中世文学集より 桃太郎伝(葉楽日本紀版)
中世文学の代表とも言える葉楽日本紀から、桃太郎伝を現代語訳した。現代においていわゆる「桃太郎」として知られる物語の原型であるで、細部においては異なっている。テキストはピケール版(国文学研資料館所蔵)を用いた。
「あふん。あれが鬼ヶ島か。まっこと奇怪な島じゃのう」
腕組みした若武者が一人、船べりに片足をかけつつ呟いた。
備前国、南。
寒い風がごうごう鳴る。墨色の波がどやどや上下する。
地元の者たちは影内原と呼んで恐れる、海の上である。
角が二本突き出したような形の、か黒い島に向かう一艘の小舟。上に人一匹と獣三匹の姿があった。
若武者の装いは、金覆輪の金龍頭立夜叉兜、白虎紫金威胴丸で鎧い、青海波紋の羽織を纏い、腰には大小のいくさ道具、白地の鉢巻には桃の駒絵。
この人こそ、日の本に名を知らぬ者はいない男伊達。
まさに桃太郎。
悪霊死霊魑魅魍魎。人の世を乱す妖魔どもも、その名を聞けば子鼠のように震え上がり、我が身可愛さに仲間も売るものもいれば-所詮、妖魔の絆などその程度-あるいは地蔵菩薩に救済を祈る。しかしもちろん、そんな付け焼刃の念仏などなんの助けにもならないのだ。桃太郎を前にしては。
このような話がある。
ある田舎の村で河童の群れを鏖殺したおり、幼河童が一匹、木仏にすがり助けを求めた。
すると桃太郎は「仏に助けを求むるか。ならば仏の元に送ってやろう」と、なんの躊躇いもなく首を刎ねたのだ。血が木仏を汚すのも構わずに。
人外にかける情けなし。桃太郎の天晴生きざまである。
さて話を戻せば、桃太郎と供のものを載せた船は鬼ヶ島に向かっていた。
名前の通り鬼が住む。それが方々で悪さをして回るので、たまらなくなった備前の守護が、金子を積んで桃太郎を呼び寄せたのである。
鬼ヶ島に乗り込み、鬼を退治して欲しい。守護の坂本善右衛門は桃太郎に平に服して頼み込んだ。
正気の沙汰ではない。
鬼退治などというのは有力な侍が軍を率いて、一族の命運を賭して行うものである。
そして鬼ヶ島は鬼の総本山。死にに行ってくれと頼むのも同じであった。
しかし桃太郎は金子をひっつかむと、吉備津宮に詣でて必勝祈願を立て、道中三匹の供のものをみつけると、小舟で鬼ヶ島に向かったのだった。
黒い島が徐々に大きくなる。
桃太郎は船に揺られつ口の端を歪めた。
「どんなふうに泣くかなぁ」
呟いた。
「なぁ。鬼はどんなふうに泣くかなぁ」
それを聞いて供の畜生ども、即ち犬・猿・雉がいやらしく笑った。
三匹とも名はない。
吉備津宮より万力無双の御加護を授かりし吉備憂憂団子を喰らったため、名は失ってしまった。
三匹の畜生とまとめてみたが、仲間意識はなかった。利害が一致したので桃太郎に仕えている。
畜生にもそれぞれ生まれ持っての美徳というものがある。
猫ならばそれは怠惰である。鼠ならば狡知である。犬という生き物は忠義を美徳とする。
この桃太郎に仕える犬は、もともとは小島助五郎という武士の飼い犬であった。
助五郎は備後の国の御家人、佐竹太郎丸に侍う雑輩の一人であったが、志は人一倍、勇気も人一倍だった。
かつて佐竹太郎丸が、宴の余興に金十匁を与えるので、誰か十人力士と相撲てみよと言い出したことがあった。活きのいい暴れ力士が一人いても手に負えぬのに、それが十番である。
武士たちがすくみ上る中、手を上げたのは助五郎だった。
その日の相撲で助五郎は半殺し、いや七分殺しにされ、七日七晩生死の淵を彷徨った。
一度は地蔵菩薩の掌に魂を迎えられた。しかし助五郎はこの世で目を覚ました。
日の本の国で立身出世し、大侍にならんとする大望と大欲が彼を生かしたのである。
犬は主人に満足だった。この若者は大器である。必ずや天下に号令する侍となるだろう。傍らで尽くす覚悟だった。
なぜなら犬の美徳は忠義だからである。
だが終わりは突然に訪れた。
鬼が出た。
海辺の村からの突然の知らせに、御家人佐竹太郎丸は一族郎党を率いて急行した。
