07「忘れられない日」後編※sideレイラ
私が気絶から目を覚ましたのは、飛行してから三十分ほど経ってからだったーー
「……はっ! ん? ここはどこですか?」
知らない町の知らない景色。空から降ってきた私達を、不思議そうに見つめる人々。
「お目覚めかな? お姫様」
ジェス君の低くて落ち着く声。見上げると、ジェス君が穏やかな顔で私を見つめていた。
ん? なんかいつもよりジェス君が近い。
そこで私は、自分がお姫様抱っこをされている事を思い出した。
「あわわっ! ちょ、いつまで抱っこしてるつもりですか!」
「あ、ああ、気をつけて降りろよ」
ゆっくり丁寧に降ろされた私は、自分の言った事を少し後悔していた。
もう少し抱っこされていれば良かった。
彼の温もりを、感じていたかったから。
「……それで、ここは何処なんです?」
「ラドバーン領、コザックの町だ」
コザック……確か、ラドバーン子爵が治める町だったと思うけど、なんでまた?
「この町に何か御用でも?」
「ああ、とある男をぶん殴りに来た」
「ええ!? な、なんでまた!?」
「そいつを殴らないと、前に進めなそうだから」
ジェス君とその人の間に、一体何があったのか分からないけど、覚悟を持った目は本物だった。
「何をしたんですかその人?」
ジェス君がここまでするぐらいだから、相当酷い事をしたのだと思う。ちょっと興味が湧いて聞いてみたけど、ジェス君は「すぐに分かる」と言って、それ以上は教えてくれなかった。
「ここに奴がいる」
「ここって……」
町から少し外れた場所に屋敷が建っていた。
見るからに貴族の屋敷だけど、規模的には少し小さいかな?
多分ここ、ラドバーン子爵のお屋敷だと思う。
「この方は、ヴァルヘイム国第三王女であらせられるレイラ=ヴァルヘイム王女殿下である! ラドバーン子爵にお取り継ぎ願う!」
「えっ!? しょ、少々お待ち下さい!」
門の前には、二人の私兵が立っている。その内、一人の方が慌ててお屋敷に入り、もう一人の方は困った顔で私達を見ていた。
少し経った頃、屋敷に取り継ぎに行っていた私兵の方が戻ってきた。
「確認が取れました! ラドバーン様がお待ちですので、こちらに……」
私兵の方に案内され屋敷へ入る私とジェス君。
突然の来訪でお屋敷の中は慌ただしい雰囲気だ。
「これはこれはレイラ王女殿下、我が屋敷へのご来訪大変名誉でございます! それで……本日はどのようなご用件でお訪ねに?」
「突然の来訪にご対応頂き、大変申し訳ありませんでした」
「いえいえ! 滅相もありません!」
「それで、本日の要件ですが……」
私も何故ここに来たのか知らないので、バトンタッチするようにジェス君へ顔を向けた。
「要件は私からお伝え致します。私、レイラ王女殿下の学友であり、本日護衛を務めるジェスと申します。肝心の要件ですが……最近、お嬢様に家庭教師を付けましたよね?」
「ええ、娘が魔法の才に目覚めたので、魔導士の方にご指導を。ですが、それが一体どうしたと?」
「申し訳ありませんが、今すぐそいつをクビにして下さい。代わりの家庭教師は、魔法協会からすぐに派遣されてきますので」
「な。なんですと!? あの家庭教師が何かしたのですか!?」
「ええ、ちょっと粛清しなければいけない事をしましてね。今、奴はどこに?」
「娘に座学を……呼んでまいりましょうか?」
「お願いします」
「分かりました……おい、グレゴリー殿を呼んで参れ」
執事の方に告げたその名前に、心臓が跳ね上がるのを感じた。
「ジェス君……私、帰ります」
そう言って立ち上がった私を、ジェス君は腕を掴んで離してくれなかった。
「は、離して下さいっっ、帰ります!!」
「お座り下さいレイラ様。大丈夫、大丈夫です……私がお側におります」
どうして、どうしてこんな事を……。
ジェス君に抱えられるように座った私だったが、全身の震えは止まらなかった。
「なんなのですか全く。大事な講義の最中だったというに……なっ!?」
ふてぶてしくやって来た彼は、私を見て絶句していた。何故ここに居るんだと、顔に書いてある。
