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第7節 陽動作戦、現場は語る

「あつぃ」

 午後2時。外はいかにも日本の夏の象徴とも言えるセミの鳴き声が鳴り響いていた。クーラーの効いた生徒会室から急に外の熱風を浴びると、余計に暑く感じる。声に覇気もなくなってくる。

 私立嵯峨ノ原高校には「みどりを大切にしよう」という、いかにもありきたりなスローガンが掲げられており、そのスローガンを実践するためか、校舎の外周には杉や欅などの木々がそれなりに植えられている。おかげで、校舎から武道館へ向かう短い渡り廊下でも、多少は直射日光を避けられるのが救いだ。

「今日は警察はいませんね」

 松戸が指摘したように、駐車場には警官はいない。昨日体育館にいた二人組の刑事もいないようだ。

「武道館に入れるといいが……」

 武道館には、黄色い規制線が張られ、その前には制服警官が一人佇んでいた。どうやら正攻法で行っても入ることはできなそうだ。

「松戸……体調を崩してくれ」

「……なるほど」

 松戸はニヤリと笑みを浮かべた。どうやら意図が伝わったようだ。

 三鷹は「どういうことですか」と理解していない様子だったが、「そのうちわかる」と適当にあしらった。

 松戸はお腹をさすりながら警官の前に行き、そこで倒れた。警官は「大丈夫か!」と大声で叫びながら松戸に駆け寄った。何回か会話を挟んだ後、松戸は警官とともに歩き始めた。

 普段の歩くスピードだと往復約5分。いつもより遅く歩けば、もって10分くらいだろう。私は隣を通過する松戸に両手でパーを出し、「10分粘ってくれ」という合図を送った。

「では、入ろうか」

「え? 勝手に入っていいんですか? え? 松戸先輩は、え? あ、ちょ部長!」

 三鷹は目の前で起きている状況に理解が追いついていないようで、私を制止しようとした。スクープが大好きな割には、意外と常識があるようだ。

 もちろん、普通なら入ってはいけないのは分かっている。しかし、今は情報を得ることが先決だ。警官がいない今のうちに調べられるところは調べておきたい。

「大丈夫だ、責任はすべて私がとる」

 武道館のドアを開け、中に入った。中はクーラー効いていない上に換気もされていないため、とても蒸し暑い。まるでサウナにでもいるようだった。

「三鷹。写真を撮っていてくれ」

「あ。はい。了解です」

 ようやく状況を理解したのか、それとも暑さで頭が回らないのか、三鷹は急におとなしく私の指示に従った。

 我々はまず、遺体が発見された一階の教官室へと足を踏み入れた。ドアは開け放たれたままで、ここには普段もカギはかかっていない。

「藤沢はここで倒れていたのか」

 床には、まだうっすらと血痕が残っていた。テープで描かれた人型の跡が生々しい。壁際には、柔道部と剣道部の顧問が共用で使っているであろう机と椅子、そしてキャビネットが置かれている。

 壁にはカギ置き場があり、そこに柔道場と名札がついたカギが置いてあった。流石にカギ置き場は、普段施錠されている。他に特段得られるものはなさそうだ。

「では、剣道場に行こうか」

「二階へ行こう。殺害現場は、剣道場のはずだ」

 教官室を出て、薄暗い階段を上る。踏みしめるたびにギシギシと音を立てる床板が、この建物の古さを物語っている。階段の数カ所にも微かに血痕が残っていた。それは、引き摺られたような線状のものではなく、点々とした、まるで滴り落ちたような不規則な形をしていた。

 二階の剣道場へ続く扉は、右側だけが開かれていた。本来はスライド式の大きな扉だが、かなり前から左側の扉が故障しており、開閉できない状態になっている。そのため、現在は右側の扉のみが出入り口として使われている。まあ、片側の扉だけでも幅は約1メートルほどあり、人が通るには十分な広さがあるため、修理を急ぐ必要性を感じていなかったのだろう。

「ここが殺害現場か……」

 剣道場に足を踏み入れた瞬間、三鷹が息を呑んで呟いた。板張りの床には、教官室よりもさらに広範囲に、そして濃く、血の痕跡が残されていた。特に、道場の中央やや右寄りの位置には、大きな血だまりの跡があり、そこが藤沢くんが最初に襲われた場所であることを示唆していた。その血だまりのすぐそばには、凶器の一つとされる竹刀が無造作に転がっていた。先端部分には、乾いた血が黒くこびりついている。

 壁際に設置された竹刀置き場に目をやると、何十本と並べられた竹刀の中で、一本だけ血が付着しているものがある。生徒会からの情報通りだ。なぜ、犯人はわざわざ血のついた竹刀をここに戻したのか。

 床をよく見ると、血溜まりのあった場所から、この竹刀置き場まで、点々とした血痕が続いているのが確認できた。恐らく、この血のついた竹刀を竹刀置き場に置く際に垂れたものだろう。

 私たちは、他にトリックに使えそうなものがないか、床、壁、天井、そしてドア周りを注意深く観察した。釣り糸のようなものが張られた形跡や、ドアの蝶番や鍵穴に細工が施されたような痕跡は見当たらない。窓も全て固く閉められており、外部から侵入した形跡もなかった。ごくありふれた、何の変哲もない剣道場。しかし、ここで確実に、藤沢の命は奪われたのだ。

「……さて、このくらいか」

 私は額の汗を拭いながら呟いた。だが、自分の目で現場を確認できたことは大きい。文字情報だけでは得られない、現場の空気、匂い、そしてそこに残された「何か」を肌で感じることができた。

「危険を冒した割には、あまり収穫はありませんでしたね」

「いいや、それはどうかな。現場の生々しい写真が撮れたのは、大きな収穫だろう。何より生徒会の情報が正しいということを確認できた」

 三鷹は、カメラのレンズを床の血痕に向けたまま、険しい表情で聞いていた。

「そろそろ松戸が限界だろう。戻ろう」

 武道館を出たときには、二人とも汗で道着が肌に張り付くほど濡れていた。じりじりと照りつける太陽が、先ほどよりも一層強く感じられる。

 保健室でぐったりとした(演技の)松戸と合流し、我々は部室へと戻った。

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