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八百円

BanBanから駅。

駅から、またBanBan。

味をしめた俺は、

その夜、何度も往復していた。

駅で乗せ、

片町で四人のお客様を降ろし、

迷わず、もう一度BanBanへ向かう。

ライブ終わりの余韻は、

まだ街に残っている気がした。

鱗町の交差点。

信号が赤に変わり、

ブレーキに足を乗せた、その時だった。

反対車線から、

一本の腕が挙がった。

シルエットは二つ。

俺は、

Uターンできるかを一瞬で測り、

前後の安全を確認した。

その瞬間だった。

二人は、

ためらいなく、

俺の方へ駆けてきた。

――危ない。

その二人は、

外国人のカップルだった。

文化の違い、

なのかもしれない。

そう内心で思いながら、

俺は一瞬、

判断を先送りにした。

ドアを開け、

二人を車内に招き入れる。

その時、

ほんの少しだけ、躊躇した。

――英語が、話せない。

男性の方が、

英語で何かを尋ねてきた。

たぶん、

「英語は話せるか?」

そう聞いたんだと思う。

俺は一拍置いて、

日本語で答えた。

「ごめんなさい。

 英語、話せないです」

通じたかどうかは、分からない。

でも、

こちらの困りごとは伝わったらしく、

男性は短く「OK」と言った。

そして、

自分のスマホを取り出し、

翻訳アプリを操作する。

画面をこちらに向けて、

そこに表示された日本語を見せてきた。

「レストランに行きたい。

 いい場所を、知らないか?」

画面を見た瞬間、

頭の中が一度、空になった。

まだ、この街の店を

胸を張って案内できるほど、

俺は詳しくない。

考えて、

考えて、

それでも浮かんだのは、

自分が何度も通っている、

行きつけの店だけだった。

俺は少し間を置いて、

ゆっくりと言った。

「僕の知り合いの店でも、いいですか?」

二人は顔を見合わせ、

小声で相談する。

それから、

そろって頷いた。

頭に浮かんだのは、

石引にある、あの店だった。

――今日は、月曜日だ。

嫌な予感がして、

店に電話をかける。

出ない。

休みか。

一瞬、

本気で焦った。

どうする。

どうすればいい。

そこでようやく、

俺は気づいた。

――何が食べたいか、

聞いていない。

俺は相手の目を見て、

知っている単語を、

一つずつ口にした。

「ジャパニーズ。

 チャイニーズ。

 イタリアン。

 それとも、フレンチ?」

二人は再び顔を見合わせ、

短く相談する。

やがて、

彼女の方がこちらを見て、

はっきりと言った。

「ジャパニーズ」

少し落ち着いてきた俺は、

ハンドルを握りながら考えた。

観光で来た二人が、

この街に求めているもの。

それは、

写真に残る景色だけじゃない。

白身の魚。

甘い海老。

それに合う、冷えた酒。

言葉が通じなくても、

同じ皿を囲める場所。

俺は、

小さくつぶやいた。

「……居酒屋」

その言葉に、

二人はすぐ反応した。

「居酒屋」

その発音を聞いた瞬間、

この夜は、

きっと大丈夫だと思えた。

その時、

ふと、数日前の光景が浮かんだ。

夜の柿木畠。

落ち着いた佇まいの居酒屋。

そこへ向かう途中、

後部座席にいた、

身なりのいい男性の、

バックミラー越しの目線。

――あの店だ。

雰囲気も、

料理も、

きっとこの二人に合う。

俺はウインカーを出した。

男性が、

料金のことを少し気にしているのが、

雰囲気で伝わった。

俺は指先を少し開いて、

「リトル」と言った。

男性は、

「OK」と返した。

鱗町を左折し、

MROの前を通過する。

兼六園下を左折し、

市役所前を左折。

柿木畠に入り、

居酒屋みなとに着いた。

女性がカードで会計を済ませている間、

男性は先に降り、

店の中をちらりと見て、

こちらに視線を向けた。

――いい店だ。

そう言っているのが、

言葉がなくても分かった。

「ドウモ。

 アリガト」

親指を立てて、

そう言ってくれた。

俺も、

軽く頷いた。

メーターを戻す。

八百円。

タクシーを発進させる。

金額は軽い。

それでも、

無事に二人を送り届けられたことが、

胸に残った。

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