追及(5)
人には触れられたくない過去や、
触れられたくない思いがある。
そのことは分かる。
だから、それをあえて聞きたいと思うなら、
まず自分から語らなければフェアじゃない、
と私は思ったのだ。
「そう言えば、この前佐々丘さん、
私が捨て猫や捨て犬見るとほっとけないたちだろ、
って言いましたよね」
「ああ」
「私、昔は本当によく捨て猫や捨て犬を拾って来ちゃったんです。
そうすると母がものすごく怒るんですよね。
そんなふうに何にでも情をかけるのは止めなさいって。
もし見かけても、知らないふりをして通り過ぎなさいって」
「へえー」
「私が、でもかわいそうだよって反論すると、
かわいそうって気持ちにふたをして鍵をかけちゃえばいいのよ。
ガッチャンって。
そうしないと大きくなってから生きていかれないわよって。
そんなことを言うんですよ」
「ドライなお母さんだね」
「はい。冷たいなあって思ってたんです。
私に対しても冷たかった。
弟たちに対する態度とは全然違って、甘やかされなかった。
私だけいつも、お姉ちゃんでしょって言われて、
怖がっても一人きりで寝かされたりしてたんです」
「へえー」
「今思うと、母は私に、めたもうに対する耐性を
つけようとしてたのかなって思います」
「耐性?」
「私、母に嫌われてるんじゃないかって思っていて、
口には出せなかったけれどすごく不安だったんです。
だけど、母の考えがちょと分かったことがあったんです」
「何があったの?」
「昔、祖母を母が言い争っているのを聞いたんです。
祖母は母に、
”子供から目を離すとめたもうに取りつかれてしまうよ”
って注意してたんです。
そうしたら母は、
”私はそうやってお母さんにべったりくっついて育ったけれど、
そのせいで弱い子になっってしまった。
一度めたもうを見始めてからは、
お母さんなしではすぐめたもうを見るようになってしまった。
だから彰子には耐性をつけて、強い子にするんだ。”
って言ってたんです。
ああ、お母さんは、私のことが嫌いで側に寄せつけなかったんじゃ
なかったんだって、涙が出そうになりました」
「そうなんだ……。
ふん、……なるほど」
「でもそれを聞いた後でも、
やっぱり不安な気持ちは完全には消せなかったですね。
私が初めてめたもうを見た時は家族でハワイに行ってしまっていて、
私一人インフルエンザでおいていかれて、
それが今まで以上にものすごく孤独だったんですね。
私はお母さんに嫌われているんじゃないかって観念が
消しても消しても頭の中でぐるぐるしだして。
お母さんは私に、さみしさに対する耐性を
つけたつもりだったかもしれないけど、
実はついていなかったんです。
私は我慢してただけだったんです。
私は小さい頃から人一倍さみしがりやだったんですけど、
”さみしい”とか”怖い”とか言うと、
”そんな弱気でどうするの。しっかりしなさい。もう大きいんだから”
って言って怒るから、
だんだんとそういうことを言わないように、
我慢するようになってたんですね。
だから母も、私を一人にしても、もう安心だと思ってたのかもしれない」
「お母さんは杉浦さんにめたもうに対する耐性がついているって
思ってたんだね。
耐性っていうのはつまり、さみしさに耐えられるってこと?」
「母によると、人がさみしがったり孤独を感じたりすると、
その心の隙をついてめたもうがとりつくそうですけど……」
「それは新説だな」
佐々丘さんは含み笑いをした。
じゃあ佐々丘さんの説は?
と聞き返したかったけれど、聞かない。
「私がめたもうを見たのは、
インフルエンザの高熱の影響もあったと思います。
一旦めたもうが見えてしまったから、
後はくせになって見るようになってしまった」
「くせねえ」
佐々丘さんはまた薄笑いを浮かべて言った。
私から目をそらして、コーヒーカップを口に持ってきている。
違う意見があるなら言えばいいのに、
人のこと馬鹿にしてるみたいで感じ悪い。
どうしようか、言おうか。
「佐々丘さんはそうは思わないんですか?」
すると、佐々丘さんはちょっとびっくりした目で私を見た。
なんだか、悪意はなかったみたいなのだ。
なぜか、苦しそうなさみしそうな顔をした。
そしてまた目を反らすと、神経質にまばたきをしながら、
「いや、僕もそうだと思います」
と言った。
これはいったいなんなんだろう。
佐々丘さんのどういう感情の現れなんだろう。
よく分からない。
あわれみ?
願望?
”いや、僕もそうだと思いたいです。”
と、思っていたんじゃないかと、
ふと私の頭に閃いた。
初めてそんな予想をした。
”僕もそうだと思いたいです。”
それは何を意味しているんだろう?
分からないけど、
とりあえず話を続けることにした。
佐々丘さんも頑固だから、
話さないと決めたことはいくら聞いても話してくれない。
「……おかしいんですけど、
私がめたもうを見るようになってしまったことを
母に打ち明けたら、
…あっ、弱い子だって怒られるのが嫌で、
すぐには打ち明けなかったんですけど、
まあ、一ヶ月後くらいに打ち明けて。
そしたら、母はめたもうを捨て猫を同じ扱いするんですよ」
「え?」
「めたもうを見かけても見ちゃだめよ。
目を合わせるとついてくるから、
知らないふりして通り過ぎなさい。
心にガッチャンって鍵をかけて、
見なかったことにしなさいって」
「ははは」
「でも私はやっぱり見るのをやめられなかったんですよねー。
なんか、捨て猫を無視して、夜寝るときに、
窓の外でみゃあみゃあ鳴いてたりするじゃないですか。
私、あの声聞くとだめなんです。
かわいそうで、見捨てたことが申し訳なくて、
やりきれなくなって、頭から布団をかぶって聞かないようにする。
それと同じでめたもうも、
私しかめたもうを見れないのに私が見なかったら、
めたもう、夜に窓の外で泣いてるんじゃないかって思って」
「泣いてるんじゃないかと思って、か」
彼女が今頃泣いてるから行ってあげて、と私が言ったのを指している。
「だからめたもうをずるずる見続けちゃうんだなー」
「杉浦さん、感情移入激しいから」
「え?」
「その反対かな。自分の気持ちを相手に投影してるのか。
彼女が泣いてるから、っていうのは逆に、
自分が泣きたい気持ちだから、彼女もそうなんじゃないかと思う。
めたもうにしたって、もし自分だったら泣きたいから、
めたもうもさみしくて泣くんじゃないかと思う。
でも僕は、めたもうは杉浦さんとは違うから、泣いたりしないと思うな」
そう言われて、何だか少し目の覚める思いがした。
「杉浦さんのお母さんはめたもう見ないの?」
「母は、その無視戦法で克服したって言ってました」
「……強い」
「あはは」
「……じゃなくて、めたもうは克服できるものなのか?」
「うーん。どうなんでしょう」
佐々丘さんはちょっと黙った。
「僕は眼鏡をかけることでめたもうを遮断してきたけど、
眼鏡を外すと見てしまうよ」
「眼鏡は受動的だから、能動的に見ないようにすれば
見なくなるかもしれませんよ」
「そういうものかなあ……?
もしめたもうが見えなくなったとしても、
見えなくなただけでめたもうは相変わらず虎視眈々と
僕を狙っていると思う」
めたもうが佐々丘さんを狙う?
どうやら、私と佐々丘さんのめたもう観には相当の差があるようだ。
佐々丘さんはつい口を滑らせてしまったのをごまかすように、
ゆっくりとコーヒーを口に運んだ。
たぶんもう冷めてしまっている。
佐々丘さんの指が少し震えているのを私は見た。