【番外編】アドルフ①
全てが退屈だった。
全てを手放したかった。
俺の日常は誰もが羨むものだったが、俺にとっては満たされないものだった。
歳は離れているが、真っ直ぐな恋心を自分に向けてくれる可愛いらしい妻。
優秀な補佐でもある弟。
自分を慕ってくれる家臣たち。
全てこの手の中にあるはずなのに、望めば全てが手に入るはずなのに、俺は常に飢えていた。
唯一自分の心が昂るのは剣を握った時だけだった。
しかし平和なこの国で剣を振るう機会はほぼない。
よいことである。
自分の中の暗いこの感情が間違いなのだ。
そう言い聞かせて、自分の欲望を抑え込んでいた。
しかしそんな世界は息苦しく、笑顔の仮面を貼り付けて過ごすしかなかった。
ピエロのように毎日をやり過ごしていた。
そんな時だった。
カレンに出会ったのは。
初めは興味がなかった。いつものように他国の見せ物をそれらしく見ていただけだった。
しかしカレンに剣の切先を向けられた時、ゾクゾクと自分の内がざわめくのを感じた。
目が離せなくなった。
彼女と向き合い続ければ、自分の中の渇きもなくなるのだろうか。
そう思うと、自分の気持ちが止められなくなった。
出て行った彼女の背を追う。
彼女は踊り子たちの最後尾を歩いていた。
手を掴み、柱の影に誘導する。
彼女は特に驚いた風でもなく、口角を上げた。
「名前は?」
「カレン」
彼女の吸い込まれそうな黒曜石のような瞳を真っ直ぐ見つめる。
「カレン…剣の手合わせをしないか」
先程の舞を見る限り、彼女は剣術に長けている。
予想通り彼女は困惑もなく、ひとつ返事でうなずいた。
そして誰もいない裏庭で打ち合いをした。
ただただ楽しかった。
この時が一生続けばいいと思った。
それは彼女も同じだった。
彼女もこの世界に飽き、飢えていた。
互いが唯一無二の存在となった。
俺たちは自分に欠けているものを埋めるように、互いを求めた。
その後この国にしばらく滞在して、各地で踊りを披露するというカレンと何度も逢瀬を重ねた。
そうして出会って2ヶ月後。
カレンはギルバートを授かった。




