008
別館と本館とを繋ぐ渡り廊下で、チェルトが携帯を取り出した。
「よし、圏内だ。アレクに連絡を…」
「…そうよ、お兄ちゃんとレット!どこにいるのよ?」
どきりとする。銃を持った相手がうろつく館内の、一体どこにいるのか。
「…無事よね?」
「当然だ」
突然、この場にいないはずの声が聞こえて、アリーが飛び上がる。
チェルトがにっこりと笑っていた。
「お兄ちゃん?」
あたりを見るが、姿は見えない。
「ねっ?ほら、無事だった」
チェルトが携帯を指差す。通話が繋がっているらしい。
チェルトがほっとしたように言う。
「…無事でよかった」
「俺がやられると思いますか。心配してたのはこっちですよ。マナプログラム、使ったでしょう。使ってる間は、通話が通じないんですから…」
「あ、ごめん。でもアレクならわかってくれると思ってさ」
アリーが、もやもやして、チェルトをじとりと睨む。
…なんだか、チェルトが羨ましい。
(兄妹なのに。二年間会ってなかったっていっても、あたしのほうが、お兄ちゃんのこと知ってるって思ってたのに)
「何よ。お兄ちゃん、いつの間にスパイになったの?」
「なってない」
呆れた声が返ってきた。
「…で、さ、アレク」
チェルトが割り込む。
むっとしたので、髪の毛を引っ張ってやった。
「今は防災センター?」
「ああ。職員が、拘束されていたので。…すいません、放って置けなくて」
「ううん、いいんだ。その場にいたら、僕もそうしてたと思う」
「チェルト先生は今どこに?」
「別館から出てきたところ。犯人グループに接触した」
「やっぱりな。俺も二人、捕まえましたよ」
目を丸くするアリーの横で、チェルトは「お疲れ!」とそれを当然の出来事のように受けていた。少し申し訳なさげに「ごめん、僕は逃げられた…」と言った後、続ける。
「でも一つ情報がある。マナ技術者が一人いる。水を加熱して水蒸気に変える、温度上昇プログラムを所持してる」
アレクが「え」と驚いた声を上げた。
「マナ技術者が?」
「そう。だから…失敗…したっていうか、まさかマナプログラムを実行するなんてさ…油断してた」
非を認めてか、チェルトがうなだれる。
「マナプログラムの使用を許可するっていう通達は来てたんだけどね、まさかマナ技術者がいるとは思わなくて…ありえないことだからね」
アリーには状況はわからない。が、アレクはチェルトの思いを共有しているようだ。優しげに「仕方ないですよ」と言うアレクの声に頷いて、チェルトが顔を上げた。
「まぁ、それはそうと、音声データは取った。アレクに送るから学会に転送しといて。異常事態、その報告」
「了解。…で、どうします」
「うん、追うよ」
そうだ、ここで立ち止まっている時間はないはずだ。
チェルトの髪から手を離す。作りかけていた三つ編みがほどけて、ストレートの長い髪がはらりと背に広がった。
「防災センターは、使える?」
「使えますよ。職員に協力してもらって、館内設備のコントロールも戻ってます。奴らに気付かれないよう照明なんかは落ちたままにしてますが…いつまで泳がせます?」
「建物を出るまでだね。奴らの位置を割り出して、こっちに送って欲しいんだ。先回りして叩く。敷地内で片付けよう」
「了解」
短くアレクが応じる。
「ねぇ、レットは?」
割り込んだアリーの問いかけに、アレクの声が一段階低くなった。
「アリー。何でも首突っ込みやがって…後で説教な」
「お兄ちゃんが説明しておいてくれなかったのが悪いんじゃない!もったいぶるから気になっちゃうのよ」
つい、前のめりに言い返してしまう。
「あたしも言いたいことは沢山あるわ。いいわ、出張版家族会議ね。…で、レットはどこ?」
アレクが「全くお前は」とぼやきながら返してきた。
「レットには、地下の搬入専用駐車場の出口を見ててくれ、と伝えてある。防災センターの職員から聞いたんだ。あそこは建物の裏側だからな、人目に触れにくい。車も隠せるだろうから、逃走経路としては一番可能性が高い…と、思うんですが」
後半はチェルトに向けて。チェルトがにっこりと笑って返した。
「さすが、アレク。完璧だよ。…で、ついでに。防災センターから、エレベーターを個別に動かせる?」
「やってみましょうか」
「奴ら、電源を落としたから、エレベーターは使えないと思ってるはずだ」
チェルトがニヤリと笑う。
「先回りのチャンスだよ」