分母を増やすな
失った時間は、たった十五分だ。
そして今日は、やはり、強くない日だ。
焦りで熱くなっていた頭が、
ゆっくりと冷えていく。
まずは、
町のリアルを知る。
俺は武蔵を抜け、
実績の多いホテル野々の前を流す。
そのまま香林坊を通り、
片町のスクランブル交差点へ向かった。
昼とは、まるで違う顔だ。
人は、確かにいる。
だが――
多くはない。
金沢の夜は、嘘をつかない。
特に雪の日は、
人の数が、そのまま街の体温になる。
片町だけが、
かろうじて息をしている。
それでも、
賑わいと呼ぶには足りない。
そこで、俺は気づく。
前掛けをした人間が多い。
居酒屋の客引きが、やけに目につく。
通りを歩く客より、
呼び止める側の方が多い。
――なるほど。
人が集まっているんじゃない。
集めようとしている。
この夜は、
街が強いんじゃない。
店が必死な夜だ。
スクランブル交差点に目を向ける。
タクシーが、列を作っている。
野町方向に頭を向けた車。
武蔵方面へ構える車。
長町へ流れようとする車。
笠舞方向を意識した車。
どの方向も、
すでにいっぱいだ。
その時、
ラジオの声が午後九時を告げた。
――九時。
俺は、考える。
数少ない客は、今、どこにいる?
まだ、
店の中じゃないか。
頭の奥で、
昔の記憶がよみがえる。
池袋で、キャバクラの黒服をしていた頃だ。
雨の日、
客は決まってこう言った。
「タクシー呼んで」
人は、
雨が嫌いだ。
寒いのも、嫌いだ。
雪の中に、
わざわざ立つだろうか。
――いや、立たない。
なら、
どうする。
店に呼ばせる。
あるいは、
GOで呼ぶ。
外で拾う客は、
ほんの僅かだ。
その僅かな客を、
ここにいる大量のタクシーが狙っている。
確率が、低すぎる。
分母を、増やしちゃいけない。
そう思った瞬間、
俺はスクランブル交差点を左折した。
片町を、背にする。
ネオンの方へは行かない。
人が集まっている“らしい”方へも向かわない。
今いるここは、
タクシーが多すぎる。
判断が遅れた車が、
みんな同じ場所に溜まっている。
ここに留まれば、
俺もその一台になる。
それだけは、避けたかった。
それでも――
片町から、完全に目を逸らす勇気はなかった。
バックミラーの奥で、
ネオンがまだ瞬いている。
あそこに客がいないと、
言い切れるほど、俺はまだ強くない。
背を向けた。
だが、見捨てたわけじゃない。
俺は片町を視界の端に残したまま、
流れだけを外した。
幸町で、車を止める。
エンジン音が、少しだけ落ち着く。
ここは、
片町から一歩外れた場所だ。
近すぎず、遠すぎない。
分母に加わらず、
それでも関係は切らない距離。
俺は、ハンドルを切った。
Uターンする。
車の頭を、もう一度、片町へ向ける。
突っ込むためじゃない。
様子を見るためだ。




