千晴の意見(1)
いつの間にか夏が来ている。
それを言葉にすると、なんだか恍惚とする。
私と千晴は、4限が休講になったので、
奇特にも、
池袋まで歩こうか、ということになった。
この夏の暑い中を。
それもまた夏のなせるわざだ。
池袋まで歩いていったことはないが、
きっとたどりつけるだろう。
不安な点をあげれば、
地下鉄が地下を走っているので、
(一見当たり前のようだが、東京では地下鉄はたまに地上に出ている)
線路をたどっていけないことだ。
でもまあ何とかなる。
ひまな若者の気軽さで、ふらりと歩きだした。
アスファルトが熱せられている。
自然と、話題の時間的な近さから、
3限の授業の話になる。
「児童心理学」
サンタクロースなどのファンタジーを子供はどのように信じているのか、
というような論文を読んだ。
「本当にいる」とは思っていないのに、
「いつかは会える」と思っている矛盾。
「彰子はさあ、サンタクロース長いこと信じてたたちでしょ」
千晴は断定する。
「うん。……中1まで」
私のその答えに、千晴はわざとらしく跳びのいた。
「中1~!!?
えー、ちょっと、君それはちょっとやばいよ。
おかしくない? おめでたいなあ~」
そう言われて私はムッとする。
でも私は言いたいことが言えないたちなので、
こんなふうにあからさまにけんかを売られると、
かえってリラックスする。
千晴はいつもわざと私を怒らせる。
「千晴は?」
「うちはそういうの無かったから」
「あ、そうなんだ」
現実的な千晴は、現実的な家庭に育ったようだ。
なぜこんな暑い日にサンタクロースの話をしているのか、
それもかなり変な話だが、
めたもうにつながる話だと、お互いに気づいていた。
「やっぱめたもうを許容する家庭は、サンタクロースも許容するんだなあ。
非科学的なものの許される雰囲気の家庭だったんだよ。きっと」
そう言われて、私は千晴の目を見た。
「千晴も、めたもうのことを信じてくれないの?」
そう口に出したとたん、その言葉が本当のことになったようで、
二人の間を寒い空気が流れたように思った。
暑い夏にはちょうどいいのかもしれないが。
「信じる信じないの問題じゃないんじゃないかな。
現に彰子と佐々丘さんの目に何かが見えていることは認めるよ。
でもそれが本当に誰にとっても存在しているとは、
私は思ってないっていうこと」
「めたもうが本当にはいないって言うの?
千晴だって怖がったりしてたよ」
私はついむきになっている。
むきになると子供っぽくなる。
むきになれるのは、千晴に甘えられるからだ。
でも、なんだか二人の距離が開いたようで、
ちょっと不安になっている。
「それは、私は幽霊の存在を信じてないけど、
怪談聞くのは怖いってのと一緒だよ。
あ、今気づいたけど、
”信じる”って”存在を信じる”って意味があるね。
だったら、私は彰子が何か見ているのは信じるけど、
めたもうは信じてない」
私は残念だった。
「私の目がおかしいって思ってる?」
「んにゃ。目じゃなくて脳」
ずばりこれだ。
「脳かい……」
「幻覚ってこと。
んー、もっと詳しく分類すると、幻視か」
千晴は行動文化学科なので、心理学が専門だ。
まだ一年生の一学期なので、
教養科目もたくさんとっていて、
そんなには専門に詳しくないはずなのだが、
ここぞ私の出番、という感じである。
千晴が熱心なので、一緒に医学部へ行って
精神病理学まで受講してしまっているくらいだ。
「でも千晴、二人で同じものを見てるんだよ」
「同じものだって証拠はないでしょ」
「うーん」
言われてみると、
佐々丘さんに見えて、私に見えなかったりすることが多い。
見るタイミングがずれたりして、
もともともやもやしているものなので、
同じかどうか比べようもない。
「江戸時代にも”狐憑き”とか呼ばれる、
精神錯乱する家系があったでしょ。
それと同じで、君の家族も”めたもう憑き”だったんだよ。
幻覚を見てしまう家系」
「幻覚かあ……」