喫茶店にて(4)
「ごめん。待たせた」
私は半分背中を丸めて座っていたのだが、
そんな私の左後ろに佐々丘さんが来て、
その手をテーブルについていた。
やっぱり佐々丘さんの爪は大きくて透明でとてもきれいだった。
佐々丘さんの手は骨ばっていて、
寒くて血がとどこおっているのか、
手の甲が青白かった。
その手首の骨の出っ張ったところの上に白いワイシャツで、
それから濃い灰色のスーツの袖。
その袖がしっとりと雨を含んで湿気を放っていた。
それらのことが、手を見るなり私の頭にぱっと入った。
そして私が顔を上げて左を見ると、
佐々丘さんが憔悴した顔で私を見下ろしていた。
佐々丘さんに再び出会った、という気がしていた。
そして、まるで、佐々丘さんも、
私に出会い直したような変な顔をして私を見下ろしていた。
いや、その時の私があまりに変な顔をしていたのかもしれない。
私には分からないが、私の顔を見るなり、
佐々丘さんは「やれやれ」とも「あーよかった」ともつかないような
ため息をついた。
そんなに私の顔色が悪かったのだろうか?
それは分からないが、とにかく佐々丘さんの髪は雨で濡れたようになっていて、
スーツの肩に緑の葉っぱが一枚張り付いていた。
佐々丘さんは私の隣に腰を下ろした。
「本当に待たせてごめん」
そう言うので、私はこらえたのだが、
手のひらに爪を立ててこらえたのだが、
熱い涙がじわじわとあふれてきて、
こぼれ落ちる前に指でぬぐわざるを得なかった。
それで、気づかれてしまった。
自分でもこんなことで泣くのが恥ずかしくて、
子供っぽくて恥ずかしいと思ったし、
感情的なところを見せたくないと思ったものの、
どうしようもなかった。
佐々丘さんがきまりの悪い思いをしているだろうと思って
謝ろうとしたけれど、
口を開くとかえって胸に込みあげてくるものを
こらえられなくなると思い、
口をぎゅっとつむんで
佐々丘さんを見ないようにして我慢していた。
佐々丘さんは、私が泣いているのを見ても、
驚かなかった。
予想していたかのように落ち着きはらっていた。
佐々丘さんは、私にこう話しかけてきた。
「今流れてるのって何て曲か知ってる?」
「え?」
もう曲なんて聞いていなかったから。
注意する。
「あ……、ジェーン・バーキンのラクワボニスト。無造作紳士」
「この歌いい歌だね。意味は知らないけど」
「……確か、ア・クワ・ボン(a qoi bon)っていうのが、
何にもならない、とか、無駄だ、っていう意味で、
……そのア・クワ・ボンが口癖の恋人のことを歌っている歌です。
……私、第二外国語はフランス語を取っていて、
好きな歌の歌詞を辞書で引いたりしていて……」
なんか、突然、全然佐々丘さんの遅刻と
関係ない話をしている。