16話 ありのままのキス
「イグニ様。フレイヤ様をお連れしました」
「ああ。通してくれ」
いつもと変わらない自室。いつもと同じ服装。お茶会用の綺麗なセリフも言葉も今回は用意してなかった。
「失礼します」
「わざわざ時間を割いてもらってすまない」
「とんでもございません」
ヒダカ、ヒメナと共に自室に入って来たフレイヤはドレスのような姿ではなく騎士としての姿だった。僕が普段の姿で来て欲しいと言ったから当たり前と言ったら当たり前だけど。
するとヒダカとヒメナは僕の方を向いてお辞儀をする。
「ありがとう」
少し微笑みながら言えば安心したように頷いて自室から出て行ってくれた。今日は以前ヒメナに頼んだ通り、ありのままの僕達で話し合う日だ。
でもフレイヤにはまだそれを告げてない。僕がどういう意図で呼び出したのか答えが出ていないだろう。
「好きなところに座ってくれ。椅子でも構わないし何ならベッドでだらけても良い」
「えっと…では椅子に失礼します」
僕が急に変なことを言うものだからポカーンとしているけど今日はありのままのイグニだ。変に凝る必要はない。
実際ヒメナはたまに王族である僕のベッドで仮眠を取ってる時もある。ヒダカには内緒で。
フレイヤは僕の向かい側の椅子に座るとソワソワした様子を見せた。婚約もしてないのに相手側の自室に入り込むこと自体が普通じゃないからな。今から一体何が起こるのかと警戒しているのもわかる。
「フレイヤ」
「はい」
「この自室の周りには部屋が無い。孤立した状態の作りになっている」
「存じ上げております」
「だから誰も僕達の話は聞かれない。それに従者である2人が事前に人払いを済ませてくれた。その2人もここから離れた場所で待機しているので実質僕達2人の世界になるな」
「な、何故そのようなことを?」
「君と…騎士団長でも婚約者でも無いフレイヤと話がしたかった」
包み隠さず僕の意思を伝える。フレイヤはそんな事を言われると予想していなかったらしい。すぐに受け応えを返さず固まっていた。
「突然の呼び出しからのこんな事を言われては戸惑うのはわかっている。でも僕は1人の人間のフレイヤと話がしたい。正直に言おう。いつもお茶会や社交の場で会っていた僕は偽りだ」
たぶんそれに関しては勘づいているだろう。僕は座り直して楽な姿勢をとる。それは踏ん反り返って足を組むという人前では行儀の悪い姿勢だった。
「従者であるヒダカやヒメナの前ではこんなにもリラックスしたような体勢だってとる。今までは騙していたみたいで本当にすまない」
「いえ…」
動揺。それが1番今のフレイヤを表すのに相応しい表現だと思う。
しかし僕がこんなにもリラックスする反面、フレイヤは全く体を動かさず綺麗な姿勢を保っていた。
「呆れられるのも嫌われるのも承知でこの姿を見せている。僕はみんなが思っているよりもだらしなくて呑気な性格だ」
「私はイグニ王子がどんな姿でも許嫁の座を降りるつもりはありません」
「それは1人の人間としてのフレイヤの本心か?」
「勿論」
僕には洞察力というものが備わってない。だからフレイヤの答えが本当なのかも見抜くことは難しい。
「ならば今から意地悪な質問をする。フレイヤは1つでも僕に惚れているところはあるのか?」
「はい。私は騎士の身、そしてイグニ王子は次期国王としての身です。それでありながらもイグニ王子は私なんかを分け隔てなく接してくれるお優しさがあります。騎士と言えど私の性別は女。過去には周りから沢山差別を受けていました。けれどイグニ王子に差別なんて文字はなかった。それが惚れている部分の1つです」
「そ、そうか…」
意外な返答に今度は僕が動揺する番だった。予想ではこの時点で沈黙が来ると思っていたんだけど……。
真っ直ぐ僕を見ながら言うフレイヤの目は真剣そのもの。思わず逸らしてしまう。
「イグニ王子が私からの想いが十分に受け取られてないことがよくわかりました」
「え?」
「お立ちください」
「た、立つ?」
「その場で構いません」
フレイヤが椅子から立ち上がるのを見て僕も釣られたように腰を上げる。そして僕達を挟んでいたテーブルを避けて近くに来ると両手を少し上げた。
まさかビンタでもされるのかと僕は目を見開いてしまう。しかしその両手は優しく頬を包み込むように添えられる。
「ふ、フレイヤ」
「これが今の私が出来る精一杯の想いです」
2人の唇が初めて触れ合う。驚くほどに柔らかかった。僕よりも身長が少し低いフレイヤは踵を上げて合わせてくる。
そんなキスは数秒で終わると思っていた。でも現実はフレイヤが離してくれず何度も小さいキスを繰り返される。
僕はフレイヤに手を添えることもしてない。それでも彼女自身が僕を離すつもりがないと言わんばかりに想いをぶつけていた。
「私もみんなが思っているほどお堅い性格で、色恋沙汰が見られない人ではないのです」
「フレイヤ…」
「何度もこのシーンを想像しました。騎士団の任務中でも訓練されるイグニ様と出くわさないかと願っていました。公務をしている時だって突然訪問されないかと思い浮かべていました」
踵を下ろしたフレイヤは僕と隙間がないくらいにピッタリと体をくっ付ける。こんなの僕の知らないフレイヤだ。
「今までは遠慮し過ぎていました。でも今キスしてわかったことがあります。……何が何でも私はイグニ王子のお側に居たいと。例え相手がわからなくてもイグニ王子を奪うのは私です」
フレイヤの目は怪しく光る。それは悪者を漂わせる光ではない。僕を絶対に捕まえるという強者の目だった。
「フレイヤは、知っているのか…?」
「ずっとイグニ王子を見てきたんです。私と婚約する気が0に近いこと。そして好きな相手がいるということ、知ってますよ」
「…敵わないな」
「この時間が終わるまでは1人の人間としてのフレイヤで居させてもらいます。良いですよね?」
「まぁ、僕が言ったからな」
僕の背中に回される手はより強く力を入れられる。しかし僕はフレイヤの想いには応えようとしなかった。それは彼女自身もわかりきっている。
この人は恐ろしい。相手がわからないとはいえ、雪女様を好きになった僕の恋心を見抜いたのだから。




