第6節 不可能犯罪
翌朝。新聞部の部室に、太陽光が斜めに差し込んでいる。約束の午前9時を30分以上過ぎた頃、ようやく部員全員が顔を揃えた。どうも、うちの部員たちは朝に弱い人間が多いらしい。定刻通りに到着したのは、悲しいかな、私と松戸だけだった。
今日は休校日であるが、私立嵯峨ノ原高校の報道機関である新聞部と生徒内組織である生徒会本部は今日も活動をしている。生徒会はともかく、新聞部は普段休みの日は仕事をしないがモットーであったが、この例外的な日はその暗黙の了解は機能を果たさない。断じて普段からブラックな部活などではない……と信じたい。
「さて、まずは昨日の成果報告からといこうか」
パイプ椅子を中央の長テーブルを囲むように並べ、私は切り出した。昨日の午後は、それぞれが手分けして情報を集めた。まずは、私と松戸が得た情報を共有する。剣道部部長・佐渡の憔悴しきった様子、被害者・藤沢の人となり、剣道への真摯な情熱。
「なるほど、被害者の藤沢くんは非常に真面目で、部活熱心な生徒だった、と」
三鷹が、メモを取りながら冷静に情報を整理していく。さすが、ポイントを押さえるのが早い。
「こっちで得られたのは、そのくらいだ。そっちはどうだった? 校長先生には会えたのか?」
私は荒川たちに尋ねた。
「それがですね、部長……校長先生、めちゃくちゃ疲弊してて、結局、取材は断られちゃいまして……」
「そうか……。まあ、仕方ないな」
少し落胆したが、想定の範囲内ではある。
「ですが、先輩たち、驚かないでくださいよ!」
荒川の言葉を引き継ぐように、久留里が声を弾ませた。
「私たち、なんと! 防犯カメラの映像を入手したんですよ!」
「!!……防犯カメラ映像なんて、どうやって?!」
「実はですね、布留川先生がたまたま事務室にいらっしゃって、事務長に交渉してくれたんですよね」久留里は得意げに説明した。
またあの顧問か……。何か裏があるような気もするが、今は結果オーライとしよう。
「早速、中を見てみましょうよ! 何か写ってるかもしれません!」
荒川が、久留里から受け取ったUSBメモリを、部室に一台しかない共用のノートパソコンに挿し込み、映像ファイルを再生し始めた。画面には、昨日の日付が入った、見慣れた学校の正門付近の映像が映し出される。
事件があった昨日の夕方から夜にかけての映像を早送りで確認していく。下校する生徒たちの姿が次々と映し出されるが、特に怪しい動きをしている人物や、見慣れない部外者の姿は見当たらない。これで外部犯の可能性は、限りなく低くなったと言えるだろう。
「夜8時以降はもうほとんど人はいませんね」
本来なら今日から一学期期末テストが始まる予定だったため、生徒の大多数は学校が終わるとすぐに帰っていた。とはいえ、文武両道を掲げる我が校において、勉強熱心の一部の生徒が少なからずいる。授業が終わる3時半から最終下校時刻の8時の間まで、学校で勉強をしてから帰るというふうに。
「もう一度、午後から再生してみてくれないか。剣道部員の行動を知りたい」
久留里は「はい」と返事し、再生ボタンを押した。
「……あ、佐渡部長だ」
荒川が声を上げた。時刻表示は午後4時17分。佐渡は他の部員らしき生徒数人と一緒に、少し疲れたような表情で歩いている。
さらに映像を進める。川崎からもらった剣道部員の写真と照合しながら、確認していく。すると、ほとんどの部員は4時から5時の間に帰っていた。
「あと、まだ下校していないのは……」
「ん……今の、上尾じゃないでしょうか?」
三鷹が画面を指さす。時刻は午後7時41分。一人でやや足早に校門を出ていく上尾の姿があった。少し俯き加減で、表情は読み取りにくいが、肩には大きな袋がかかっている。何か重い物を入れているのだろうか。
「あ、鶴岡先輩ですよ」
今度は久留里が声を上げた。時刻は午後7時52分。鶴岡も一人で校門を出ていった。トレードマークの赤いロゴとともに綺麗な白い靴が目立っていた。
「葉山先輩と茅ヶ崎先輩だ。結構遅かったんだな」
荒川が再び声を上げる。午後7時48分。やや眠そうな表情で校門を出ていった。葉山のリュックはたくさんの荷物が詰まっているのか、他の人に比べてやや大きいように見える。茅ヶ崎は竹刀袋を背負っている。
「……これは、堺副部長ですね。かなり遅い。20時09分です」
