戦場帰りの少女は恋を知った。
今思うと前日談かも。メインの話である依頼人に会って成長する主人公の短編を書くかもしれませぬ。
ぜひ感想、評価、ブクマをよろしくお願いします。
――赤、――赤、――赤、
彼女の世界は赤かった。
それは敵の血か、同胞の血か、はたまた自分が流す血だったか。
三〇年続く戦争の中で生み出された人造の人間、ホムンクルス。人口不足を補う為に作られたホムンクルスとは別に、戦闘用に調整された人工生命体ワルキューレとして生を受けた少女。
両親の愛の代わりに、厳しい訓練を。
温かい人の温もりを知らず、魔法と銃弾が降り注ぐ中で同胞である姉妹たちの骸を抱えながら彼女は終戦まで戦い続けた。
幸運にも生き残った少女ではあるが安らかな眠りは許されなかった。夢の中ですら命を奪ってきた敵兵と、守れなかった姉妹たちの少女を呼ぶ声が耳から離れない。
限界まで肉体を酷使し、夢を見る暇もなく死んだように眠る時間だけが彼女の唯一の安らぎなのだ。
そんな少女が暮らす軍の兵舎は祖国であるククルタ連邦と、敵対国のマルカ帝国の国境線近くの城塞都市。
しかし少女が寝泊りするのは比較的安全な城塞都市の少し硬いベッドではなく、最前線の申し訳程度なクッションの付いた寝床だった。
最前線は地獄だ。
両国どちらもここから先に軍を入れるわけにはいかない。戦闘が起これば固定砲台からの砲撃が止む事は無く、侵入する兵士と戦車を物言わぬ鉄血の残骸どころか跡形無く消し去っても続く。
定期的に起こる小競り合いの範疇を越えた戦争は、自然に溢れた森を荒地へと塗り替えるのにそう時間はかからなかった。
――地上が無理なら空から攻めればいい。
そんな簡単な話で三十年もここ、ファレス河を挟んだファレスラインで両国の戦況が膠着するはずがない。幾十の対空砲台と対地砲台が並ぶのはどちらも同じなのだ。
もし侵攻して手痛い反撃を食らえば、そのまま逆侵攻される。長年の戦争で消耗しきった各国は膠着したまま盤上の駒を動かせなかった。さらには帝国では内部の反乱を警戒して、連邦側では危機的な人口不足がその主たる原因だ。
そんな戦争が終わる切っ掛けになったのは軍事力ではなかった。
終戦一年前――ファレスラインの連邦寄り、軍の警戒区域での話だ。
『ファレスラインの守護天使』とまで呼ばれた、ワルキューレの少女は亡者の彷徨う戦場で一人の青年と出会う。
少女が青年を見つけたのは偶然だった。彼女がいつものように夜の哨戒任務に出ていた時、ふと見た岩肌の影に息を殺して気配を消す青年が居た。
「『マルカ軍人を一名、確認』、――ゆっくり両手を見せて、地面に伏せてください。さもなくば射殺します」
片手で通信機に触れ、少女は自身の半分はあろうかという銃剣を青年に向ける。
銀色の鈍い刃の輝きは今までに多くの血を流してきた。その威圧感が何故かぼーっと上の空だった青年を現実に引き戻した。
「こちらの命令を無視するなら、抵抗と見なしますが?」
「すまない!」
青年は少女に見惚れていて動けなかったのだ。人間の国である帝国では少女のような耳の長い種族、エルフの女性を見たことが無い。
作られたように整った顔、すらりと長い手足。魅惑的とは真逆な透明感のある華奢な体。
夜の風に揺れ、月の明かりを受けて反射する銀糸の輝き。これで髪を長ければ実家に飾られている月の女神のようだと、軍服を身に纏う少女を見て青年はそう思った。
それだけに顔の一部に残る古傷と火傷の後が痛々しく目立つ……。
「連邦のホムンクルス……だよな。帝国兵ではなかったことを喜ぶべきか。こちらに戦闘の意思はない。できればこのまま見逃してもらえると助かるんだけ――ど?」
青年は地面にゆっくり伏せて言った。
少女が見た青年の肩にある階級章は士官クラスのモノ。帝国人の亡命は度々あることだが、貴族であろう士官クラスの脱走と取れる言葉にも関わらず少女の表情は変わらない。
