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ハーロイの街 2

水上都市2

「ここですよ」

 ナッツが言って、小舟を船着き場にとめた。

 なるほど、他の小屋よりも船着き場が広い。ここで旅人の舟を受け入れているのだろう。

 小屋はハーロイでは見慣れた木造の小屋である。ただ、一回り大きく二階建てだ。

 軒先には『ハーロイの宿場』と書かれた旗が揺れている。

 ナッツと共に舟を降りて地面に立つ。

 木造の建物は石造りの地面より足元が危うい気がした。揺れることはないが、この小屋全体が水の上に浮いているのかと思うと足がどうにも覚束なくなってしまう。

「この宿の飯が美味いんですよ。それじゃあ、ここで」

「もう行くのかい、ナッツ?」

「ええ、他の人の案内もありますし、国境の方に戻ります」

 宿屋の目の前でナッツと別れ、私はしばし宿屋の扉とにらめっこした。

 まだどうにも家を訪問するのは慣れない。インターフォンもないし、ドアベルもない。

 おまけに今の身分はマーロウいわく『旅人』か『冒険者』と来ている。

 日本でそんな職業で宿をとろうものなら、眉をひそめられること請け合いだろう。

 ここは異世界……と頭の中で何度も念じて見ても、やはり気恥ずかしい。

 どうしたものかと口をへの字にして迷っていると、不意に宿屋の扉が開いた。

「おっと!」

「きゃ!?」

 目の前に迫ってきた外開きの扉を避けると、中から出てきた少女にぶつかりそうになった。

 荷物を抱えた華奢な少女が身体ごとつんのめるのを、抱きとめる形で止めた。ふわりと、優しい香りが鼻孔をくすぐる。

「すまない、君、大丈夫かい?」

「あ、いえ、こちらこそ、失礼しました!」

 私より少し背の低い少女が私の腕から身を起こし、落とした荷物を拾い上げ一度頭を下げた。

 その顔がこちらを向く。私はその少女に思わず見惚れてしまう。

 長い銀髪が陽の光を浴びて星のようにキラキラと輝いている。

 青みががった大きな瞳は、まるでこのハーロイの水で洗われて育ったように深い色を宿している。小ぶりで整った鼻筋に小さな口。肌も透き通るように白かった。

 絵画のように美しい少女を前に私が言葉を失っていると、少女が口を開いた。

「あ、あの、お客さま、でしょうか?」

 少女の問いかけにハッとなって、なんとなく居ずまいを正して言った。

「えと、旅人、いや冒険者のユルクです。数日ここに泊めて貰いたくて来たんだ。ナッツに案内されてね」

「ああ、ナッツに。わかりましたお客さま、ユルクさんですね。私はアンジュと申します。さあ、中へどうぞ」

 アンジュと名乗った少女に導かれ、宿の中に入る。アンジュの後ろ姿についつい見惚れてしまう。

 入り口のすぐ目の前に受付があり、羽ペンや帳簿なども置かれている。カウンターの隅では熱帯魚のような色鮮やかな魚たちが大きなビンの中を泳いでいた。

 受付から見て右側には本棚がいくつも並んでいて、椅子やテーブルもある。開けた窓の向こうでハーロイの水面が光っていた。

 左側には大きめのテーブルがいくつか並んでいる。その奥に厨房のようなものが見て取れたので、恐らく食事スペースであろう。階段もある。

「おかあさん、冒険者さまがいらっしゃいました」

 母親を呼ぶアンジュの表情はどこか固かった。親子仲はいまいちなのだろうか。

 二階から、ふくよかな身体の婦人が出てくる。「おやおやいらっしゃいませ」と笑みを浮かべてこちらにやってきた。

「冒険者さまね、ハーロイの宿場へようこそいらっしゃいました。街はいかがでしたか?」

「まだ少し見ただけですが美しくて感動しました、言葉にするには足りないくらいの気持ちです」

「それは何よりだよ、お客さま、お名前は?」

「ユルクです。女将さん、かな? どうぞよろしく」

 私の言葉に婦人が笑顔で頷く。

「よろしくねぇ。それで、ユルクさんは何日ほどうちをご利用の予定だい?」

「ハーロイの木々が花を咲かせるのを見たいと思ってまして。一週間以内には咲くだろうと案内をしてくれたナッツという青年は言っていたのですが」

 婦人が「はいはい、うちの街の花ね」と頷くと笑顔で顔をあげた。

「あれはね、あと三日もすれば咲くね。間違いないよ」

「そんなこと、わかるんですか?」

「冒険者さんや旅人さんを宿に案内してもう三十年だよ、あたしの見立てに間違いはないね」

 三日で咲く――。となるとバタバタしたくないので、もう一日余裕を持って……。

「それじゃあ、三泊四日ほど泊めていただけませんか?」

「もちろんだよぉ、大歓迎ですよユルクさん。銀貨八枚になりますけど、いい?」

「ええ、それはもちろん」

 帳簿に筆を走らせる女将さんを見ながら、私は財布にしている革の小袋をカウンターにおいた。

 はずみに紐が解け、中からマーロウに貰った金貨たちが顔をのぞかせる。

「おっと、失礼しました」

「あらっ! ユルクさん、お金持ちねぇ!」

 女将さんの眼が輝いた。うーん、がめつい。

 私は曖昧な笑みを浮かべて「気前のいい友人がいて」と誤魔化すと銀貨八枚を支払った。

「はいはい確かに頂きました。アンジュ、お客さまをこの紋章の部屋まで案内! 荷物も持つんだよ!」

「は、はい! 今すぐ」

 女将さんが思いのほか強い口調で、傍らに立っていたアンジュに言った。

 その口調を私との会話とは一転して厳しいものだった。

 アンジュのほうも頭を下げるばっかりで、なんだか不自然な感じがする。

(まるで親子というか召使いと主みたいな……。でもおかあさんって言ってたよね?)

