001
荷物運搬用のエレベーターは、四角い箱としか形容できなかった。殺風景な階数ボタンの脇に、「階数確認」と書かれている。
「アレクの読みは当たりだね。奴ら、地下を目指してる」
チェルトが半透明のディスプレイを指差す。原理はわからないが携帯の上部に半透明のディスプレイが浮かんでいた。チェルトいわく、マナ技術を応用した学会専用機内臓の「マナハイブリッド空中展開型拡張ディスプレイ」だそうだ。
ディスプレイには、三次元の図形が描かれていた。無数の細い線で描かれた形は、建物の骨組みだ。特徴的なホール。二つの建物から成る巨大な施設。そこに、赤い点が移動している。
監視カメラの映像を元に、アレクが犯人らの位置を送ってきているというが、高性能すぎてわけがわからなかった。
「ほら、見て」とアリーを仰ぐと横髪がさらりと流れ、チェルトの耳元のイヤリングが目に入った。アンテナは消えていたが、仄かに光っているようにも見える。
「ねぇ、…マナ技術って、つまり何なの?」
唐突なアリーの問いに、チェルトが目を丸くする。
チェルトが言っていた。事象を引き起こす、と。
まるで実感が湧かなかった。
「弾道を変えたり。棒を溶かしたり。わけがわからないわ」
「なんでもできるわけじゃないさ」
チェルトが小さく笑う。
「さっきの棒ね、あれ、樹脂だったんだよ。だから溶かせた」
「樹脂?プラスチックってこと?」
「そう。気づいたのは、あいつらが銃を持ち込んでたから。なんで金属探知機に引っかからなかったんだろうって」
「そういえば…」
「つまり大部分が金属じゃなかったんだよ。アリーの学校、デザイン系だったら持ってるんじゃない?三次元プリンター。樹脂性の銃だったってこと。…金属部品は分けて持ち込んで…館内で組み立てたのかな」
「えっ?ニセモノだったの?」
目を見開いてチェルトを見つめる。
「ニセモノっていうか…材質によってはかなりの耐久性が得られるからね。数回の発砲なら耐えられるだろうから、その意味で言ったら本物かな。棒もそれで作ったんだと思うよ。組み立てて使うだなんて、手作り感満載でしょ」
「…でも、どうやって溶かしたのよ?」
チェルトが得意げに言う。
「樹脂の耐熱温度は、良くて大体二百度。フッ素系でも二百六十度くらいだ。紙の筒にマナプログラムを載せて、触れた部分の分子を振動させて、熱を生み出したんだ」
「燃えないの?紙でしょ?」
「紙の発火点は意外と高いんだよ。三百度にならないと、紙は燃えない」
「えっと…じゃあ…弾丸のやつは?」
「ああ、あれは弾道上の座標に展開されるオートプログラムなんだ。上下方向に強力な電場を発生させるのと、指定座標上の導体内から電子を叩き出すってことを同時に行ってる。正電荷を持った弾丸は電場の向きに力を受けて、上に飛んでくってわけ」
「はあ」
全くわからない。表情を作ることもできずに真っ白になるアリーに、チェルトが「えーと」と考え込む。
「…僕のマナコンピュータは、振動特化なんだ。つまり…波動に関係するマナプログラムを描くことができる。音波、光波、電磁波とか、電子の運動…って言えばわかりやすいかな…?」
困ったような顔で見上げてくるチェルトに、引きつってしまった笑みを浮かべて応える。
「うーんと、あたしにはちょっと難しかったけど…とにかくとってもすごい、ってことはわかったわ」
つまり、わからないのだが。
それにしても。
「…魔法みたい」
そのようにしか思えなかった。思いのままに事象を引き起こす…
チェルトが宙を見上げて、少し考えて、答える。
「そうだね、あながち間違っちゃいないかもね…マナプログラムは、魔法でいうところの呪文かな」
「呪文?」
「うん。…物質の持つ存在エネルギーがマナ。そのマナにアクセスするには、一定の書式、文法で描かれた命令が必要。それがマナプログラム。僕らはマナプログラムを描いて、展開して実行する。マナコンピュータはそのための道具だよ」
これがマナコンピュータね、と言いながら、チェルトがイヤリングを示す。単なるアクセサリーではないようだ。
(いいなぁ、あたしも欲しいわ)
イヤリングを見つめながら、アリーが「ふぅん」と相槌を打つ。
アリーの視線に促されてか、チェルトが続けた。
「で…マナコンピュータはマナプログラムを電気的に描いているわけなんだけど。そのマナプログラム自体は、古代文字で描かれてる」
「古代文字?ちょっと待って、」
アリーが妙な顔で割り込んだ。
「最新の技術ってわけじゃないの?」
「微妙なとこかな」と、チェルトが首を傾げる。
「解明されて、利用されるようになったのは最近だけど、マナ技術の歴史は古い。超古代文明はマナプログラムで栄えていた、って考えられてるんだ」
不可解な遺跡や謎に満ちた遺物。
それらが全て、マナプログラムを持っていたというなら。今の文明とは全く性質が異なる力を持っていたというなら。
世界は、なぜそれを、失ったのか?
