過去 (ロルフside)
他国の使節団が手土産として連れてきたのが踊り子数人だった。
我々は彼女たちの舞いを見せてもらった。
「素晴らしい舞いだった。感動したよ」
アドルフがにこにこと踊り子たちに告げる。
実際、異国の舞いはそれまで見たことがないもので、感動的だった。
踊り子たちはアドルフの褒め言葉に一様に頭を下げたが、一人だけアドルフを真っ直ぐ見ている女がいた。
それが、のちにギルバートを産むカレンという女だった。
「嘘おっしゃらないでください。感動なんてしてないくせに」
あの女は、相手は一国の王だと言うのに、そう言い捨てたのだ。
使節団の者たちは慌てふためいて、カレンに謝罪させようとした。
周りの踊り子たちは慣れっこなのか、またかという程度の顔で驚いている様子ではなかった。
「なぜそう思った?」
アドルフがカレンに尋ねる。
「目の奥がぜんぜん笑っていないから」
そう言われアドルフの表情が一瞬変わった。
それは刹那で、いつものにこにことした顔に戻った。
しかし俺はその一瞬の兄の無表情が頭から離れなかった。
兄はいつでもにこにこしているのが当たり前で、そういった表情を見たことがなかったからだ。
それはアドルフの隣に座っていたマリアンヌが一番感じたのだろう。
マリアンヌはアドルフを食い入るように眺めた後、不安気にカレンを見た。
察したのだ、この女は危険だと。
アドルフの何かを変えてしまうと。
カレンはそんな我々のことは見向きもしていなかった。
ただ真っ直ぐアドルフを見つめていた。
「むかつく」
カレンは腰に差していた剣を取り出した。
城の護衛たちが一斉に臨戦態勢に入った。
カレンを取り押さえようとする。
しかしカレンはふわりと後ろ向きに回ると、剣を使って舞い始めた。
それは本当に美しかった。
しなやかで気品のある優美な動きだった。
そこにいた者全員が瞬きも忘れ、魅入ってしまった。
カレンは最後に宙返りすると、アドルフの前に降り立った。
そしてあっと思った時には剣の切先をアドルフの顔面にピタリと止めていた。
二人の視線が交わる。
すっとカレンが剣を腰に収める。
「少しは心が動いたようで何よりです。ありがとうございました」
アドルフに対して、深々とお辞儀をすると、他の踊り子たちと去っていく。
そうっと兄の顔を伺って、俺は驚いた。
いつものにこにこした兄ではなかった。
獲物を見つめるようなギラギラとした目で、口角が上がっていた。
それは戦いの前に興奮を抑えられない武将のようだった。
その顔を見て、ぞくりとした。
幼い頃、兄が剣術を習っていた時のことをふと思い出した。
目の前の剣術の先生を追い詰める時の悦びが隠しきれない表情。
それが今の兄と重なる。
アステリアは平和な国で、他国との戦争もめっきりない。
しかし世が世なら、兄は軍神と呼ばれていたかもしれない。
それぐらい才があった。それぐらい戦いに飢えていた。
兄の心が間違いなく動いたのだ。
あの女によって、本能が呼び覚まされた。
そういう意味では今、ギルバートが悪魔の子と呼ばれているのはあながち間違いではない。
兄にはまさしく悪魔のような部分があった。
「アドルフ様…」
不安気にマリアンヌが呼びかけたが、その呼びかけに兄は答えなかった。
立ち上がり、部屋を出て行った。
その後アドルフとカレンに何があったかは知らない。
ただその1年後、お腹を大きくしたカレンを兄が連れ帰ったのである。