そこで待ち受けていたのは、身のたけ一丈(3メートル)あまり、金剛赤褐鱗肌、頭には天貫かんばかりの角が二本、それぞれに哀れな村人を十人ばかり刺して殺した、まごうことなき外道者。
赤鬼であった。
助五郎は勇敢であった。怖気づく武士たちの中から一人飛び出し、まずは自分が先鋒として当たると、鬼に向かって名乗りを上げたのである。しかし、その名乗りが終わるのを待たず、鬼のふるった金砕棒が、助五郎の頭を木っ端みじんに砕いた。
助五郎、無念わずか二十二年の生であった。
なんたる卑劣だろうか、名乗り途中に襲うとは。
犬は憤激と恥辱に狂わんばかりだった。
もし自分の身が砕けようと鬼に一矢報いられるなら、すぐにでも次鋒として飛び出すつもりだった。
だが犬には力がなかった。ここは命を無駄にするべきではない。
なんとか正気に戻った犬は、恥に身を焼きながらも戦場を後にした。
戦がどうなったか、犬は知らぬ。
しかし二月ほど後、主君の佐竹太郎丸も討たれたと風の噂に聞いた。犬はその日、寝ながら血を吐いた。
諸国を渡り歩き、ある時は信州信濃の早太郎を訪ねて修行を積んだ。
悉平太郎を訪ねて妖魔との戦い方について教えを受けた。
切磋琢磨の果てに辿り着いたのは、どうやっても鬼には勝てぬという答えだった。
ならばせめて一匹鬼ヶ島に乗り込み、暴れられるだけ暴れて主人の命日に花を添えるまで。
覚悟と共に備前国に向かった犬は、そこで若侍に出会った。
若侍は言った。
「そち、良い目じゃのぉ」
「死に場所を探しておるか? それとも復讐を望むか?」
「ならばこの団子を喰らえぃ。拙について来るが良かろう」
こうして犬は一匹の犬となり桃太郎の供となった。
犬が欲するは復讐であった。それだけが犬を満たしてくれるからだ。
猿という生き物は生まれながらにして悲哀を背負う。
即ち万物の霊長の一員でありながら、決してその頂には手が届かぬという悲哀である。
いったいどれだけの猿が、己の獣毛を恨んできたか。自ら皮を剥いで死ぬ猿も少なくない。
この桃太郎に仕える猿も思い悩む猿の一匹だった。
運命を変えたのは、たまたま降りた谷底で見つけた、たっぷり金子の詰まった箱である。
畜生には金子など何の意味も持たぬ。
たまにため込む者もいるが、それはしょせん綺羅綺羅だからであって、価値を理解しているわけではないのだ。
猿も例外ではなかった。ただ少し。ほんの少しの好奇心から猿は黄金色のそれを一掴みし、谷を登った。
その夜のこと、猿は群れの若猿衆でつるんで遊びに出かけた。
住んでいた山の近くに人間の里があり、出かけて行っては勝手に飲み食いし、逃げ帰るのが猿たちに流行の遊びだったのだ。
若猿衆は明かりに満ちた夜道を下に見て屋根を駆け、目を付けた館に忍び込んだ。
すると派手な衣装を着た人間の娘たちが、楽曲に乗って舞い踊っていた。
やれ、これは最高の獲物だと若猿たちが飛びかかった。
ところで網が覆いかぶさった。
人間の罠にはまったのだ。
物陰から槍を携えた恵比須顔の若武者衆がひょっこり顔を出した。
若武者衆は、なぐり棒やぶっ切り鉈で、容赦なく若猿たちを打ち殺していった。
猿の物語はここで終わるはずであった。桃太郎に仕えるは犬と雉のはずであった。
しかしここは仏が微笑んだ。最後の一匹となった猿は、とっさに金子を突き出したのだ。
若武者衆がおやおやと、どよめいた。
一人が他の一人に言った。
「おい、こいつ金を持ってるぞ」
「ああ、本物の金子だ」
「金を持ってるならこいつは客だ」
「畜生だぞ。生かしておく訳があるか」
「生かしておけばまた金子を持ってくるかも知れぬ」
「そいつはもっともだ」
若武者たちは引き上げていき、残った猿に娘たちが飛びついた。
それから猿は芸妓遊びに通い詰めた。
毎日谷底に降りては、金子を一掴みして里へ降りた。
娘たちの技芸は猿にとって意味を持たなかったが、人間として扱われるのが愉快だったのだ。
ある日、金子の箱が底をついた。
空手で遊びに出た猿は、命からがら逃れることになった。
突き付けられたまことに身を焼いて。