 アンジュが私の荷物に手を伸ばす。けれど、華奢な女の子に運ばせるには重い。

「いいよ、私が持っていくから。アンジュさんは部屋まで案内して」

「で、でも……。せめて少しだけでも」

 アンジュが私が右手で持っていた弓一式を抱え「こちらです」と言って歩き出した。

「ごゆっくり」

 女将さんの猫撫で声を聞きながら、アンジュの背中を追う。

 大きなテーブルの食事スペースを越えて、階段を昇っていく。

 壁の何か所にも飾られた絵を見ながら階段を昇り切ると、二階にはズラりと部屋が並び、それぞれの入り口に紋章のマークが記された小旗がかかっていた。

「へー、番号……ああ、数字じゃなくて紋章の形で部屋を分けているんだ」

「はい、冒険者さんには見慣れないかもしれませんが、この辺りはこんな感じです」

 女将さんが私の部屋と記した紋章の扉までは、すぐに着いた。

 アンジュが扉を開け入る、それに続いて私も部屋の中に入った。

「へぇ、外がよく見える。良い部屋だね、ありがとうアンジュ」

 部屋の壁際には大きめのベッドがひとつ。燭台も見える。

 窓は二方向にあり、風もよく通った。テーブルと椅子が窓のそばにあり、ここでくつろげばハーロイの街が良く見えそうで気に入った。

「ユルクさん、お荷物ここに置きます。……弓をお使いになるんですか?」

「ありがとう。弓はまぁ、一応ね。高校時代は全国大会でそれなりの成績だったんで」

「高校? 全国?」

 首をかしげるアンジュに苦笑して、私は小さく手を左右に振った。

「ああ、ごめんごめん。私が産まれた国の話だよ。役に立つこともあるかなと思ってね」

「そうなんですね。狩りとかなさるのですか? いつか弓を持ったユルクさんも見てみたいです」

 小さく微笑んで、アンジュが言う。

 弓はなんとなく持ち始めただけのことだった。

 高校生のころ、弓道の全国大会で二位になった。だから親しみがあったというだけだ。

 それでも護身用にはなるし、万が一旅の中で飢えた時には狩りも出来る。

「では、何かありましたらお呼びください、ごゆっくり」

「うん、ありがとう。アンジュも無理せずにね」

「ありがとうございます、失礼します」

 アンジュが頭を下げて部屋を出て行く。その仕草が愛らしくて、私はついついアンジュが部屋を去るまですっかり視線を奪われてしまった。

「絵になる子だな……それにしても、全国二位ね。一位じゃないとこが私らしいや」

 息を吐いて自嘲して、荷物を置いた。とりあえずベッドに大の字になってみる。

 心地良いやわらかさが全身を包む、これなら良い夢を見れそうだ。

 ベッドサイドに鏡が置かれていることに気付き、私は上半身を持ち上げた。

「うーん、髪も伸びて来たな。ムダ毛の処理はしているけど……」

 普段ならあまり気にしないのだが、アンジュの前でみっともない恰好をしたくない。

 そんな気分で鏡に映る自分を見る。黒髪が首元まで伸び、襟足は首の根っこまである。

 少し痩せた頬に、旅をしているのだなと感じた。

 昔から旅行は好きだった、まずは日本中を回ろうと、大学生のころは出掛けてばかりの日々を送っていた。都道府県で言えば三分の二は旅をして、各地を見て回った。

 そこで時間もお金も尽きて、卒業とともに社会人になって――。

 務めた会社は三社連続倒産。

 ひとつは一年で、ひとつは半年で、最後にまた一年で。

