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 戻ってきた同僚の顔を見るなり、フィアースは思わず吹き出していた。じろりと見上げられるが、全く怖くない。小動物が精一杯威嚇しているようにしか見えなかった。

「その様子じゃあ、用件はやっぱりお前の実績に関することだったか」

 あ~あ、と言いながら耳の穴をほじる。ルトヴィカは真っ赤になって拳を握った。

「そんな暢気に言っている場合ではないのよ! エーベルハルトを見なかった!?」

「さてなあ。そもそもお前が顔を見せるなって言ったんだろ?」

「まさか彼がこんな手段に出るなんて思わなかったのよ! こんなことになるなんて……こんな、酷い……私が彼に何をしたって言うの?」

「なんもしないのが問題だったんだろ~?」

「うるさい! いちいち口を挟まないで!」

 ヒステリックに叫ぶ女神。フィアースは肩を竦めた。

「あのなあ、今更奴を問い詰めたって状況は変わらないんだからさ。だったら、ちゃっちゃと行って、パッとやることやって、帰ってくりゃいいだろうが」

「簡単に言ってくれる……っ! そんなことができるなら、とっくにやっているわ!」

 ぎりぎりと奥歯を噛み締めて、唸るように言う。

「三ヶ月よ。三ヶ月の間に、勇者級の魂を持って来れなければ、追放ですって……! 何という侮辱なの。私は女神なのよ? 働いていない神など、いくらでもいるじゃないの!」

「まあ、いるだけで周囲に影響を及ぼすタイプはそうだろうなあ。でも俺らはそういうんじゃないし」

「私にどうしろと言うの……三ヶ月なんて、瞬きの間と同じだわ」

 ぎゅっと唇を結んで空色の目から涙を零し始めたルトヴィカを見下ろして、フィアースは溜息をついた。彼にしてみれば、ルトヴィカに提示された条件は特別厳しいものではないように思えた。勇者級を見付けること自体は簡単だ。死神の本能に従って、より惹かれる方角に進めば自ずと出会える。討ち取るのは少しばかり骨だが、彼らは神なのだ。

 少し甘やかし過ぎたかと内心反省しつつ、妹分の白い頭をぽんぽんと叩いて、彼は励ましを口にした。

「大丈夫、お前は誰が何と言おうと死神なんだ。まあ、今までちっとも働いてなくても、役に立ったことが皆無でも、それでもだ。やろうと思ったら殺れるさ。それをエーベルにも見せてやればいい。あいつにお見逸れ致しましたとか言わせてやれ。な、だから泣くなって」

「うぅぅ…………フィアースは一緒に来てくれないの? 供を連れて行くなとは言われなかったわ」

「ったくこの甘ちゃんめ! 俺が一緒に行ったらノーカウントにされちまうだろ。あ~、いいからもう行けっての!」

 面倒くさくなった彼はガシガシ黒い頭を掻いて、真っ白い死神の背を押しやった。恨みがましく振り返り振り返り、女神が遠ざかっていく。それが視界から消えると、深い溜息をついて……ふと思い出したように呟いた。

「そういやあいつ、申請書の手続きの仕方は知ってたっけか?」





 最低!

 もう何度目になるかわからぬ言葉を吐いて、娘は覗き込んでいた川に手を入れると、水面を掻き乱した。

 自慢の白く長い髪は、泥を塗りたくったような茶髪に取って代わっている。おまけにそれが肩にも届かぬ短さときた。ルトヴィカは最初、自分が少年になってしまったのかと本気で思った。

 フィアースに追い出されるようにして、下界への門に辿り着いたまでは良かった。だが、そこからが予想外の連続だった。門番に「申請書をご提示ください」と言われ、ルトヴィカは目を丸くした。何でも、下界に下りるには、あらかじめ申請書なるものに記入して提出しなければならないのだという。名前と用件を門番に告げ、申請書など知らないと答えると、門番は渋い顔で「ではこちらにご記入ください」と言った。簡易外出届だそうだ。

 門番が通行許可を出す頃には、ルトヴィカはすっかりへそを曲げていた。面倒くさいことがあるなら、フィアースは事前に彼女に教えておくべきだった。そして、門番はもっと女神である彼女を敬い、決して、厄介なのが来たなぁという顔をすべきではないのだ。たとえ彼がルトヴィカの代わりに全ての用紙に記入するはめになってもだ。何せルトヴィカは女神なのだから。

 つんと顎を上げて威厳を纏うと、ルトヴィカは一歩を踏み出して、光溢れる門を潜りぬけ――――。

 落ちた。

 悲鳴を上げる間もなく、何かを突き抜けた感覚がしたかと思えば、全身を強い衝撃が襲った。気が付けば、彼女は水の中で、身体のあちこちを川底の石で傷付けられながら流されているところだった。

 パニック状態で手足をばたつかせ、水面に顔を出す。岸からそう離れていないのは幸いだった。今まで感じたことのない身体の重さを呪いながら、何とか川から脱出すると、仰向けに寝転がった。

「最低だわ……私を誰だと思っているの……」

 よろよろと身を起こし、顔に張り付く髪を整えようとして、違和感を感じる。怪訝に思って水面を覗き込んだルトヴィカの喉から発せられた盛大な悲鳴に、鳥達が驚いて一斉に飛び立った。

 彼女を驚かせた原因は、何のことはない、見たこともない下女が水の中から彼女を見返してきたためだ。

「嘘よ、嘘……こんなの私ではないわ……」

 心臓が嫌な音を立てて強く彼女を揺さぶった。混乱の極致にあるルトヴィカだったが、頭の片隅で生まれた冷静な声が、再び叫び出しそうな口を閉じさせた。

 これは私ではない。私の身体ではない……が、"今は"私の身体だ。私は、人間の女に入り込んでしまった。

 強大な力を持つ神々が下界に降臨する際、器を必要とするというのは一般常識だ。下界の器に入るのを厭うのならば、器に匹敵する効果を発揮する法具の使用申請を出すべきだった。恐らく、門を通った瞬間、ルトヴィカに最も相性が良かったのがこの娘だったのだろう。死神と相性が良い――魂が抜け出た瞬間の、活きのいい死体が彼女を引き寄せたのだ。ルトヴィカが入った衝撃でか、心臓は再び鼓動を再開したようだが。


 しばらく放心していると、ぞくりとした寒気に我に返った。神界に比べて、下界の風は冷たい。濡れた服が体温を奪い、全身に鳥肌が立った。

 忙しなく腕を擦ってみた。初めてのことばかりで、もう何をどうすれば良いのかもわからない。基本的に全てが他人任せだったのだ。自分で決断して行動することに欠けた思考では当然の結果かもしれなかった。

 寒さが通り過ぎると、今度は頭の芯がぼうっとしてきた。わけのわからぬ寂しさが沸き起こり、視界が歪む。

「最低……何なの……。エーベルハルト、責任を取って助けに来なさいよ……」

 思えば、ルトヴィカは途方に暮れた経験がなかった。周囲には常に世話をする天使がいたし、フィアースもよく彼女の相手をしてくれた。エーベルハルトが守護天使となってからは、何も言わずとも率先して物事に当たり、解決してくれた。

 涙とは熱いものなのだなと、ぼんやり思う。

 大声を上げながら駆け寄ってくる人影を視界の端に捕えながら、彼女はただ茫然と宙を見つめていた。

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