第3節 新聞部、行動開始
生徒会室を後にした我々三人は、重い足取りで文化館へと向かった。じりじりと照りつける午後の日差しが、校舎の壁に反射して容赦なく襲いかかってくる。生徒会室で聞いた「殺人事件」という言葉の重みが、じっとりと背中に張り付く汗のように、不快な現実感を伴って我々にのしかかっていた。
「……殺人事件か。面白くなってきたな」
三鷹が、興味深いという様子で呟いた。
「状況はかなり複雑怪奇です。遺体の移動、二本の凶器……不可解な点が多すぎます」
松戸は冷静に分析するが、その声には緊張感が滲んでいる。
文化館の扉を開けると、むわりとした熱気が我々を出迎えた。エアコンなどという文明の利器とは無縁のこの建物は、夏場はさながら蒸し風呂と化す。新聞部が割り当てられている二階の部室までの階段を上るだけで、汗が噴き出してくる。文化部の悲哀を噛み締めながらドアノブに手をかけた。
「あ、部長たち! お疲れ様です!」
ドアを開けると、中からやけに明るい声が飛んできた。声の主は、二年生の荒川直人。彼は、部のムードメーカーであり、エンターテイナーを自称しているが、根は意外と常識人だ。彼の隣では、唯一の一年生部員である久留里光が、小さなノートパソコンに向かって黙々と何かを打ち込んでいた。物騒な発言で時折我々を驚かせる彼女だが、その集中力と仕事の早さは侮れない。
「遅かったですねー! もう待ちくたびれましたよ。で、どうでした? 何かデカいネタ、掴めました?」
久留里が、期待に満ちた目でこちらを見る。
「……ああ、掴めた。とんでもなく、大きいネタをね」 私は、重々しく告げた。
部室の中央に置かれた長テーブルを囲むように、パイプ椅子を並べる。窓際に置かれた年代物の扇風機が、ギィギィと音を立てながら生ぬるい風をかき混ぜている。
私は、ボイスレコーダーをテーブルの上に置き、再生ボタンを押した。川崎会長の冷静な声が、狭い部室に響き渡る。
『……単刀直入に言うと、此度の騒動は、……『殺人事件』だ』
その言葉が再生された瞬間、荒川の顔からいつものおどけた表情が消え、息を呑む音が聞こえた。久留里は、パソコンから顔を上げ、じっとレコーダーを見つめている。その瞳には、驚きよりもむしろ、強い探求心のような光が宿っていた。
録音を最後まで流し終えると、部室には静寂が流れた。扇風機の回る音だけが、やけに大きく聞こえる。
「……殺人、ですか」 久留里が、ぽつりと呟いた。
「マジかよ……。うちの学校で、人が殺されたって……?」
荒川は、現実を受け止めきれない様子で、頭を抱えている。
「被害者は、剣道部二年の藤沢智也くん。殺害現場は剣道場と推定され、遺体は何らかの方法で一階の教官室まで運ばれた。背中にはナイフが刺さっており、他に凶器として使われたと思しき竹刀が二本。一本は現場に、もう一本は竹刀置き場に……」
松戸が、改めて情報を整理するように要点を復唱する。
「……やはり、一番の謎は、遺体を運んだ理由と、二本の竹刀の存在意義ですね」
松戸は指でテーブルを軽く叩きながら、思考を巡らせている。
「犯人は何かを隠したかったのか、あるいは、何かを偽装したかったのか……」
「竹刀置き場に戻すって、なんか変じゃないですか? 犯人、律儀なんですかね? それとも、何か別の意味が……?」 三鷹が首を傾げる。
「犯人の行動については、今考えても何も恐らく何も出てこない。まあ、まずは事実関係を固めてみよう」 私は、議論を軌道修正する。
「我々新聞部として、この事件をどう報じるか。そして、そのためには、更なる情報が必要不可欠となる」
そうだ。この「武道館殺人事件」は、我々新聞部にとって、大きな転機となるかもしれない。嵯峨ノ原高校新聞部は、現在部員わずか五名。私と松戸が卒業すれば、残るのは二年生二人と一年生一人だけ。このままでは、廃部も現実味を帯びてくる。新聞部の存在意義を示し、来年度、一人でも多くの新入生を迎え入れなければならない。そのためにも、この事件の真相に迫り、質の高い記事を作成する必要があるのだ。これはチャンスでもある。
「では、方針を決める」
私は、部員たちの顔を見渡して告げた。
「二手に分け、取材を行う。一つは剣道部関係者への聞き込みを行う。第一発見者である佐渡部長、そして顧問の多部先生に接触を図りたい。事件当時の状況、被害者の藤沢くんの人となり、剣道部内の人間関係など、直接話を聞く必要があるだろう。ただ、相手は事件の当事者だ。取材は慎重に行う必要がある。……ここは私と松戸で取材を行おう」
「承知しました。最大限の配慮をもって臨みます」 松戸が頷く。
「そして、三鷹くん、荒川くん、久留里さん。君たち三人には、学校側への取材をお願いしたい。まずは、漆原校長だ。今朝の校長の話ぶりからすると、まだ何か情報を持っているかもしれない。学校としての公式見解、今後の対応、そして、生徒たちの安全確保について、しっかりと話を聞き出してきてくれ」
「ええーっ! 俺たちだけで校長先生にですか? なんか、緊張しますね……」
荒川が少し不安そうな顔をする。管理職の先生には、滅多に会えないゆえの緊張や不安があるのだろうが……もう2年生だ。そろそろ慣れてもらいたい。
「大丈夫ですよ、荒川先輩。私がしっかりサポートしますから。何かあったら先輩に押し付けて逃げますけど。それに、校長先生に直接取材できるなんて、滅多にないじゃないですか」
久留里が、頼もしいんだか頼もしくないんだか分からない発言で荒川を励ます。
「荒川。ここは腕の見せ所だ。ここで重要な情報を引き出せたら、大手柄だぞ」 三鷹が発破をかける。
「う、うっす……。分かりました、やってやりますよ!」
荒川も、ようやく覚悟を決めたようだ。
「フ、決まったな。では、各班で入手した情報は速やかに共有すること。今日の取材の結果次第では、明日にも号外を発行できるかもしれない。だが、焦りは禁物。我々が報じるのは、憶測や噂ではなく、事実に基づいた確かな情報でなければならない。……皆、期待しているよ」
「「「了解!」」」
部員たちの声が、狭い部室に力強く響いた。