第16節 雨と足音
腕時計の時刻は夜9時を指している。そういえば、昨日も9時に終わったな。最近、ブラック企業化してきたか? いや、休みたければ休めばいいから、別に大丈夫か。労働基準法は1日8時間だっけ。……新聞部は……労働ではないな。
『電話です。電話です。至急応じてください』
歩道橋を登っていると、スマホの着信音が聞こえてきた。周りから「独特な着信音だ」と揶揄されてきたが、私としてはシンプルな音で気に入っている。傘を首と肩の間に挟みながら、スマホを見た。
画面には、「新田」の文字が表示されてあった。珍しい。新田とはメッセージのやり取りも初対面のときに「こんにちは」と送り合っただけで、電話もしたことがなかった。遊びで掛けているのだろうか。それとも、罰ゲーム? いや、新田はそんな奴じゃない。何か言いたいことがあるのだろうか。
私は歩きながら電話に出た。
「もしもし」
「あ、もしもし。あのさ、高崎。ちょっと伝えたいことがあって、電話したんだ」
「伝えたいこと?」どうやら真面目な話のようだ。
「おとといの朝に言おうとしたんだけど、時間がなくて」
「確かに。おとといも今日も時間が取れなかったな」
「で、俺が見たことって、事件に関わるようなことなのかなって思ったから、新聞部はこの事件について調査していると思って、居ても立っても居られなくなって、高崎に電話したんだ」
「……見たことというのは?」
「俺は、事件があった日の夜、学校で勉強してたんだけど、帰りに剣道場の電気が消えるところを見たんだ」
「それは、何時何分かわかるか!?」
思わず、大きな声を出してしまった。慌てて周りを見るが、人は誰もいなかった。辺りは暗いままだった。
「7時50分。剣道部がこんな遅い時間までやっているんだなと思って、時計を見たから間違いない」
電気が消えたのが、7時50分……。私は、深い思考に入る。どこか引っかかる。この事件の真相が少しずつ見えてくる。いや、まだモヤがかかっている。移動した遺体、血のついた竹刀、部員の帰宅時間……。一つひとつがパズルのピースのように噛み合っていく。
あっ。
「見えた」
そうか。そういうことか。この瞬間、すべてが繋がった。
「ハハハハハ。そういうことだったのか。ハハハハハ」
「おい、高崎。どうした?」
父が言っていたあの「稚拙で幼稚」とはこのことだったのか。確かに、今回の事件は、高校生らしいトリックだ。ハハ。にしても、面白い。実に面白い。
さて、事件を解明しようか。明日、探偵らしく関係者を集めて、推理を披露しよう。これが、愉悦と呼ばれる感情か。胸の昂まりが抑えられない。世の探偵たちは、これをどう対処しているのだろうか。
「新田、ありがとう。これで、真相が───」
階段を降りようとしたとき、背中を強く押された。咄嗟に倒れながら振り返ると、黒いカッパを着た人物がいた。
しまった。後頭部から倒れる。
頭を守らなくては! そう思い手を頭の後ろに置く。と、同時に本能的に体を捻る。
その瞬間、左肘に強い衝撃が加わった。
「……いっ」
そのまま転がっていく。何度も腕と頭に衝撃が伝わった。
ようやく、止まった。うつ伏せの状態で倒れているのか。雨が冷たく降り注いでいるのを感じた。視界には、画面が割れたスマホが映っている。
「おい、高崎! おい! どうした! 返事しろ」
新田の声が雨の音に紛れて聞こえてくる。立とうとしても、体が思うように動かない。視界がぼやけてくる。雨粒が目に入ったようなぼやけ方ではなかった。
激しく降っている雨の音も薄れていく。ああ、これが死というものなのか。
呆気ない。
『人生死あり、修短は命なり』か……