 どこも働き甲斐のある素晴らしい職場だった。けれどそういう場所に限ってどんどん奪われていってしまう。二度あることは三度ある。なんて割り切れたもんじゃない。

「あの時は、それなりに落ちこんだよなぁ……」

 旅行以外に特に趣味のなかった私は、あの二年半仕事一筋だった。

 けれど三連続で挫折した後、どうしてもすぐに就職活動という気にならない。

 そもそも採用者だって、死神のように倒産に付きまとわれた人間を雇いたくなかろう。

 そう考えた時に、旅行の趣味でも再開するかと思い、それを実行に移して――。

 気がつけば、この世界にいた。そして私は……。

「ヘールプ! アミッソバーディー!」

 まぬけな歌声に、私の沈みかけてた思考が中断される。

 え、この歌、私の世界の歌だよな……。ていうか、この声は――。

「まさか!」

 私はベッドを飛び出して、部屋を出た。耳をすませる。

 素っ頓狂な歌声は、剣をふたつ合わせた紋章の部屋から聞こえてきていた。

 私はノックもそこそこに、急いでその部屋の扉を開ける。

 そこには、ベッドでさっきの私のように大の字になった長い金髪の女性がいた。

「ダルク!」

「おぇ? おお、誰かと思えばユルクじゃねーか!」

 金髪をサラリと伸ばした、整った顔立ち。そのくせいつも気怠そうな目元と表情。

 この女性は、私がこの異世界に迷い込んだ時に出会った人であった。

「まぁまぁ入れよ、ユルク! お前もこの街に来てたんだな」

「こっちのセリフだよ、ダルク。会いたかった。元気にしてたかい?」

「そりゃーもー、絶好調だっつの。ホレ、入って入って」

 ダルクに促され部屋の中に入る。作りは私の部屋と変わらない。

 ベッドに座るダルクの傍に椅子を置いて腰掛けた。

「それにしても久しぶりだね、ダルク。あれからずっと旅してるの?」

「まぁな。なんせ私らはスペシャルな体質だろ、仕事にも困らないし自由の身だぜ」

 初めて会った時、ダルクはアメリカからこの世界にやってきたと言った。

 そしてダルクの言うスペシャルな体質というのは、私にも覚えがある。

「やっぱりダルクも、なんていうんだろ。力が強かったりするわけ?」

「そりゃあもー、この世界に来てからスーパーマンよ! なんでも出来ちゃうね」

「私も荷物運びをして気付いたけど……なんなんだろうな、このスーパーマン? スーパーウーマン? はさ」

 ダルクが「そりゃあ……」と言ってベッドから身を乗り出して言った。

「神が選ばれし者に与えた御力ってやつさ」

 いたずらな表情は、すぐにそれが冗談だとわかる。

「ダルク、私は真面目に」

「まぁまぁ聞けよ、聞き給えよユルクちゃん」

 大袈裟に両手を広げて、ダルクが言う。

「まぁ私なりに考えたんだよ、この特別な身体能力についてさ」

「へぇ、ダルクの考えを聞かせてくれよ」

「おう。まずね、この能力は私とユルク、二人とも共通している。それに、私たちは日本やアメリカからこの世界に迷い込んだ異世界人だ。それはわかるな?」

 ダルクの言葉に頷くと、ダルクは一度頷き返して続けた。

「恐らく、この世界と地球は力の基準値が違うのさ。例えば地球では五十の力が平均的な力だとしよう。けれど、こっちのよくわからん世界は力の基準が二十五しかない。するとどうなるか。答えは私たちさ。つまり地球からこの世界に来た人間はもれなくスーパーマン。どう?」

