『あなこん太郎』 上の巻
昔々の大昔。世界には、ただ一本の大樹がそびえ立っていた。何もない世界で、大樹はただ始まりの時を待つ。
いつしか大樹の根元には、小さな黒い蛇が住み着いていた。蛇はお腹が空いたので、大樹の根っこに齧りついた。その根管からは、極上の樹液とともに無限の情報が流れ込んできた。蛇は知性を獲得した。
「寂しいにょろぉ〜」
知性を得た蛇は、自身が孤独であることを知り、寂しさを知った。そんな蛇に大樹は言った。
「やがて、君には仲間ができる。人間だ」
「人間って何にょろ?」
蛇はその体で?マークを作り尋ねた。
「愚かで愛しい生き物さ」
「にょろぉ………よくわかんないにょろよぉ〜」
蛇は釜首を傾げるのだった。
無限の時が流れる中、蛇と大樹は2人きり。蛇は大樹に寄り添い、大樹は蛇に様々な話を聞かせた。
ある日の事。
「そろそろお別れだ」
「にょろろん?」
「君、約束をしておくれ」
大樹のいつもと違う様子に困惑する蛇。
「人にやさしくするんだよ?」
「にょろ?」
「人を恨んではいけないよ?」
「にょ?」
「できるね?」
「何を言ってるか分からんにょ〜」
「へびやん、しっかりしんしゃい!」
大樹の枝が揺れバサバサと葉が音をたてる。蛇はびっくりして反射的に答えた。
「にょ!!」
その日を境に、大樹は喋らなくなった。あれからも蛇は大樹に寄り添って、語りかける。しかし、返事は返ってこない。
時が流れ、空が出来、海が出来、大地が出来、世界が色づいていく。蛇は今日も語りかける。
「今日も喋ってくれないにょろか?」
無限対数回目の問いかけにも、やはり返事はない。わかりきっていた結果。蛇にとってこの行為は、もはや習慣のようなものとなっていた。
ため息を吐き、蛇がその場を立ち去ろうとしたとき、その背後から声がした。
「たまげただぁ!! 何てでっけぇ蛇様じゃ〜!!」
蛇が振り返ると、そこには腰を抜かしたお爺さんがこちらを指差し失神していた。
蛇は困惑していた。悠久の時の中で、初めて見る自分と大樹以外の存在。そして確信した。これが人間であると。蛇はその場でとぐろを巻き、翁を観察していた。
「ハッ!!」
翁が失神から覚醒すると、そこには巨大な漆黒の大蛇が自分を凝視していた。
「大蛇様ぁ、おら旨くねぇだよ〜!! 食べんでくんろぉ!!」
「にょろぉ?」
「お許しくださるだ!? ありがとでげすよぉ〜!! こ、これ食べてくんろぉ!!」
翁はそう言うと、背中の籠から大根を蛇へと放り投げると一目散に走り去っていった。
遠ざかる翁の姿を名残惜しそうに眺めていた蛇は、自身の眼前に転がる大根に顔を近づけた。かつての友人と同じ青臭いにおいがして、蛇は天を仰ぎ涙した。
翁と蛇が出会った日より数日が立つ。蛇はあいも変わらず、枯れた大樹の根本でとぐろを巻く。そのすぐ傍らには、一本の大根があった。そして、蛇は時おり大根の匂いを嗅ぐと、満足そうに瞳を閉じるのであった。
「大蛇様ぁ!! ありがとでげすだぁ〜!!」
騒がしい声で大蛇は眼を開けた。そこには先日の翁が立っていた。
「大蛇の御利益だぁ!? おらの畑がとんでもねぇ豊作で、すんげぇでげすよぉ〜!! 大蛇様、ありがたやぁ〜」
「にょろぉ!?」
蛇は困惑していた、翁は意に介さず話を続ける。
「大蛇はおらの守り神だぁ!! 是非村に来てくんろ!? 村人一同歓迎するだ!!」
蛇は全く心当たりがなかったが、翁の提案は魅力的だった。あの日、大樹が失神してから悠久の時を一人で過ごして来た蛇は、翁と出会い、常に自身が感じ続けている感情の名を思い出してしまった。その名は孤独。
「にょろろん!!」
「おお!! そうと決まれば早速行くだぁ!!」
蛇は翁の村に迎えられ、奉られた。蛇は村人から『あなこん太郎様』と呼ばれ、村の守り神となった。蛇を祀る社には、連日連夜大根が供えられた。
これから起こる最悪の悲劇など知る由もなく、社にて蛇は幸せそうにとぐろを巻いていた。