弱い月の、強い一枚
2月2日、月曜日。
初めて迎える月初め。
そして、週の始まり。
ニッパチと呼ばれる月の一つだ。
弱いのだろう。
そんな気はしている。
それでも、何かあるんじゃないか――
そんな期待も、どこかに残っていた。
3:53に起きた。
布団の中で、のんきが丸くなっていた。
俺の愛犬だ。
俺が身じろぎすると、
眠そうな目だけを開いて、こちらを見る。
何も言わない。
ただ、起きる時間だと分かっている顔だった。
昨日は野々市のポカポカ湯でサウナに入った。
身体の調子は悪くない。
むしろ、よすぎるくらいだ。
のんきの頭を一度だけ撫でて、
布団を出た。
5:19出庫。
みぞれ混じりの雪。
積もるほどではないが、確実に濡れる。
俺は制服の背広をやめて、MA-1を羽織った。
こういう判断ができる日は、だいたい頭も回っている。
5時台は、何も起きなかった。
街は静かで、タクシーだけが無駄に走っている。
出張組も、通勤組も、まだ眠っている。
これは“捨て時間”だと割り切るしかない。
6:22、GOが鳴った。
野々市蓮代寺。
少しだけ、期待する。
ナビに従い到着すると、HOTEL sora・ma。
――が、発地はラブホテルだった。
嫌な予感は、だいたい当たる。
連絡は取れない。
定型文を送っても、反応なし。
すぐそばにはパチンコusa。
パチンコで大勝ちして、
風俗で遊んで、
そのまま朝帰りか?
そんな邪推が、頭をよぎる。
待つだけ無駄だと判断して、キャンセル。
朝一発目のキャンセルは、地味にくる。
腹の底に、じわっと嫌なものが残る。
こういう客に限って、
「呼んだ側」だという自覚が、まるでない。
切り替えるしかない。
野々市から有松方面へと向かう。
6:53、GOが鳴った。
泉野出町。
今度は70代の男性だった。
小振りなカートを引いている。
金沢駅。
新幹線。
旅行か、出張か。
そんなことを、
ハンドルを握りながら、
自然と考えていた。
後部座席のドアが閉まる。
「金沢駅まで」
短く、はっきりした声だった。
年齢はGOの情報で知っていた。
だが、実際に目にすると印象が違う。
背筋は、ぴんと伸びている。
無駄な動きがない。
言葉も、視線も、鋭い。
――ああ、出来る人だ。
理由は分からない。
ただ、そう感じた。
駅まで。
新幹線。
その先には、移動の時間がある。
何もせず、窓の外を見る時間。
本を読む時間。
俺は、
自分の書いている小説を、
多くの人に読んでほしいという願望がある。
新幹線に乗っている間にでも、
読んでもらえたら――
そう思った。
ポケットから名刺を取り出す。
小説を読もう、に飛ぶQRコード。
それだけを載せた、自分の名刺だ。
「もし、よかったら」
押しつけにならないように。
でも、逃げ腰にもならないように。
その人は名刺を受け取り、
しばらく目を落とした。
「面白いですね」
そこから、会話が動き出した。
仕事の話。
人の話。
言葉の端々に、
現場を知っている人間の感触がある。
「実は、
これから東京で講演がありましてね」
淡々とした口調だった。
肩書きを誇るでもなく、
隠すでもない。
法律の話。
税の話。
土地や建物の話。
それぞれに、
国家資格という看板を背負った
“士”のつく仕事がある。
その人は言った。
それらは、
いずれ形を変えるだろう、と。
AIに置き換わるのではなく、
AIと組み合わさって、
別の仕事になるのだと。
否定でも、警告でもなかった。
ただ、現実を見据えた言葉だった。
――ああ、
この人は、
ずっと先の時間を生きている。
そう思った。
タクシーを降りる時、
その人は少しだけ立ち止まり、
「私も」と言って、
自分の名刺を差し出した。
さっきの名刺とは、
重さが違った。
それが、
俺にとって初めての名刺交換だった。
朝イチのキャンセルで、
腹の底に残っていた
クソみたいな気持ちは、
その一枚で、きれいに消えた。
認められた、
……なんて言葉は大げさかもしれない。
でも、
そう感じてしまったのは、確かだった。
気づけば、
嬉しくて、
少しだけ楽しい気持ちになっていた。
――家では、
今ごろのんきが、
もう一度布団に潜り込んでいるはずだ。
今日は、
何もない日じゃなかった。