傷だらけで備前国にたどりついた猿は、そこで若侍に出会った。
若侍は言った。
「そち、欺羅欺羅した目じゃのぉ」
「夢が欲しいか? それとも金が欲しいか?」
「ならばこの団子を喰らえぃ。拙について来るが良かろう」
こうして猿は一匹の猿となり桃太郎の供となった。
猿が欲するは金であった。それだけが猿を人間にしてくれるからだ。
雉について分かっていることは少ない。
腹に大きな傷を負って備前国にたどりついた雉は、そこで若侍に出会った。
若侍は言った。
「そち、鋭い目じゃのぉ」
「高天原へ行きたいか? それとも生きるか?」
「ならばこの団子を喰らえぃ。拙について来るが良かろう」
こうして雉は一匹の雉となり桃太郎の供となった。
雉が欲するは闘争であった。それだけが雉を正気でいさせてくれるからだ。
そして桃太郎。
尾張国の村に芝刈りの翁と清ましの嫗という、つまらぬ身上の夫婦が住んでいた。
その名の通り翁は山で柴を狩り、嫗は預かった汚れ物を洗って口を糊していた。
この老夫婦がどのように桃太郎を授かったかはわからない。
芝刈りの翁は、巨大な桃の内より桃太郎が出てきたと、突拍子もない話を吹聴して回っていたが、真に受けたのは阿呆者だけである。
おおかた道端で拾ったか、どこかの屋敷から盗んできたのだろう。
桃太郎はすくすくと成長し、5つの年には土地を治める侍、犬谷乱丸お抱えの力士と相撲って破った。
7つの年には、村を襲った大熊を素手で扼殺した。
9つの年には、付近の村を荒らしていた野武士団の根城に一人で乗り込み、首級を山と積み上げた。
翁は桃太郎に、元服ししだい犬谷乱丸に侍うことを勧めた。
犬谷乱丸もすっかりそのつもりでいたし、村の誰もがそう信じていた。
が、その日。桃太郎はただ
「旅にでる」
とだけ告げて、一人家を出た。
芝刈りの翁は切腹し、桃太郎の行方はしばらく知れなくなった。
数年もすると日の本の各地から、桃の鉢巻きをした風来侍の噂が囁かれ始めた。
桃太郎。この人に敵う悪鬼妖魔なし、と。
猿が櫂を漕ぐこと一刻。
小舟は鬼ヶ島へとたどり着いた。
さっと躍り出る一人と三匹。猛烈な硫黄臭が鼻を衝く。
桃太郎は腰の布袋から、吉備憂憂団子を取り出し、畜生どもに放ってやった。
もとはただの黍団子である。
吉備津宮より御加護を授かり、喰らったものは万力無双となる。
畜生どもの目が血走り、口から泡が噴出した。
「行くぞ」
島の奥に歩みを始める桃太郎。
すると、どうやって気がついたか、岩の陰から金砕棒や刺股を手挟んだ鬼どもが湧き出してきた。
身のたけ一丈から一丈三尺。肌は金剛赤褐鱗肌。その数ゆうに四十は超える大軍勢である。
桃太郎たちは口の端を歪めた。
大戦のはじまりである。
桃太郎の戦舞。
その凄惨たるや、神仏も顔を隠すほど。
また畜生どもの牙、爪、嘴には附子の毒が塗られていた。
三匹とも喜び勇んで鬼に襲いかかる。
それは戦と呼べるものではなかった。
日は西の果てに隠れ
月その両目を背ける
死せる鬼累累
屍は山となり血は河となる
桃の侍は赤く染まり
畜生どももまた鬼を貪る
鬼に逃げ道無し
ただ列を為し殺されるを待つのみ
男の鬼を殺し尽くすと、女子供、そして老いた鬼が桃太郎に身を投げ出し、助命を嘆願した。
桃太郎は眉一つ動かさずに見下ろし答えた。
「お主ら鬼が、命乞いする者を救うたことがあるか? それと同じ数だけお主らも救うてやろう」
島は静かになった。
犬は死んでいた。
折り重なった屍の間に、鬼の喉笛に喰らいついて離さぬ犬の頭だけが見つかった。
雉もそのすぐ傍で力尽きていた。全身が潰れていた。
桃太郎はそれらを一顧だにせず、鬼がため込んだ財宝を欲しいだけ船に積み込めと、猿に言った。
以上が桃太郎の鬼退治の顛末である。
生き残った猿が語り部に伝えた物語であるが、その猿も数年後に蟹一党との合戦で討たれた。
よってこの後に桃太郎がどうなったかはわからないし、話そのものの真偽すら定かではない。
桃太郎自身が何を望んで鬼との戦に臨んだかも、わからずじまいである。