闇の街シェイド 6
シェイド6
ユルクがめずらしく積極的になっている、そんな気がした。
もともとユルクは積極的な性格だけど、ふたりの仲に関わる事はあまり喋らなかった。
それが今日は饒舌だ。暗闇の街のロウソクの静かな明かりがそうさせるのか。
わたしはといえば(どうか暗い部屋で赤面がばれてませんように)と思ってしまうくらい顔が真っ赤だ。
ベッドで手をつないだまま、ふたりで中空を見た。ユルクの鼓動が感じられる気がした。
「なんか、遠くに来たんだなって思う。ハーロイとはまったく違う」
「うんうん、アンジュが見るハーロイ以外の初めての街だね」
「知らない天井を眺めて寝るのも初めてのことだった」
「そうだね……。どう思った?」
ユルクがこちらを向き頬を撫でて問うた。
「まだわかんない、すごくドキドキしたけど、ユルクがいるから安心もあって、複雑」
「そっか。これから色々知らない天井を見ることになるよ、旅は続くんだから」
「うんーー」
頬を撫でるユルクの手に左手を重ねる。
ユルクの温もりを手のひら全体で感じたくて、ぎゅうと包む。
「ねぇ、ユルク。わたし、邪魔じゃない?」
「邪魔なんてことないよ。大切な冒険仲間だよ、どうしたの、急に?」
「わたし、出来る事ほとんどないし、戦闘にも加われない。ユルクに守ってもらってばっかり」
ユルクはわたしの方を向き直りニッコリと微笑んだ。
「そんなことないさ。この街で闇に飲まれたのを救ってくれたのはアンジュだよ。それに色んな街のことを知っている。何より、一緒にいられて嬉しいかけがえのない相手だよ」
「そっか、良かった……ユルク、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうアンジュ」
ロウソクの明かりで揺れる天井の光を見ながら、深呼吸した。本当に、遠いところに来たんだと思う。
それは距離的なものというより、心情的なものだ。わたしは一生ハーロイに暮らし宿屋をやっていくと信じていた。それが今は冒険者だ。
明日行く場所すら決まっていない、気ままな根無し草。
強い風が吹けば吹き飛ばされてしまいそう。だけど、わたしにはユルクがいる。
「明日は早いし、そろそろ眠ろうか、アンジュ」
「うん……ねぇ、ユルク」
「どうしたの、アンジュ」
「あのね、そのね、あの……今日は一緒のベッドで寝て良い?」
ユルクが少し驚いた顔をして、その後ニッコリと微笑んだ。
「もちろん、いいよ。一緒に寝ようか。枕持っておいで」
ユルクがベッドの枕を横にずらして、わたしのスペースを作ってくれた。
枕を置いて寝転がると、ユルクのぬくもりと微かな甘い残り香があった。
「えへへ、来ちゃった」
「アンジュ、ようこそ。でももう寝るよ」
「はぁい、おやすみユルク」
わたしはユルクの腕に抱き着いてベッドにくるまった。
「うん、おやすみ、アンジュ」
空いている手でそんなわたしの頭を撫でて、ユルクが言った。
※
私が目を覚ますと相変わらず部屋はロウソクの明かりだけで暗い。
時計は七時を指していた。そろそろ起きなくてはと思うと、左手に温もりがあった。
アンジュは眠りに着いた時と同様、私の左手にくっついて眠っていた。
寝顔を見つめ、軽く頬をつついてみる。柔らかな感触が指に広がった。
「うう、ん……」
アンジュが身もだえた。おかしくなって、もう一度頬をつついてみる。
「ううん……ん……ユルク? おはよ……」
「おはよう、アンジュ」
寝ぼけているアンジュの頭に口付けして、ユルクはゆっくりと身を起こす。
アンジュはまだ眠そうにベッドの上を泳いでいた。
ユルクは手早く身支度をすると、洗面台に向かい顔を洗った。
今日から新しい冒険が始まるーー適度な緊張と楽しみで身体が火照っている。
シェイドではえらい目にあってしまった、という自戒の念があるが、あの闇の誘惑は今でもどこか蠱惑的で忘れがたい。そんな自分の思考をかき消すように、もう一度しっかり顔を洗った。
アンジュに救われた。その思いが強い。ひとりじゃないというのも悪くない。
むしろ、アンジュとならどこまでも行きたいと思っている自分に驚くばかりだ。
「ユルク、おはよう」
アンジュも起き出してきて、顔を洗いに来た。ショートカットがぴょんとはねている。
