穏やかな眼差し
佐々丘さんはその日以来、めたもうを見るようになったという。
もう15年もめたもうを見続けている計算になる。
ちなみに私は7年。
めたもうが何なのか、という質問に対しては、とりあえず保留しておく。
うまく説明できるものでもないし、
私自身この時よく分かっていなかったからだ。
そもそもこの話自体が、「めたもうとは何なのか」を
説明するために生まれたものだとも言える。
だから、私たちが「めたもう」を追求してたどった道筋を、
時間の流れに沿って語っていこうと思うので、
そこからイメージをつかんでもらいたいと思う。
「それじゃ分からないよ」って言われるかもしれないけど、
それなら分かってもらわなくても、全然構わない。
分かりたくなくても、構わない。
説明不足なのは、あえて、別に、
めたもうについて分かってほしいとはあまり思わないから。
めたもうなんて、分からなくていいんだ、本当は。
きっと分からない方がいい。
こんな話、読まない方がいいのかもしれない。
じゃあなんで書いてるのかっていうと難しいけど……。
ただ、書かずにはいられなかったんだ。
ごめんなさい。
さて、話を戻すと、私と佐々丘さんは、喫茶店で話をしている。
「……で……、あの場所でめたもうを見たのは初めてだったの?
すごく驚いてたよね」
と佐々丘さんが無造作に聞く。
私が、そうです、と答えると、佐々丘さんは
「ふーん」
と言って、カチャカチャとコーヒーに入れたミルクと砂糖をかきまぜていた。
佐々丘さんという人は、すごく無造作で投げやりだ。
口は「へ」の字で真面目くさってニコリともしないのに、
コーヒーにはミルクも砂糖も入れるなんて意外とお茶目だ、
と私は内心おもしろがっている。
「私は四月に大学入って、来たばかりだから、
まだこっちではあまり見てないんです。
東京ではあれが初めてでした。
佐々丘さんは、あのエレベーターで何回ぐらい見たんですか?」
と、私は聞く。猫舌なので、まだカップを両手に包んだままである。
佐々丘さんは、コーヒーをひとくち飲みながら、
「ん?」
カップを口から離して、
「いや、……」
と言ってコーヒーカップを置き、湯気でくもった眼鏡を外してふきながら、
「僕は毎日見るよ」
と言って、目を細めた。ちょっと微笑んだようだった。
佐々丘さんは平然と言ったが、私は意外とショックを受けて、
佐々丘さんを含めた景色が、一瞬遠ざかるように感じた。
まぶしそうに細められている二つの目。
この目が、毎日めたもうを見るのか、と私は、
まじまじと見つめ返していた。
そんなふうに、今思うとあからさまに驚いている私を、
佐々丘さんはどんな気持ちで見ていたんだろう……?
私を、何も知らない子供を見るように、あわれんで見ていたのか。
驚いている私を、ざまあみろと思って内心笑いながら見ていたのか。
それとも、私の無邪気さや脳天気さを暖かく受け止めてくれたのか。
いろいろな複雑な気持ちが混ざり合って、でも穏やかな眼差しだった。