002
アリーがため息を付く。
「あたしの力が必要って、こういうことだったのね」
じろりと睨んでくるアリーにチェルトがびくりとして肩をすくめ、小さくなる。
「な、なんで怒ってるの…?」
「あのねぇ、」
顔をしかめ、アリーが言う。
「…普通、女の子に力仕事させる?」
アリーが持つのは、通路の角角に設置されていたカーブミラーだった。変形する工具を使ってチェルトが取り外したものだ。
街頭に設置されているものよりは小型化、軽量化されてはいるが、それでも重たい。チェルト一人では持ち運べる気がしなかった。だからアリーに頼んだのだ。
「だって…アリーの方が僕より力あるじゃん」
なぜアリーが怒るのか、チェルトにはよくわからない。
アレクがいない今、アリーの力は貴重だ。尊敬の念で見上げる。しかし、アリーの言葉は厳しかった。
「そうじゃないのよ。まさか本当の力のことだとは思わなかった、って言いたいの」
「え、でも、嘘は言ってないし、」
じゃあ、どう言えば良かったのか。
なんだか、アリーの目が怖い。
(怒らせるつもりはなかったんだけど…。むしろ、頼りにしてるのに)
上手く言える自信がなく、チェルトは下を向いてしまう。
アリーのため息が聞こえてきた。
(嫌われちゃったかな…。何がいけなかったんだろう?)
チェルトにとっては難しい問題だ。自分の記憶の中に、役に立ちそうな経験など、まるで無い。どうしたらいいのかわからなくて、悲しくなった。
「…チェルト。あんた今、本気で悩んでるの?」
いきなりアリーが覗き込んできて、慌てて顔を上げる。
「え、…」
「もういいわよ。…悪気がないのはわかったわ」
いつの間にか、アリーの顔に、笑みが戻っていた。多少苦味を含んでいるが、もう怒ってはいないようだ。言葉の響きは優しい。
恐る恐る聞いてみる。
「手伝って…くれるの?」
「そうね。カフェ・アリアのフレンチトーストをおごってくれるなら、考えなくもないわ」
「えっ、…それって、すっごい人気で超並ぶっていう、あの有名なバニラフレンチのことだよね…先着三十名様が一瞬で無くなるっていう…」
「…冗談よ」
戸惑うチェルトに、アリーが笑う。
「早く運んじゃいましょ」
「怒ってないの?」
移動しながら、アリーがにこりとして頷いてきた。
「考え方を変えれば、腹も立たないわ。あんたのことを男だと思わなければいいのね。ちょっと生意気でわがままな年下の女の子だと思えば、重たいミラーが持てなくても仕方ないもの」
すらすらと放たれるアリーの言葉に、一瞬硬直する。
(年下の…何?)
「え…ちょ…ちょっと待ってよ、どういう意味さ!」
「声が大きいわよ!気付かれるわ」
言われて、慌てて口をつぐむ。そうだ、奴らが近くにいるのだ。
なかなか不名誉なことをたくさん言われた気がするが、時間がない。
ひとまず脇に置いておくことにして、ミラーと共に場所を移動した。
*
怪しい車はすぐにわかった。アレクが、カメラに映ったナンバープレートから盗難車を探し当ててくれたのだ。
まばらに止めてある車の陰から様子をうかがう。大当たりだった。一つ向こうの列に止めてあるバンの前に、重そうなスポーツバッグを抱えた男たちがやってくる。光量を抑えた、赤いハンドライトが点けられた。
「くそ、重てえ…」
「早くしろ!」
「わかってる、手を貸してくれ!」
男たちの声には疲労が滲んでいた。重たい古代遺産を抱えて階段を下りるのは、大変に違いない。同情する気は微塵もないが、全くご苦労様だ。
アリーを振り返って、チェルトが指示を出した。
「アリー、あそこの白線に合わせて鏡を置いて」
先回りして設置したミラーは三個。奴らが予想より長く滞在してくれたのは幸運だったが、これで限界だろう。
「仕掛けるよ。僕が出ていったら、目を瞑るか細めるかしといてね」
「わかったわ」
アリーをミラーの後ろに残して、チェルトが通路に出る。
「マナプログラム、展開」
チェルトの言葉に合わせて、イヤリング型のマナコンピュータからアンテナが現れた。
意識を集中させ、マナコンピュータに「指示」を出す。強くイメージを思い浮かべ、伝える。
(可視領域の光波を減衰させる…対象は、レンズ表面)
指示通りにマナプログラムが描かれる。チェルトのトレードマークとも言える、下だけフレームのある四角い黒縁眼鏡。そのレンズに、一瞬だけ文字が浮かんで、消えた。
古代の遺産、失われた力だ。
(全く、便利すぎて…怖いくらいだよ)
唇の端に、自嘲気味た笑みを浮かべる。
描けるマナプログラムには制限もある。しかし操作可能なカテゴリ内の事象であれば、文字通り意のままに操れる。それがチェルトの持つマナコンピュータだ。
通路の先に男たちのシルエットが見える。こちらには気付いていない。肩幅に足を広げ、しっかりと立つ。
(…馬鹿親父。こんな技術を発表なんかしなければ、…)
その先は、いつも迷う。
自分は、普通でいられた?
それとも、…アレクやレットに、そしてアリーにも、出会えなかった?
(…やめよう。考えるのは)
頭を左右に振る。考えを振り払うように。
顔を上げ、すぅ、と息を吸った。
通路の先に向かって、叫ぶ。
「そこまでだ!」
男たちが振り返り、チェルトを見た。