王妃と王弟
書庫に行こうと、廊下に出た時だった。
王宮の無駄に長い廊下の先に人影が見えた。
あれは…
「こんにちは、王妃様」
廊下の端により、足を曲げ挨拶をする。
マリアンヌ王妃が目の前にやって来た。
煌びやかな装飾がついた豪華なドレスの裾が広がる。
廊下には私たちだけだ。
互いに侍女も護衛もいないタイミングに顔を合わせてしまうとは、なんという偶然。
こないだの王子の話を思い出し、少しおびえながらマリアンヌが通り過ぎるのを待つ。
しかし突然顎を掴まれ、目をじっと見つめてくる。
「まさか自分で妻を見つけてくるとはね。てっきり政治に利用できる女と適当に政略結婚すると思っていたけど。あれにも人の心があったということかしら」
マリアンヌが眉間にシワを寄せながらつぶやく。
そしてさらに顔を近づけると
「それとも。あなたになにか秘密があるのかしらね」
まさしく蛇に睨まれた蛙とはこのことだろう。
顎から手を離し、品定めするように私を頭の上から足元まで観察する。
「ふん。まぁいずれにしても関係ないわね」
そう言うと、私が何も言う間もなく、身を翻した。
その時
「マリアンヌ」と呼びかけ、私たちに近づいてくる人物がいた。
金髪に紫の瞳をした中年の男。
疲労を滲ませた顔のせいで、暗い印象がある。
王の方が陽気で明るい雰囲気だったが、どことなく王に似ている。
「ロルフ、今行くわ」
マリアンヌが振り返り、その男に近づいていく。
ロルフ…やはりあの人がアドルフ王の弟。
ロルフは私を一瞥すると、マリアンヌと連れ立って去る。
二人が一緒にいる姿を初めて見たが、マリアンヌの一歩後ろを歩くロルフの姿は、マリアンヌを守るように見え、なんだか気になる。
マリアンヌとロルフは親しいのだろうか。
考えごとをしていたら、声をかけられた。
「奥様、勝手に部屋を出ないでください」
仕事の話で離れていたオーウェンが戻ってきたようだ。
「ご、ごめんなさい。書庫に行くだけだしと思って」
注意されて縮こまる。
正直に言うと3年ほど引きこもりだったので、誰かしらがずっと側にいる状況に慣れず、たまに理由をつけて一人になろうとしてしまう。
「いまマリアンヌ様とロルフ様に会いました」
「なんですって、何もされていませんか?!いや、部屋で話しましょう」
オーウェンは目を見開くと、私を部屋に押し込んだ。
「何もされていませんか?」
部屋に入ると再度オーウェンが確認してくる。
「大丈夫です。マリアンヌ様に少し話しかけられて、そこにロルフ様が来られただけです」
「供も連れず、二人が」
考えるようにオーウェンが顎に手を当てる。
「マリアンヌ様とロルフ様は仲が良いのですか?」
「まぁ王にしようって言うぐらいなので、悪くはないと思いますが」
オーウェンがそこで言葉を切り、私を見つめる。
「現王に王妃が嫁ぐ前から、王妃は侯爵令嬢だったので、現王や王弟とは関わりはあったはずです。なにか気になることが?」
「名前を呼び合っていらっしゃったので…」
「名前を。それはかなり親し気ですね」
オーウェンがひとつうなずくと
「ギルバートに報告しておきます。奥様はくれぐれも一人で行動なされないように」
と念押しする。
しかし一人行動を禁止されるのはつらい。
念押しにうなずくことができず、沈黙する。
「奥様は正直ですね」
オーウェンはくすくす笑うと、
「それも含め、ギルバートに報告しておきます。とにかく気をつけてください」
最後は真剣な顔で言い、部屋を出て行った。
オーウェンを見送った後、窓を開ける。
「ルーナ、ウィリアム、アンナ」
『なんだい?二人は寝ているよ』
呼びかけると、ルーナだけが返事をした。
「そうなのね、ルーナは元気ね」
ルーナを招き入れ、窓を閉める。
先程のマリアンヌとロルフの話をする。
「私は人間関係に疎いからわからないのだけど、ロルフ様はマリアンヌ様を好きなんじゃないかしら」
引きこもりの間、とにかく本はたくさん読んでいた。
その知識を元に考えると、先程のロルフの様子はそう思える気がする。
マリアンヌを大切にしているように見えたのだ。
ロルフは王族にも関わらず、妻を娶っていない。
そのことも気にかかる。
『ふむ。私らに恋とかはわからないけど、女の勘ってやつは、案外馬鹿にならないからね』
ルーナが同意してくれて、自分の推測に自信が出てくる。
「もしかしたらロルフ様が王に、というのもそのあたりのことが関係しているのかも」
『よし、どのみちリーゼに危険が及ばないように王妃と王弟は観察しようと思っていたんだ。また何かあれば報告するよ』
「ありがとう」
しかし、もし推測通りならばロルフはずっと報われない恋をしてきたのだろうか。
マリアンヌは王とロルフ、どちらが好きなのだろう。
その時ぼんやりとそのようなことが気にかかった。