「グレゴリー殿、貴殿は一体何をした?」
「な、な、なにもしていない!」
恰幅の良いラドバーン子爵に詰められ、動揺するグレゴリー。私にあんな事をしておいて、白々しい。
そんなグレゴリーに対して、ジェス君が声を荒げた。
「グレゴリー! 何をしたかは自分が良く分かっているだろ。今すぐここで謝罪し、罪を認めるというなら一発殴るぐらいで済ましてやるが?」
「し、失礼だな君! 私は罪など犯していない! それに、証拠はあるのか証拠は!」
証拠は無い。裁判になったとしても、たった一人の被害者の証言だけではどうにもならない。
複数の人が見ているか、物的証拠が無ければ罪に問う事は出来ない。だから、私も口を噤んでいたのだ。
ただ、複数の被害者が同時に訴えて証言したりすれば別かもしれないけど、そんなの無理だ。
「残念だグレゴリー、これが最後のチャンスだったのにな。ミシェル、アンナ、リエール、キャサリン、ディアナーー分かるよな? 今までお前が教えて来た教え子達だ」
「そ、それがどうしたと言うのだ!」
「全員証言するそうだ。お間に受けた仕打ちをな!」
「な、なんだと!?」
「それにしても、お前の小狡いやり方には虫唾が走るよ。この子達は、全員男爵より下の爵位である家の子達だった。元々伯爵家の次男であるお前は、立場を利用して子供達に圧をかけ口を噤ませた。余計な事を言えば、家の立場が悪くなると言ってな」
「ぐっ!」
「彼女達は、裁判でもしっかりと証言してくれるそうだ。あ、言っておくが、家に頼っても無駄だぞ? 既にお前は、縁を切られているからな」
「う、嘘だっっ!」
「嘘じゃないさ。ほら、ここに書状もある」
「……な、なぜだ」
ジェス君に手渡された書状を見て、愕然とするグレゴリー。顔は青ざめ、今にも気を失いそうなほど震えている。
「という訳で、お前は今から連行される。と、その前に……レイラ様、一発どうぞ」
「えっ、えぇっ!?」
急にふられて慌ててしまったけど、色んな事を思い出して腹が立ってきた私は、グレゴリーの前に向かうと大きく腕を振り上げた。
「この……変態ロリコンクソ眼鏡っっ!! 一生牢屋に入ってなさいっっ!!」
バチンッッッ!!!!
「グベェホッッッッ!」
自分でもどこにこんな力が、と思うほど凄い張り手を喰らわせたと思う。
真っ赤な張り手の跡を残して気を失うグレゴリー。手がジンジンして痛い……痛いよ……。
「良く頑張ったな」
「うん、私頑張ったよ……」
ジェス君が私を後ろからギュッと抱きしめる。
訓練で散々されたけど、未だにドキドキする。
でも、大好きな人に抱きしめられるのは、凄く落ち着くし嬉しかった。
「いやはや、娘がこやつの毒牙にかかる前で本当に良かった。レイラ様、ジェス殿、感謝致します」
その後、ラドバーン子爵の屋敷を出た私達は、当初の目的だった城下町へ向かう事に。
「さっきのは、ジェス君の計画ですか?」
「ん? ああ……色々タイミングが良かったし、奴の新たな被害者を出す前にと思ってな。てか、どうだった? 少しはスッキリしたか?」
「まあ、そりゃあ、しましたとも。でも、手が痛いですっ……」
「ああ、あれは確かに強烈だったな……お願いだから、俺にはやめてくれよ?」
「そ、そんな事する訳ないじゃないですかっっ」
「い、痛だぁっっ!?」
あ、思わずジェス君の背中を叩いてしまった……。
「たくっ、その華奢な体のどこにそんな力があるんだか……よし、とりあえず気を取り直して、城下町へ向かうか。もうすぐお昼だし、来た時より飛ばすからな!」
「えぇっ!? そんなの無理ですよ~っっ」
来た時でさえ、あまりのスピードに意識を失ってしまった事を考えると、更に飛ばすなんて言葉は聞きたくなかった……。
「しっかり掴まってろよ」
「い、いやぁぁぁぉーっっ!!」
どのぐらい経っただろうか。
気づけば城下町へ辿り着いていた私達は、人目の少ない裏通りへ降り立っていた。
「起きろ、お姫様」
「……んぅ、んぁ?」
「全く、寝るほど心地良かったのか?」
「……」
寝てたんじゃなくて気絶してたんです。
わざと聞いてるんですか?
