかかって、それを他の警備員が止めようとして揉み合いになっていた。
「ケンカはダメなのですネ!」
レットがぷう、と膨れる。
「あーあ、あぁいう元気な人がいるから、最近の若者は、とか言われちゃうんだよ」
呆れるチェルトの横で、アレクが「全く」と呟きながら、歩き出す。
アレクがすたすたと近寄り、若者の腕を掴む。ぐい、と引き離し、静かに言った。
「やめろ。警察沙汰にはしたくないだろ」
「なんだ、お前は」
片手で軽く掴んでいるように見えたが、若者は全く動けない。ぎょっとした顔でアレクを見上げていた、そこへチェルトが走り寄る。
「今現在、入館は規制されてるんです」
チェルトが話しかけてくることは全く予想の範囲外のことだったらしい。若者が今度はぽかんとした顔で見下ろしてくる。
「館内システムトラブルにより、消火設備等が正しくコントロールできない恐れがあります。安全が保証できません」
とっさに、そんな嘘をつく。
マナ技術がらみの犯罪は表には出せない。現在、ロープでぐるぐる巻きにされて館内に転がされている泥棒たちも、表で裁かれることはない。全て学会の中で片付けられる。
「入館はできません。…ご理解下さい」
「…子供?」
チェルトが一瞬むっとした顔をしそうになって、すんでのところで目線を逸らし、耐える。
(…この人…僕とそんなに年は違わないように見えるんだけどな)
ただし背はだいぶ違う。チェルトの身長は平均より10センチほど低い。そのせいか、誰もチェルトの胸のエンブレムには気付いていなかったようだ。
チェルトがわざとらしくコートの襟を正す。そこで初めて、警備員が「あ」と声を上げ、気付いた顔をした。
「君、いや、貴方は、学会の…?」
「ええ」
精一杯難しい顔を作って、チェルトが応える。
「マナプログラム学会の特別実行許可が下りてます。原因の調査解明、復旧にあたっては専門家を派遣しますので、館内へは立ち入らずに。私の指示に従って…現状保存でお願いします」
「は、…はい」
本物かどうか疑っているのだろう、と感じ取れる。
(だから嫌なんだ)
学会の権力に、自分は不釣り合いだ。
真面目ぶって、眼鏡をかけ直す。表情も隠しやすい、良い小道具だ。
学会に利用されているのは、わかっている。それならそれで、いっそ歯車の一つとして扱われるなら気が楽だったかもしれない。だが、学会はそれを許してなどくれない。
「アレク、ここは任せるよ。他にも問題が発生してないかどうか、見てくるから」
「…了解」
何か言いたそうにしつつも何も言わないでいてくれるアレクに背を向けて、チェルトがその場を後にする。行く当てなど特にないのだが、疑いの目は気持ちの良いものではなかった。
*