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間に合えば、どの道でも

「あー良かった」

その人の第一声が、それだった。

急坂の頂上にある大学で出張の仕事を終え、

GOアプリでタクシーを呼ぼうとした、その時。

ふと顔を上げると、

そこに俺のタクシーが見えたのだという。

「金沢駅まで」

その言葉を聞いた瞬間、

胸の奥が、すっと軽くなった。

金額のことだけじゃない。

行きで送って、

帰りで迎える。

無駄がない。

遠回りもない。

タクシー稼業として、

これ以上きれいな流れはない。

「ありがとうございます。

私としても、ちょうど行きたかった方向なんです」

バックミラー越しに、

お客様の表情を確かめながら、そう声をかけた。

バックミラーの奥で、

その人は何度も時計に目を落としていた。

「お急ぎですか?」

俺は、そう声をかけた。

「十三時〇七分の新幹線に、乗りたいんです」

お客様は、そう答えた。

残りは、約五十分。

駅へ戻れる時間だ。

――理屈の上では。

だが、ルーキーの俺の頭には、

最短の線が、まだ引けない。

俺は、正直に話すことにした。

「実は……

タクシーに乗り始めて、二日目なんです」

一拍、置く。

「駅までは行けます。

ただ、最短のルートは、まだ分かっていなくて」

言い訳は、しなかった。

ただ、事実だけを並べた。

お客様は、少し驚いたような顔をして、

それから、ふっと力を抜いた。

「間に合えば、

どの道を行ってくれても構いません」

救われたような気持ちになって、

俺は「ありがとうございます」と答えた。

登ってきた急坂を、そのまま下る。

ローソンへ向かうように、右折。

タクシーを走らせ、

永安町の信号が見えるところまで来た。

この信号で、道は二股に分かれる。

右は小立野。

左は笠舞。

どちらも、駅へと続く道だ。

残り時間は、四十五分。

乗せたばかりの頃は、

焦りのせいで時間の感覚が狂っていた。

だが――

ここまで来れば、もう分かる。

どちらを選んでも、

絶対に、間に合う。

安心した俺は、

バックミラー越しにお客様を見て、言った。

「ここまで来たら、大丈夫です。

十五分前には、駅に着けると思います」

同時に、

右の小立野から行った方が早いと、腹に落ちた。

「右の小立野の方面から行こうと思います」

お客様に、そう告げた。

その瞬間、

さっきまで張りつめていた空気が、

一気に軽くなった。

こうなると、俺は少し饒舌になる。

「右手に見えるのが浅野川。

左が犀川です」

走りながら、続けた。

「今、走っているここは小立野台地で、

二つの流れに挟まれて、できた場所なんです」

「この道は、兼六園まで続きます」

お客様が話しやすい人だから、

俺も、つい話し込んでしまう。

石引の信号で止まった時、

信号の上の案内に目をやりながら、続けた。

「このあたりを、石引って言います。

前田利家公が金沢城を築いた頃、

石垣の石を、後ろの戸室山から引いてきた。

それが名前の由来だそうです」

「……お土産、買う時間あるかなぁ」

お客様の、そんなつぶやきが聞こえた。

タクシーの斜め前を、

ちょうど一台のバスが走っている。

その後方に、

辻口博啓の

雪吊りの広告が貼られていた。

その広告を眺めながら、

ふと、昔のことを思い出す。

横浜に住んでいた頃、

お土産にこれを買って帰ったことがある。

あの時は、ずいぶん喜んでもらえた。

「それ、

喜んでもらえましたよ」

俺は、そう声をかけた。

石引の道を、タクシーは走る。

右手に医療センター。

正面に、兼六園。

俺は、

ここから見える風景が好きだ。

とくに、

医療センターの建物をぐるりと囲む、

あの土壁。

初めて見た時から、

すごいと思っている。

そのことを、

俺はお客様に話した。

お客様も、

長町武家屋敷跡の

長土塀を知っていて、

「向こうも凄かったけど、

こちらも凄いですね」

そう言って、感心してくれた。

その言葉を聞いて、

俺は少しだけ、誇らしい気持ちになった。

兼六園下を抜け、

大手堀。

近江町市場の前を通り、

正面に、金沢駅の鼓門が見えてきた。

残り、二十分。

信号待ちが重なって、

車の流れが、ほんの少しだけ鈍る。

――そういえば、

お土産を買いたいと言っていたな。

お客様は、まだ手ぶらだ。

ここで降りた方が、きっと早い。

「この辺りで降りた方が、

お土産は買いやすいと思います」

そう、伝えた。

駅前の噴水の時計は、12:51。

正面の信号は、赤。

俺はタクシーを左に寄せ、

お客様を降ろした。

降り際、

お客様は少し笑って、こう言った。

「本当に、楽しかったです。

観光タクシーに乗っているみたいでした。

頑張ってください」

お客様の、その一言が、

本当に嬉しかった。

――観光タクシー。

資格を、取ろう。

そう、決めた。

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