「アンジュ、ここ寝癖。可愛いね」
「えっ、やだ見ないで、今直すからぁ!」
恥ずかしそうに慌てて鏡に向かうアンジュの可愛らしさに思わず笑みがこぼれた。
私はアンジュを後にしてベッドの近くに戻ると、荷造りを開始した。
それほどのものは取り出していない。せいぜい着替えとタオル類くらいである。
それらを手早く畳んでカバンにつめていく。
寝癖を直したアンジュも戻ってきて、自分の荷物をまとめ始める。
旅支度を終えると、ふたりで並んで宿屋の居間まで下りて朝食の席についた。
「今日でここの美味しいごはんともお別れだね、ユルク」
「そうだね、でも世界にはきっと色々な食べ物が待っているから。全部食べつくしてやる!」
握りこぶしを作って言った私を見て、アンジュが笑った。
「んもう、ユルクってば食いしん坊さんなんだからー」
微笑むアンジュ。アンジュと共にする食事はことのほか美味しい。私は言葉にせず笑顔を作った。
朝食を終え宿の支払いも済ませると、私たちは冒険者ギルドに向かった。
闇の鉱石を納入できる街を調べるためだ。
シェイドの街のギルドは小高い丘のようになっている場所にあった。
煌々と松明が照らされ、ここだけはシェイドらしくない明かりに包まれている。
私はアンジュを連れて冒険者ギルドの窓口に向かった。受付嬢が笑みを浮かべて対応してくれる。
「いらっしゃいませ、冒険者ギルドへようこそ。今日はご依頼のお探しですか?」
「いや、この街の鉱石を手に入れたので、納入先を捜しています」
「シェイドの鉱石の納入先ですね、お待ちください」
受付嬢は何枚も資料をめくり、あるページで止めて私たちに指示した。
「シェイドの闇の鉱石は炎の街レグラム、芸術の街アステル、雪の国ギルハルト、風の都レウスなどで承っております」
「レグラムにアステルか……」
どちらもアンジュが行ってみたいと言っていた街だ。
私はアンジュに向き直り、意見を聞くことにした。
「アンジュ、この中に行きたい場所はあるかい?」
「え、わたしが決めちゃっていいんですか?」
「私は世界中を見て回りたいし、どうせならアンジュの希望を聞きたいな」
アンジュが資料を見て考え込んだ。
「雪の国ギルハルトはとても綺麗なところらしいし、風の都レウスは歴史ある建物がたくさんあるっていうし……でもやっぱりレグラムかアステルかなぁ……」
「さすがに詳しいね」
「えー、ほんとに決めて良いの? それならわたしアステルに行ってみたい。芸術の街アステルで」
アンジュの言葉に受付嬢が頷いた。
「アステルにお届けですね、かしこまりました。そのように手配しておきます。出来れば二十日以内にお届けください。冒険者様のお名前は?」
「ユルクです」
「S評価の冒険者様ですね、心強いです。では、行ってらっしゃいませ、良い旅を」
受付嬢がそばの魔法石と思しきものに手をかざす。キン、と冴えた音がした。これで手続きは完了らしい。
「じゃあ、行こうかアンジュ」
「うん!」
ギルドを出ると、そこには日の目の女性がいた。
「旅立ちと伺いやってまいりました。シェイドの出口までご案内いたします」
「ありがとう」
街の外れ、螺旋階段を昇っていく。やがて光がまったく届かない闇になった、
私の心の奥底で、かすかに闇に対する羨望がうずく。アンジュの手を握り、その感情を堪えた。
やがて階段を昇り切った先に、陽の光が見えてくる。
「ここでしばらく太陽の光に目をならしてください。突然暗闇から光輝く大地へ出ると視力に悪影響を及ぼします」
言われた通り、私たちは並んで陽の光に目をやった。ひどく懐かしい、強い明かりだ。天気がいいのであろう。網膜にじりじりと焼け付くように陽の光が差し込んでくる。
しばらくすると日の目の女性が口を開いた。
「もう良いでしょう。では、ユルク様、アンジュ様、行ってらっしゃいませ。シェイドの闇はいつでもあなた方を歓迎いたします。道中お気を付けて」
「ありがとうございました、機会があれば、また」
「長い間お世話になりました」
アンジュが頭を下げる。それに倣って私も頭を下げた。
踏み出す。
太陽が輝く大地へ。
シェイドを出た私たちの旅路を祝福するように、空は快晴であった。