アリーの思いに答えるように、チェルトが語り出す。
「…マナプログラムは、失われた力、って言われてる。一度、完全に歴史から消えて、再び発見された。何千年かぶりにね。怖いくらい便利な力だよ。まだ、解読も進んでない」
チェルトが首を横に振る。なぜ失われたかについては語れない、ということか。
「…考古学は宝の山であると同時に、火薬庫でもある。何が起こるかわからない危険性もあるんだ」
「じゃあ、博物館の展示って…」
「うん、だから管理が必要で、マナプログラムの管理と統制が学会の役目ってわけ」
チェルトをまじまじと見ながら、アリーが呟く。
「信じられない…」
「マナ技術は国の重要機密だからね。市民生活にもっと反映させていこう、っていう雰囲気もあるけど、悪用されたらたまったもんじゃないでしょ?」
「ね?」と、念を押すように、チェルトが首を傾げる。子供らしい仕草は、癖のようだ。
「マナ技術は、少しずつ、限られた範囲でだけ、使われ始めてるんだ。でも悪用を避けるとか、軍事転用を禁止するとか、そんな理由で、どこにどんな風に使われてるかは秘密。…まぁ他にもいろいろあるけどね」
チェルトの言葉が途切れたちょうどその時に、エレベーターががくり、と停止した。乗客用の物と比較すれば少し乱暴だが、問題になるほどではない。
扉が開いた。
*
地下三階の搬入口。照明は消され、暗い。
歩き出しながら、チェルトがディスプレイを見る。
「奴ら、近いね。隔壁の向こうが搬入専用の駐車場だ。…ねぇ、アレク」
「何です」
すぐに返事が返ってくる。
「まずは、地下の換気を回して。僕らがガサゴソしても気付かれないように。で、僕が奴らと対面したら、照明を点けてほしいんだ。予備灯も全開で!最大出力でね」
「最大…あぁ、なるほどな。奴らにスポットすればいいんですね」
「そう。ちょっと準備があるから、タイミングが重要なんだけど」
並んで歩くアリーを見上げ、チェルトがにっこりと笑う。
「アリー。手伝って欲しいんだ」
「あたしが?」
純粋に、驚いた。また下がっていろと言われるのだとばかり、思っていたのに。
(あたしは、一般人よ。チェルトみたいな技術者でもないし、お兄ちゃんみたいな助手でもなくて。なんの力も知識も、ないのに…)
無力だと、思っていた。それなのに。
「…あたしも、一緒にいていいの?」
笑いたいのに、戸惑いを消せない。
だが、嬉しくないといえば、嘘になる。大きな嘘に。
「チェルト先生…相手はマナ技術者だ、それを相手にするのは…」
妹を心配してくれているのか、不安げなアレクの声が聞こえる。
だがアリーは退かない。退きたくなかった。
「お兄ちゃん。あたしなら大丈夫よ。チェルトが盾になってくれるって!」
「盾はともかく、」
チェルトが苦笑する。
「アリーの力が必要なんだ」
思わずチェルトに抱きつきたくなった。が、そんなことをして、このチャンスを逃したくはない。
「…チェルト先生がそう言うなら」
ため息を一つ付いて、アレクが折れる。
やった!と、喜ぶ間もなく、いつの間にか隔壁の前にたどり着いていた。
換気システムが作動し、ファンが呻り始める。コンクリートに反響し、幾重にも重なり合う音が、空間を包んだ。
「少し急ぐよ。頼むね、アリー」
「任せて!」
二人で一緒に、頑固な扉を押し開けた。地下駐車場が広がる。
(見てなさいよ、泥棒め!)
正直なところ、アリーは、少し、
…わくわくしていた。
* * * * * *