「じゃあ、そろそろ降りてくれるか?」
「……嫌です」
「いや、流石に城下でこのままは不味いだろ……」
「顔を隠せば大丈夫です」
「このままじゃ、散策にならないと思うが」
「……分かりましたよ! 降りれば良いんでしょ! あっっ!?」
急に降りた私は、案の定つまづいて転びそうになってしまった。
「とっ、大丈夫か?」
「は、はい……」
ジェス君が転びそうな私を抱き止めてくれる。
いつも後ろから抱きしめられていたけど、やっぱり前から抱きしめられるのも顔が見れて良い。
「うーん……なんか前にもこんな事があったような」
「さあ! さっそく散策しましょう! わあー、凄く楽しみだなー! 先ずは腹ごしらえに、屋台巡りに行きましょう!」
余計な事を思い出される気がした私は、誤魔化すようにジェス君の袖を引っ張り歩き出した。
「わぁー、この串焼き美味しそう……あっ、あっちの焼き麺も食べたい!」
「分かった分かった。色々買って、シェアして食べよう」
屋台を巡って色々買い込み、オープンテラスのような場所で食べる事にした。
「あれもこれも安くてビックリです! これだけ買っても金貨一枚もしないなんて驚きです!」
「そこはやっぱり、高貴な感性なんだな。こないだも教えたが、庶民の平均月給は金貨二枚。屋台で金貨を使うような物を買ってたら、破産しちまう」
「確かに……もっと勉学に励みます……」
「うむ、よろしい。ほれ、冷めない内に串焼きを食べるのだ」
口元に差し出される串焼き。
これは所謂、"アーン"では!?
「こ、子供じゃないんですから、自分で食べれますよ……」
「良いから、ほら、アーン」
やっぱりアーンだ!
どうしよう、凄くドキドキしてきた……。
「お、美味しいですっっ」
「だろ! 俺も頂こう」
あっ、それでは間接キッスに……て、食べてしまいました。ああ、緊張し過ぎて味が分かりません……。
なんとか緊張しつつも食事を終えた後は、色々なお店を回って散策を楽しんだ。
「あら、可愛らしいブローチですね」
散策途中、露天商で売られていた妖精をかたどったブローチに目を奪われた。
これを見ていると、ジェス君と初めて出会った日を思い出す。私の、生涯忘れない日だ。
「おじちゃん、それ一つ頂戴」
「あいよ! 可愛らしい彼女にプレゼントだね!」
「そ、そんな! 散策に付き合って貰うばかりか、プレゼントなど頂けませーー」
「良いから……ほら、良く似合ってるぞ」
黙れと言わんばかりに人差し指で口を塞がれ、固まってしまった私。ジェス君はそんな私の胸元に、妖精のブローチを付けてくれていた。
「あ、ありがとうございます……」
「どうした? 照れてるのか?」
顔が沸騰したように熱い。俯いて顔を上げられない私に、ジェス君は耳元でトドメの言葉を放ってきた。
「このブローチを見て思い出したよ。レイラは、あの時噴水で助けた子だったんだね」
「そ、それは……」
どうしよう、全部バレちゃう。
きっと、私の気持ちも……。
「なにも言わなくて良い……今日は凄く楽しかったよ。そのブローチも、レイラも凄く綺麗だ。これからも、よろしくな」
「ひゃ、ひゃあぃ!」
この日、
私の忘れられない日がまた増えてしまったーー
ジェス君……大好きだよ。
初デートって、忘れない日ですよね?