松戸が、映像の隅に映る落ち着いた足取りの人物を指さした。他の生徒がほぼいなくなった時間帯に、一人で校門を通過していく堺の姿があった。肩には竹刀が入っているような袋を担いでいた。堺も鶴岡と同じ靴を履いていた。多少汚れているが、同じ赤いロゴが見えた。
一通り映像を確認し終えると、松戸が静かにまとめた。
「佐渡部長を除く5人が午後7時40分以降に下校していますね。上尾が7時41分、鶴岡が7時52分、葉山と茅ヶ崎が7時48分。堺が8時09分。 いずれも藤沢くんの死亡推定時刻の間、学校にいたことになりますね」
「映像を見る限りでは、特に誰が怪しいという判断はつかなそうだ……」私はそっと呟く。
「彼らが藤沢くんとどんな関係だったのかとか……直接、話を聞ければ一番早いんですが……」荒川が嘆く。
「今日も休校ですからね。部員に接触するのは難しいかも……。警察はどう動いているのか……あるいは、生徒会なら、昨日の警察の事情聴取の内容をもう少し詳しく把握しているかもしれない……」
三鷹が次の手を推考する。
「ああ。そうだな。警察に接触するのはリスクが高い。だが、生徒会なら、昨日の警察の事情聴取の情報が入っている可能性がある。行ってみる価値はあるだろう」
今は、入手可能な情報源を最大限に活用するしかない。防犯カメラ映像だけでは、決定的な証拠とは言えない。アリバイのない者が複数いる状況は変わらない。
時計はもうすでに午後1時を回っていた。我々は生徒会室へ向かうことにした。
生徒会室の扉をノックすると、中から「はーい」という明るい声と共に、斎藤朱莉が顔を出した。
「あ、高崎先輩だーー。それと、新聞部の皆さん。やっほーー。今日も聞き込みですか?」
彼女は、いつも通り屈託のない笑顔だ。この状況でも、その明るさは変わらないらしい。
「ああ。斎藤さん。今日も会長に用があってね。会長はいるかな?」
奥の会長専用のイスは空席だった。役員の仕事エリアに副会長の日野と高梨がパソコンに向かって仕事をしていた。普段の斎藤は、この雰囲気の中仕事をしていて、気まずくないのだろうか。
「会長はいないけど、他は全員いるよーー」
「ん? 新聞部か。今日はどうしたんだ?」
日野が反応した。
「ただの聞き込みですよ。今日は休校でして、聞き込み先がここと校長くらいしかないんですよ」
「なるほど。だが、残念ながら話すことはないんだ。部室に帰んな」
犬猫のような扱いで、追い払おうとした。しかし、ここで帰っても仕方がない。
「日野副会長。あなたのネタは他の皆さんよりたくさんありますよ。これらを速報紙として出してもいいのなら、今日は帰りますが……」
スクープ大好き三鷹が挑発をした。日野のネタなら、三鷹のほうが持ってそうだ。私と松戸が引退した後も新聞部は安泰そうでよかった。
「例えば、どんな?」
怪訝な顔をしながら、三鷹を見つめた。
「例えば……日野副会長は一年前、彼女さんがいらっしゃいましたよね。その時に他の……」
「わーーーわーーーわかった。わかった。この場でバラさないでくれ。頼む」
急に大声で三鷹を必死に制止した。「安心してください。公表しませんよ」と三鷹は飄々と言う。
日野は「くそ」と呟き、我々を生徒会室内に招き入れてくれた。
我々は相変わらず高級感あふれるワインレッドのソファに腰掛けた。日野と斎藤は自身のイスにそれぞれ座った。
「昨日、体育館で警察による事情聴取が行われていたようですね」
私が話し始める。
「そこで得られた情報は、もうすでにあなた方の耳に入っていると思いますが、お話願えますか。普段犬猿の仲ではありますが、こういう緊急時くらいは助け合っていきましょう。こちらもできる限り情報をお伝えしたいと思います」
日野はしばし考え、ため息をついた後に口を開けた。
「警察と共有したことを話そう。さて、何から聞きたい?」
「では、当日の各自の動きについて知りたいですね。事件当日の午後、武道館に近付いた人、もしくは、施設内に入った人はいましたか?」
三鷹が話に割り込んできた。
「ああ、一人だけいる。顧問の多部だ」
「多部は、事件当日の午後8時ちょうどに武道館に行ったと証言している。藤沢に貸したカギを取り戻すためだそうだ。普段なら、藤沢は自主練が終わればすぐに鍵を多部のもとへ返しに来るらしいんだが、その日は来なかった。だから、藤沢が先に教官室に鍵を返したのかもしれないと思って、教官室を確認しに行ったらしい」
