第六話 正直ゲーム 前編
清潔感あふれる和室に、荘厳な鐘の音が鳴り響く。突然の轟音に、ダルシム矢野は、羽毛の敷布団から瞬時に飛び起きあたりを警戒した。一泊おいて、ここが覇王ゲーム予選通過生に充てがわれた寝床であることを思い出したダルシム矢野は、再び布団に潜り込み目を閉じた。
『…ザザッ……ザッ……覇王ゲーム参加者の皆さん、おはようございます』
スピーカーからノイズ混じりの放送が始まり、ダルシム矢野は布団の中で最大限の注意を持って聞き耳を立てた。
『これより覇王ゲーム本戦を開始いたします。参加者の皆様は至急、中央ホールにお集まりください……ザッ……』
放送が終わるやいなや、ダルシム矢野は部屋を飛び出した。焦燥感に胸を焼かれながらも、ダルシム矢野は廊下を疾走した。
廊下には、幾人もの参加者達が我先にと人並みを掛分け奔走していた。ダルシム矢野は、姿勢を低くして、そんな彼らの足元をくぐり抜け、風のごとく滑空した。
ダルシム矢野が中央ホールにたどり着くと、今まさに壇上に登った日本国首相が話し始めるところであった。
「おはようございます」
「「おはようございます」」
会場が一斉に挨拶を返す。
「これより、覇王ゲームを開催いたします。第一回戦は1on1のPVE形式となります。すなはち、君たちには我々、覇王ゲーム運営委員会の精鋭と一騎打ちをしていただく! これは予選の延長と考えてもらって構わない。確かに宴を乗り越えた君たちは、時代が時代なら天下無双の武人となったであろう。しかし、我々が求めるのは、覇王なのです。まだ足りない。凡夫はここで消え去ってもらいます」
首相は、鋭い眼光でホールを見回した。その視線はホールの入り口で止まった。そこには、抜き足差し足で、会場に潜り込んでくる出遅れた凡夫共の姿があった。
「説明は終わりです。では、各々指定された部屋に移動してください」
首相は、そう言い終わると颯爽と壇上を降り、参加者達の間をかき分けて、ホールの入り口に向けて進行する。途中、ダルシム矢野の隣をすれ違う刹那、他の者には聞き取れないほど小さな声で呟いた。
「どなたか存じ上げませんが邪魔です。お退きなさい」
ダルシム矢野は即座に飛び退き、道を譲る。その従順な態度に首相は破顔すると、そのまま入り口のドアを蹴り飛ばし退場した。
まるで嵐が過ぎ去ったかのような静寂が会場を支配する。そこに突然、コンパニオンガールが現れて、参加者達に数字の書かれた紙を手渡して回る。突然の美女の登場に、ダルシム矢野は赤面した。
「はーい、坊やの部屋番号よーん」
ダルシム矢野は、動揺を気取られないよう無言で紙を受け取った。紙には『66』の数字が刻印されていた。部屋番号を暗記すると、ダルシム矢野は紙を握りつぶし、コンパニオンに手渡すと疾走を開始した。
廊下を駆け抜け、目的の部屋にたどり着いたダルシム矢野は、一泊の間を置き呼吸を整えた。ついに覇王ゲームが始まる。ダルシム矢野は自分の鳩尾に手刀を叩き込み気合を入れる。
「うぐぅっ」
鋭い痛みに感覚が研ぎ澄まされていく。気合を入れたダルシム矢野は、力強くドアをノックした。
「はぁ〜い、どちら様ですかぁ〜?」
部屋の中から、おじさんの声が返ってきた。
「ダルシム矢野が参りました! 第一回戦はこちらで?」
ダルシム矢野がそう言い終わるやいなや、扉がゆっくりと開かれた。開け放たれたドアの向こうには、黒ずくめのローブに身を包んだおじさんが腕を組み、ふてぶてしくこちらを睨みつけていた。
「よくぞ参られた、覇王の卵よ。中に入られよ」
ダルシム矢野は、軽く会釈すると部屋に乗り込んだ。
四畳半の和室のちゃぶ台を挟んで相対する二人の男。張り詰めた空気が、まるでこの部屋が世界から切り離されたかの様な錯覚を引き起こす。
「さあ、そこな座布団に腰掛けよ」
ダルシム矢野は薄汚れた座布団に強い不快感を覚えながらも、その上に着陸した。
「さて、では早速始めよう。世界を導くものは、誠実かつ公平でなくてはならない。嘘つきは覇王に相応しくない。故に、正直ゲーム!!!!!」
おじさんの咆哮が部屋にこだまする。
「これより君に関する3つの問を投げかける。君は嘘偽りなく正直に真実を答えるのだ」
突きつけられたゲームの内容を、ダルシム矢野は精査する。ルールは単純明快である。そして、とんでもなく簡単だ。普通に考えれば、100人が皆通過できるボーナスステージであると言える。
しかし、首相は言っていた。凡夫をふるい落とすと。ならば………
「おじさん、1つ質問よろしいか?」
「よろしい!!」
「僕が正直に答えているかどうかのジャッジメントはどうする?」
「うむ。君は『大日本観測浮遊要塞・アカシックサテライト』を知っているか?」
『大日本観測浮遊要塞・アカシックサテライト』
日本国民なら知らぬものはいない人口衛生。日本国の天空から、ありとあらゆる事象を観測記録する人口のアカシックレコードだ。
