第10節 衝突する信念
午前10時。全校朝会が始まった。体育館には、全校生徒教職員約1000人が一堂に会している。通常なら、朝8時35分までに学校に登校しなくてはならない決まりなのだが、今日は全校朝会のみ執り行うため、午前10時集合の号令がかかっていた。
いつもの登校時間は通勤ラッシュにぶつかるため、満員電車は当たり前だったが、今日はその空気を感じさせないほど空いていた。空席のほうが多いくらいで、快適に登校することができた。いつもこのくらいの時間に登校させればいいのに。
そうこう考えているうちに、校長先生からのお話が始まった。
「皆さんおはようございます。校長の漆原です。本日は緊急で集まっていただきありがとうございました。えー。本日は、残念なお知らせをしなくてはならなくなりました」
一回呼吸を整える。場に沈黙が流れた。
「2年3組の藤沢智也くんが事件に巻き込まれ、亡くなりました。これは事故ではありません。事件です」
漆原校長は「事件」という言葉を力強く言った。自分の学校の生徒を守れなかったやりきれない気持ちが滲んでいるように感じた。
「彼は学業優秀で部活動にも熱心に取り組む真面目な生徒でした。本校の教育理念である『文武両道』をまさに体現していた生徒で、このような事件に巻き込まれてしまったことを非常に残念に思います」
藤沢の人となりについて述べた後、事件の概要の説明に移った。
「おとといの朝、武道館で藤沢くんが倒れているのが発見されました。まだ犯人は見つかっていません。これから下校になりますが、不審者を見つけたら、迷わず助けを求め、直ちに警察に電話を掛けてください──」
この後も事件に巻き込まれないように十分注意をするようにという内容を述べた。漆原校長の話が終わると、全員で黙祷を捧げ、解散となった。
生徒は各々の荷物を取りに、各教室へと向かい始めた。
「きみ、新聞部の高崎だよね。ちょっといいかな」
私も出口のほうへ歩みを進めようとしたところ、神崎教頭に呼び止められた。神崎教頭は新聞部に友好的でない先生だが、直接接触するような性格の人ではない。何か伝えたいことがあるのだろうか。
「どのような要件で?」
「着いたら伝える」
黙ってついて来いとでも言いそうな雰囲気を醸し出されてしまっては、もう話すことはない。
「お待たせしました。こちらが、新聞部部長の高崎です」
連れてこられたのは、応接室だった。重厚な扉を開けると、ソファには中年の刑事と若い刑事が座っていた。おととい体育館で見かけた二人組だ。部屋の隅には神崎教頭が腕を組んで立っている。空気が重い。
中年の刑事が、私をじろりと見た。
「ほう、君が部長か。まあ、座りたまえ」
促されるまま、私は彼らの向かいのソファに腰を下ろした。
「……私は県警本部の神谷だ。こちらは部下の石井だ。今回の事件を担当させてもらっている」
警察手帳を見せながら言った。そこには、「神谷晴臣」「警部」との文字が書かれていた。
刑事は目の前のローテーブルに、今朝発行した号外新聞を置いた。
「この新聞、君たちが作ったものだね?」
「……はい、そうです」
「そうか」
刑事はゆっくりと頷いた。
「この新聞、読ませてもらったよ。なかなか面白いじゃないか。特に、ここだ」
神谷警部は紙面の一部を指さした。
「被害者の実名が記載されているね。我々は昨日の段階ではまだ公表していないはずだが、これは一体どこから入手したのかな?」
隣の石井刑事は黙ってこちらを見ている。神崎教頭も壁際で威圧するように立っている。
「情報源については、お答えできません」
私は冷静に答えた。
「答えられない、か。まあ、ある程度の見当はついているよ。それはいいとしよう」
神谷警部は軽く肩をすくめた。
「だがね、高崎くん。君たちの行動は、正直なところ、少々問題があると言わざるを得ないね。未公表の情報を流すことは、捜査に予期せぬ混乱を招きかねないのだよ。その点は理解しているかい?」
「我々は、生徒たちに事実を伝えるという、報道機関としての責任を果たしたまでです」
「責任、ね。結構な心がけじゃないか」
神谷警部は僅かに口角を上げた。
「だが、君たちのその『責任感』が、我々が進める捜査の妨げになっているとしたら、どうだろうね。例えば、この記事が犯人を刺激し、証拠隠滅に走らせる可能性。あるいは、君たちの書く記事が、もし不正確な情報や憶測を含んでいた場合、それが広まることであらぬ噂を生み、社会的な混乱を招き、我々の捜査をさらに困難にする危険性もある。そういったことを、君たちは考慮したのかね?」
まるでこちらの考えを見透かすような口ぶり。この刑事、やはり油断ならない。
「我々は、報道が生徒たちの注意を喚起し、事件解決に繋がる可能性もあると考えています」
「可能性、か。学生の考える『可能性』に、我々はあまり期待を寄せられないのだよ」
神谷警部は、諭すように言った。
「結論を言わせてもらおう。君たちの部活動だが、この事件が解決するまで、関連する一切の取材・報道活動を差し控えていただきたい。これは捜査上の強い『要請』だ。君たちには、協力する義務があると考えてもらいたい」
口調は穏やかだが、とてつもない重圧を感じる。しかし、ここで引き下がれば、新聞部の名折れだ。
私がこの部に入ったのは、目立たないけれど重要な事実を、歪められることなく伝えたいと思ったからだ。この信念を今貫かなければどうする。