「それで、鍵はあったのですか?」
松戸が尋ねる。
「いや、なかったそうだ。それで、藤沢がまだ剣道場にいるのか、あるいは鍵を持って帰ってしまったのか確認しようと、二階の剣道場にも行ったらしい。だが、その時には、剣道場の扉はすでに閉まっていたそうだ」
「閉まっていた……? 鍵が掛かっていた、ということですか?」
「ああ、そういうことだ。多部は、藤沢が鍵を持って帰ってしまったのだろうと判断し、諦めて武道館全体の施錠をして帰宅した、ということだ」
昨日の取材のときに聞きそびれた内容が降りかかってきた。午後8時の時点で、剣道場の扉は施錠されていた。
「帰る際に、多部先生は武道館の玄関の鍵を掛けた、と?」
「ああ。そして、翌朝6時半に、当番だった神崎教頭が武道館の鍵を開けに来た時には、間違いなく施錠されていたと供述している」
本校には教頭先生が二人いる。一人は新聞部に友好的な中年の幣原教頭。校長派であると聞く。もう一人は今出てきた神崎教頭。彼はまだ30代と若く出世頭だ。理事長派だからか、それとも彼の元々の性格か、新聞部には非友好的である。少し厳しいイメージがある。
朝に学校のカギを開けるのは教頭の仕事になっている。事件当日は神崎の当番だったのだろう。
「えっと、整理させてください」
荒川が喋り始める。
「つまり、多部先生が夜8時に確認した時点で、剣道場のドアは施錠されていて、教官室には鍵も藤沢くんの遺体もなかった。そして、多部先生が武道館全体を施錠して帰宅した。翌朝、神崎教頭が開けるまで、武道館は完全に外部から閉ざされていた……そういうことですよね?」
日野が頷く。
どういうことだ? ここで一つの疑問が脳裏によぎる。
「え? じゃあ、一体どうやって……?」
三鷹が呟いた。
「夜8時の時点では教官室に遺体はなかった。でも、朝には教官室で発見された。その間、武道館はずっと施錠されていた……。まるで、密室の中で遺体が瞬間移動したみたいじゃないですか!」
荒川が信じられないといった表情で言う。
「まさか、多部先生が見間違えたとか……?」
「いや、警察もその点は確認したが、多部は『暗かったが、人影も物音もなかった』と断言しているそうだ。それに、教官室の鍵置き場に剣道場の鍵がなかったことも確認している」
日野が否定する。
「……密室」
松戸が静かに呟いた。
「外部からの侵入も脱出も不可能。内部に犯人が隠れていたとしても、朝までどうやって発見されずにいたのか……。それに、佐渡部長の証言では、発見から警察到着まで誰も出入りしていない」
「剣道場のカギは、最終的にどこにあったんですか?」
私は改めて確認した。
「教官室で倒れていた藤沢が、右手で強く握りしめていたそうだ」
外からしか施錠できない剣道場の鍵を、被害者自身が握っていた。そして、夜8時には存在しなかった遺体が、施錠された武道館の1階教官室に朝になって現れた……。
「『不可能犯罪』……ですね」
久留里が、今度は少し興奮したように、しかし冷静な声色で言った。
「でも、現実に不可能な犯罪なんてありえません。必ず、どこかにトリックがあるはずです。」
三鷹が指摘した。
「もしや、我々が知らない抜け道や隠し通路が武道館にあるとか……?」
荒川が突拍子もないことを言い出す。
「そんなものがあるとは思えませんが……」
松戸は冷静に否定する。
「閑話休題。トリックについては、一度冷静になって考え直しましょう」
私は議論を一度打ち切った。
「それよりも、犯人の可能性についてです。昨日、我々は防犯カメラ映像を入手し、確認しました」
「えーー。生徒会でもまだ正式には貰えてないのに……。新聞部、恐るべしですね」
斎藤が素直に驚きの声を上げる。日野は少し苦々しい顔をしている。
「その映像を確認した結果、外部犯の可能性は極めて低いと判断しました。やはり、内部犯、それも剣道部関係者の中に犯人がいる可能性が高いと考えています」私は確信を込めて言った。
「そこで、改めて伺いたいのですが、昨日の事情聴取で、剣道部員の中で特に怪しいとされた人物はいませんでしたか?」
日野の目が鋭くなった。彼は少し迷うそぶりを見せたが、やがて口を開いた。
「……まずは第一発見者の佐渡。それから、剣道部関係者の中で藤沢の死亡推定時刻内で下校した者が5人いる。3年の堺、葉山、それから茅ヶ崎。2年の上尾と鶴岡だ。動機やアリバイは調査中だが、彼らが物理的には犯行可能だったと見ている」