「アカシックサテライトの膨大なデータから、君の情報をサルベージして問を作成した。故に、このゲームには、明確な正解が存在しているのだ」
おじさんの説明を聞き、ダルシム矢野の中で、1つの確信が芽生えた。このゲームの本質は、嘘をつかないことではない。客観的な事実を元に、埒外の真実にたどり着く。それが、このゲームの本質であると、ダルシム矢野は瞬時に看破した。
例えば、『ダルシム矢野は老婆に育てられた』という問いがされたとする。ダルシム矢野にとって、これは真実である。しかし、実はダルシム矢野が知らなかっただけで、お婆さんは女装したお爺さんだったかもしれないし、人によく似た新種のチンパンジーがお婆さんに擬態していたのかもしれない。
ダルシム矢野は瞳を閉じて、集中力を高める。自身の持てる全ての情報を本のイメージに落とし込み、脳裏の本棚に片っ端から並べる。ダルシム矢野の記憶の図書館が形成されていく。
「ーーーよし。準備は出来た。おじさん、何時でも始めてくれ」
「よろしい、では1つ目の問だ。あの日、山賊が矢野家を襲撃したのはダルシム矢野が原因だ」
その言葉がダルシム矢野に届いた瞬間、心は急速に熱を失っていく。鮮明にあの日の記憶が脳裏にフラッシュバックする。体が拒否反応を起こし、失神という安寧にダルシム矢野を飲み込もうとする。
しかし、ダルシム矢野は、崩れ落ちそうになる足に力を込め、その場で受け身を取ると防衛反応を意思の力でねじ伏せた。
あの山賊襲来は自分が原因? そんなはずは無い!! しかし、全ての可能性を吟味しなくてはならない。痺れる脳を叱咤してダルシム矢野は、記憶の図書館に没入する。
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『本日の配給です』
『ありがとよ』
そう言うと髭面の男はナップサックにエナドリとゼリーを格納した。
『あれ、飲まれないんですか? 皆さんその場で飲み干して咆哮を上げられるので珍しいですね』
『あぁ、娘が体を壊しててね。少しでも蓄えておきたいのさ』
髭面の大男はバツが悪そうに答えると苦笑した。
『素敵なお父さんですね。ウチのばあちゃんも、僕のためって言ってエナドリを蓄えてるんです。子供の立場からすると嬉しい反面、栄養ちゃんと取って欲しいって気持ちもあって心配になっちゃいます』
『はは、こんな世の中じゃ子供の為にエナドリ貯金くれぇしかしてやれねぇ。ちっぽけな親心だ。坊主も婆さんの気持ち組んでやれ』
そう言って屈託なく笑う大男に、心が暖かくなる。ダルシム矢野はお辞儀をして、また明日来ますと言い残し再びスラムを疾走した。
『本日の配給です』
大男の洞穴に向けてダルシム矢野が語りかける。しかし、誰も出てこない。幾度か呼びかけたが、やはり反応がない。
そこでダルシム矢野は、洞穴の裏手からエナドリの香ばしい香りが漂ってくることに気づいた。不審に思い、家の裏手を確認すると、そこには大量のエナドリとゼリーを焚き火で燃やす、件の大男が立っていた。
『おっさーん!! 何してるんだ!! 大事なエナドリ貯金だろ? 娘さんの為に取っておいたんだろ!?』
ダルシム矢野は、おっさんに走り寄った。そして気づいた。おっさんの顔からは一切の感情が抜け落ちており、その目は漆黒の底なし沼かのように、どこまでも黒く淀んでいた。
『あぁ、坊主。………うちのチビ……死んじまったよ。だからもう、これいらねぇんだ。はははっ』
『おっさん!!しっかりしろ!!』
『………あぁ、エナドリが燃え尽きる。足りねぇな。チビが天国で腹空かせてる………』
大男の目がギョロリと動き、ダルシム矢野を捉える。
『坊主の家にゃあ、エナドリ一杯あるんだったなぁ? 少し分けてくれや』
ダルシム矢野はイカれた狂人の戯言に身の危険を感じた。
『はい! と言うわけで、本日の配給はこちらです。では、失礼いたします!』
ダルシム矢野は尻尾を巻いて疾走した。
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「………あっ」
ダルシム矢野は口元を両手で覆いながら、記憶の海より覚醒する。あのときの大男、サイズ的に襲来した山賊にとても似ていた。
自分がエナドリ貯金のことを話したから? だから襲われた? 脳が理解を拒み、思考が靄がかかったかの如く遮られる。そんな、ダルシム矢野の状況をよそに無慈悲な声がかけられる。
「さあ、答えよ。山賊の襲撃はダルシム矢野が原因か否か………3………2………1………」
「あ、あ、あ………ぼぼぼ、ぼくのせいだああああああああああああぁあぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「エクセレントっ!!正解だ!!」
ダルシム矢野は失神した。