「そのご要請には、従いかねます。我々には、この学校で起きている重大な出来事について、生徒たちに知らせる責務があります。それは学校新聞としての当然の役割であり、生徒たちが真実を知る権利に依拠するものです」
「権利、ね」
神谷警部は冷ややかに繰り返した。
「君たちの主張する権利と、我々が追っている事件の真相解明。どちらが優先されるべきか、聡明な君なら分かるはずだろう? ……いいかね、これは最終的な忠告だ。我々の要請を無視し、捜査を妨害するような行為が続くのであれば、我々としても然るべき措置を講じることになるだろう」
神谷刑事は静かに立ち上がり、扉のほうへ向かう。石井刑事もそれに続く。
「ああ、最後に一つだけ」
神谷警部はドアに向かいながら、思い出したように振り返った。
「確認しておきたいことがある。この新聞に載っている武道館の写真だがね。これはいつ撮ったのかな?」
「……」私は言葉に詰まった。
「ふむ」
神谷警部の目が細まる。
「昨日は現場に警官がいたはずだ。だが、この写真には写っていない。不思議だねえ」神谷警部はゆっくりと続けた。
「警官に確認したところ、ちょうど君たちの部員らしき生徒が体調を崩して、少しの間だけ現場を離れたそうだ。その間に撮った、ということだろう?」
「……」
「写真を撮るだけのために、わざわざ仮病まで使うかね? 合理的じゃないな。……君たちは、あの武道館の中に入った。そうだろう?」
まるで全てお見通しだと言わんばかりの口調だった。図星を突かれ、冷や汗が背中を伝う。
「まあ、今は追及しないでおこう。だが、現場は立ち入り禁止だ。今後は絶対に近づかないように。いいね」
神谷警部はそれだけ言うと、今度こそ石井刑事を伴って応接室を出て行った。言葉は丁寧だったが、その内容は明確な脅しと、我々の行動を把握しているという示威だった。
「……高崎、警察の方のお話、聞いただろう」
神谷警部が去った後、神崎教頭が厳しい口調で言った。
「学校としても、警察の捜査に協力するのは当然のことだ。これ以上の勝手な行動は許されない。新聞部の活動は、事件が解決するまで自粛するように。特に、この事件に関する取材活動は一切禁止する。もし、この指示に従えない場合は、部活動の停止処分も視野に入れなければならなくなる。分かったな」
「……」
私は何も答えなかった。答える必要もない。
「返事はどうした!」
神崎教頭が声を荒らげる。
「……善処します」
私はそう言って、応接室を後にした。
廊下を歩いていると、前方から新聞部顧問の布留川先生がやってきた。
「やあ、高崎くん。神妙な顔をしているが、何かあったのかね?」
布留川先生は、私の様子を見て尋ねてきた。
「……警察と、神崎教頭に呼ばれまして」
「ほう、やはりか。例の号外の件だろう」
布留川先生はすぐに察したようだ。
「それで? 活動自粛勧告でも受けたかね? 実はね、私もさっき、校長と教頭に少々……釘を刺されてしまってね。『新聞部の監督はどうなっているんだ』と。まったく、現場の苦労も知らないで好き勝手言ってくれるよ」
先生は苦々しく呟いた。
「……取材も報道も禁止だと、言われました」
「ふむ。まあ、大方予想通りの反応ではあるな」
布留川先生は腕を組み、少し考える素振りを見せた。
「だがね、高崎くん。警察や学校の言うことが絶対だと思うかい? 彼らは彼らの立場を守ろうとしているに過ぎん。私はね、今回の件、黙って引き下がるつもりはないよ。顧問として、君たちの活動の自由を守る責任もあるし、何より、こういう一方的な圧力には反発したくなる性分でね。校長には、改めて意見させてもらうつもりだ。生徒の自主性を頭ごなしに押さえつけるのは教育として間違っている、とね」
先生は、普段の冷静な表情の奥に、確固たる意志を滲ませていた。
「……だが、正面からぶつかるだけが能じゃない。君たちには『ペン』という武器がある。それをどう使うかは、君たち次第だ。忘れるな、情報は力だ。……うまくやりなさい」
先生はそれだけ言うと、私の肩をポンと叩き、意味ありげな表情を残して去っていった。自らも抵抗する姿勢を見せつつ、我々には我々のやり方で戦えと促す。実に布留川先生らしいやり方だ。
部室への足取りは、先ほどと変わらず重かった。だが、心の中は決まっていた。
部室の扉を開けると、他の部員たちが心配そうな顔でこちらを見ていた。私は、深呼吸を一つして、応接室での出来事と、布留川先生との短いやり取りを話した。
「……というわけで、警察からも学校からも、活動を止めろと言われた。だが、私はやめるつもりはない。この事件の真相を突き止め、報道する。それが我々新聞部の使命だ。……もちろん、強制はしない。危険だと思う者は、抜けてもらっても構わない」
部室に沈黙が流れた。だが、それは諦めの沈黙ではなかった。
「……面白いじゃないですか」
最初に口を開いたのは、意外にも松戸だった。
「警察や学校に屈しない。そういうの、嫌いじゃないです」
「俺もやりますよ! ここまできたら、最後まで付き合います!」
荒川が力強く言った。
「私も、真相が知りたいです。それに、ここでやめたらカッコ悪いですし」久留里も頷く。
「当然でしょ。フフ、ジャーナリスト魂が燃えてきましたよ!」
三鷹は既にメモ帳を取り出していた。部員たちの目に、迷いはなかった。