なるほど、先程防犯カメラ映像で確認した彼らを警察も疑っているのか。
「まず、佐渡部長ですが……」
松戸が静かに口を開いた。
「第一発見者であり、藤沢くんの死に最もショックを受けているように見えます。しかし、その立場を利用した可能性もゼロではありません。例えば、部長としての何らかの重圧、あるいはチーム内の力関係を巡る葛藤から、藤沢くんの存在が障害になった…という深層心理があったと仮定すれば。彼は16時17分に校門を出ており、もし何らかの手段で人知れず学校に戻り、犯行に及んだ後、翌朝誰よりも早く遺体を発見し、悲劇の主人公を演じることで捜査の目を逸らそうとしたとしたら……。あくまで仮説の域を出ませんが、現時点では完全に否定できる材料もありません」
第一発見者の佐渡をまず疑うのは自然な流れだろう。
「それよりも気になるのは鶴岡ですね」
三鷹が、松戸の言葉を引き継ぐように鋭く切り込んだ。
「あいつは同じクラスだからよく知ってるんですが、剣道の腕は相当良い。2年の中では間違いなくトップクラスの実力者です。多部先生の話では、今年のチームは3年生4人と2年生1人で構成される予定でした。そのたった一人の2年生枠に藤沢くんが選ばれたわけですから、鶴岡が面白くないと感じていても不思議ではありません」
「うーん、鶴岡先輩も確かに怪しいとは思いますけど……」
久留里が三鷹の言葉を受けて、少し首を傾げた。
「彼の防犯カメラの下校時刻は午後7時52分でしたよね? 多部先生が武道館を確認した20時以降に武道館に侵入した可能性はありますけど、防犯カメラや人目に映らずに出入りしなくちゃいけない。どう考えても、見つかるリスクが高い。それに、もっとスッキリする人がいるんですよ」
久留里は一度言葉を切り、自信ありげな表情で続けた。
「防犯カメラの映像だと、堺副部長の下校時刻は20時09分でしたよね? 多部先生が教官室を確認して『遺体はなかった』と言ったのが20時ちょうど。そして武道館を施錠した。武道館を施錠した後も、堺副部長はまだ校内にいた。この二つの情報から密室の謎も、遺体移動の謎も、ぜーんぶ説明できちゃいませんか? 多部先生が施錠した後、堺副部長が何らかの方法で武道館に侵入した、あるいは内部に潜んでいて、その後藤沢くんを殺害し、教官室に運んだ……。そして、自分は何食わぬ顔で20時09分に下校した。これなら、多部先生の証言とも矛盾しません」
「確かに!」
久留里の言葉に、荒川がポンと手を打った。
「それなら、多部先生が見た時には遺体がなくて、その後に堺副部長が……ってことも可能っすね! 副部長という立場なら、多部先生が持っているカギの他に、合鍵を持っててもおかしくないですし!」
「なるほどな……」
三鷹も腕を組み、唸る。
「たしかに、副部長という立場なら、合鍵を持っていたり、武道館の構造に詳しかったりする可能性も考えられます」
「堺の性格を考えると、確かにやりかねないかもしれないな」
ここで、今まで黙って聞いていた日野が口を挟んだ。
「あいつは、非常に真面目で融通が利かないタイプだ。一度決めたことは徹底的にやり遂げるし、そのためなら手段を選ばない。計画的に犯行をやり遂げたとしてもおかしくないな」
松戸も、日野の言葉を受け、静かに頷いた。
「堺副部長の冷静沈着な性格を考慮すると、その線は十分ありえます。動機が不明瞭ではありますが、状況証拠としては非常に強い」
他の部員たちも、感心したような表情で彼女を見ている。
様々な憶測が飛び交うが、とはいえ、どれも決定的な根拠はない。可能性は複数考えられるが、確証がない。まさに、五里霧中だ。
「……さて、今日はこの辺にしておきましょうか。これ以上、生徒会さんの貴重な時間を頂戴するわけにもいきませんしね」
私は議論を打ち切り、立ち上がった。これ以上の情報を引き出すのは難しそうだ。我々は、様々な疑問と新たな情報を抱えて、生徒会室を後にした。
「久留里と荒川。この写真と今得た情報を元に、もう一度防犯カメラ映像を詳細に確認してくれ。松戸と三鷹は、私とともに。カメラを忘れずにね」
久留里と荒川は、少し疲れた表情ながらも頷き、部室へと戻っていった。
「……で、我々はどこに行くんですか?」三鷹が不思議そうに聞いてくる。
「そうだね……現場検証というのかな」