彰子が初めてめたもうを見たとき(1)
私が初めてめたもうのことを知ったのは、
田舎のおばあちゃんのうちに
家族で行ったときのことだった。
祖母が、娘である母に耳打ちしているのを、
盗み聞きしてしまったのだ。
「子供は、気をつけてないと
ちょっと目を離したすきにめたもうにとりつかれてしまうよ」
佐々丘さんはこの話にたいへん興味を示した。
「知らなかったな。めたもうはとりつくものなんだ」
そうなのである。祖母いわく、
私はめたもうにとりつかれてしまっているのである。
「祖母はそう表現してましたけど。田舎の伝承でしょうか」
「……おばあさんはめたもうを見たの?」
「祖母も母も小さい頃に何回か見たって言っていました。
あ、そうか。我が家に代々伝わってる言い伝えなのかな」
佐々丘さんは黙ってしまっていた。
彼の認識していためたもうと、
私の認識していためたもうの間に相違があるようだった。
私が初めてめたもうを見たのは小学五年生のことだった。
家族で初めての海外旅行を楽しみにしていた矢先、
私がインフルエンザにかかってしまったのだ。
ハワイでお正月を過ごすというささやかなサラリーマンの夢が、
キャンセルされようとしていた。
しかし、たまたま叔母が市内に住んでいたので、
私の看病は叔母にまかされることになり、
家族は無事にハワイへと発ったのである。
「私が両親の立場でもきっと同じことをしたと思います。
娘一人のインフルエンザで家族全員の、あ、五人家族なんですけど、
旅行をキャンセルするなんてもったいないですよね」
しかし私は、初めて家族と離れて10日間過ごした結果、
祖母の言葉を借りれば
めたもうに”とりつかれて”しまったのだった。
その日、つききりで看病してくれた叔母が買い物に出かけて、
私は慣れない家で高熱を出してひとりで寝ていた。
叔母は優しかったが、私はもともと人見知りする子だったし、
何より、家族においてきぼりにされた
かわいそうな子だということで気を使ってくれているのが、
かえって私をみじめにさせた。
高熱は私の妄想を増幅させていて、すべてを悪いようにしかとれず、
家族に自分はないがしろにされていて、
ちっとも愛されていないのだと思い込んだ。
私は熱で頭がぐるぐるするのと、
秒針がカチカチと響くのとで半分おかしくなっていて、
”ひょっとして私はいまこの瞬間ここに来たんじゃないだろうか。
私に家族がいることも、私の今までの思い出も全部夢で、
今初めて目が覚めた、ということはないだろうか”
なんてことを延々と考えていた。
今まで感じたことのない程のものすごい孤独感だった。
最悪な気分だった。
そのときだった。