 力の基準の違い……。

 確かにそう考えれば、私やダルクの持つ圧倒的身体能力に説明はつく。

 すべて鵜呑みに出来るかは置いておいて、一説として有力な考えではあった。

「なるほど、ダルクの言う事もわかる気がするよ」

「でしょ? そう考えればだいたい納得がいく。納得出来れば私はそれでいい。もしも私の考えが違ったところで、私たちがスーパーマンなのは変わらないしね」

 だからこれでいーの、とダルクは気怠そうに言った。

 再びベッドに大の字に横たわると、ダルクが楽しそうな声を出した。

「それにしてもあなた、律儀に私がつけたユルクって名前使い続けてるの?」

「それは、まぁ……。ちょうどよかったし。そういうダルクはどうなんだ?」

「私もこの世界じゃすっかりダルクだよ、ダルダル女のダルクさんだ。あははっ!」

 異世界に突然迷いこんだ私は、すぐに出会ったダルクに話しかけた。

 と言っても言葉が通じるとは思わなかったので、拙い英語でだ。

「あんときは可笑しかったなぁ、ユルク。お前へたくそな英語でそこらじゅうの景色を指さして『you look! you look!』って繰り返してさ。この世界じゃ言葉の壁はないってのに」

「挙句の果てについた名前がユルクだよ。仕返しにあなたにダルクとつけたワケだけど」

 そう、私は出会ったばかりのダルクに異世界を指さし「ユー、ルック!」と叫び続けた。

 ダルクは大笑いして普通にしゃべったっけ。そして私にぴったりな名前をやるとか言ってユルクという不名誉な名前をもらったワケだ。

 私にも一応、湯浅遥香という名前がもちろんある。

 のだけれど、この世界ではユルクの方が通りが良い気がして、あれからずっと使っていた。

 仕返しに、常に気怠そうな女性にダルクと名付け返し――彼女もまたその名を使い続けているようだ。

「ダルクは、いつまでここにいるんだい?」

「明日には出発するよ、冒険者ギルドで次の仕事を契約したから」

「冒険者ギルドか、使ったことないなぁ」

「私たちスーパーマンには便利な場所だよ、ついでに色々な場所にも行ける。旅行しに来た私らにゃお似合いってワケだ。ユルクも使ってみるといいさぁ」

 冒険者ギルドは、どうも名前が大層なものに感じられて尻込みしている。

 ただ、ダルクの話を聞くと色々と便利そうでもあった。何より、行く当てのない旅をしている私たちにとっては、目標となる場所が決まって助かるのだという。

「ハーロイの木々が、一年に一度花を咲かせるんだ。それが三日後なんだけど、ダルクもせっかくだから見ていけばいいんじゃない?」

「いやー、あいにくもう契約しちまったんでね。それはユルクに任せた。今度会った時にでも話を聞かせてよ」

 それからはお互い、今までに見て来た街や景色の話題になった。

 異世界に、地球出身者がふたりきり。話は尽きない。

 たったふたりの迷い子なんだから、行動を共にしてもよさそうだけど。

 そんなことを言いださないのがダルクらしいし、私らしくもある。お互いに、極度のマイペースなのだ。

 アンジュが夕飯に呼びに来るまでダルクと話し込み、夕飯のテーブルでも話は続いた。

 夕食は魚を中心としたメニューで、ムニエルや刺身、海鮮サラダのようなものもある。

 鮮度が抜群で何を食べても美味かったが、ダルクとの話に身を入れてしまいゆっくり味わう事が出来なかったのはちょっと勿体ない。

 ゆっくりと夕食を終えて、ダルクとも別れ部屋に戻った。私はベッドに身を預けた。

 窮屈な馬車暮らしだった身体が、快適なやわらかさに包まれる。

 相変わらず、食事の席でもアンジュはまるでメイドのように鼻で使われていた。

「なぁんか……モヤモヤするな」

 他にも女将さんの子供らしき娘が二人手伝いに出ていたけど、扱いが違うというか。

 どうにも釈然としないけれど、家族の間の問題に首を突っ込むワケにもいかず。

 アレコレと考えている間に、窓からは心地良い風が吹いてきて、私はいつの間にか眠りについていた。

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