そもそも彼女に判断を下す権限はなく、ただ上に報告することしかできないのである。
「命乞いを自分にされても無意味です」
「俺には為さねばならない事があるんだ」
機械的に淡々と答える少女に青年は食い下がる。この青年が脱走兵と思っていた少女は少し迷って尋ねてみる。
いつもならこんな無駄な問答などせず、哨戒中の仲間が合流するのを黙って待っていたはずだ。
なら何が彼女をいつもと違う行動を取らせたのか。それは戦場で相対する帝国兵の濁った憎悪の目でない、青年の真っ直ぐで澄んだ黒い瞳がそうさせたのかもしれない。
「為さねばならない……ですか」
「この戦争を終わらせる。それが俺らの目的だ」
夜の静寂が再び訪れる。青年はそれ以上は続けず、少女の返答を待っている。その少女は銃の木製ストックを強く握ぎり、しばらくしてこう答えた。
「下らない戯言です。まだ戦争を終わらせられる状況ではありません。戦争を決するにはどちらも疲労し過ぎたのです」
「戦争はいつか終わるものだ、永遠なんてありえない」
がらんどうなガラス玉のような少女の瞳に青年は悲しそうにする。彼が知る年若い少女という花には似合わない空虚な目だ。
「――終わらせようにも、帝国の指導者は和平などという妥協を選ぶと思いますか?」
青年は少女の声に諦念と否定、瞳に戸惑いと悲しみを見た。戦争のために作られたホムンクルス、それ以外知らない青年には彼女が何を思ってるのかは想像しかできない。
自分も戦争の無い時代というモノを経験したことがない。けれども青年の軍学校時代には多くの友が居た、
――なら彼女はどうであろうか。あるいは戦争が終わった後、彼女はどうなるのだろうか。
連邦の殺戮ドールは感情の無い兵器ではなかった。自分達と同じヒトであるのだと理解した青年は、諦めきっている彼女の考えを正そうと言葉に力が篭る。
「そうじゃないんだ……、俺達は帝国を変える。できるできないじゃない――俺達はそれをやらないといけないんだ」
「なぜ今さら――、私達が戦ってきたのは……」
少女が小さく呟く声は青年には届かない。その声は外野からの声にかき消されることになった。
「探せ! この辺りにいるはずだ、なんとしても奴の帰還を許すな」
「――お仲間、ではありませんね」
声が聞こえるより先に少女は侵入者に気付いていた。
少女は教科書通りに見つけた帝国兵を軍に知らせるため動き出す。
「『司令部、応答を』……ノイズが酷くて通じていない、通信妨害ですか、まさかあなた一人を見つけるため? 随分大掛かりな事をしてますね」
「待て! そんなことをしたら奴らに居場所が――
信号弾を取り出すと、拳銃に装填して空へ向けて打ち上げた。
「問題ありません。この見晴らしの良い場所に侵入できる戦力なぞ、たかが知れています。その程度、自分ひとりで対処可能です」
少女は伏せる青年のズボンの布にナイフを突き刺し、銃を構える。放置できない青年は拘束のため、背中を足で押さえつけられ蛙のような状態だ。
要塞からサーチライトの光の筋が幾条も伸び、その中に人の影がいくつも浮かび上がる
少女はまるで野鳥か野鹿でも狩るかのように、その人の気配の中心に狙いを定めた。
「『トゥリィ・トゥリィ・アエル――ロダント』」
歌うように魔法を唱える少女。銃口の先には幾何学模様と文字の魔法陣が浮かび上がり、強大な魔力反応が少女の髪を揺らす。
「これが連邦の戦闘用ホムンクルス――ファレスのワルキューレ。これじゃ……」
地面しか見えない青年も、人間とは比べ物にならない魔力の脈動に言葉を失う。
「行きなさい」
短く命じる少女の魔弾が銃から飛び立つ。
視認できない速度で発射音だけを残していく魔弾は、百メートルほど先で炸裂し凸凹な荒地に新しいクレーターを生み出した。
青年が確認するまでもない。あの下にいただろう帝国兵は悲鳴すら残すことは無かったのだ。
「魔力反応消失、残存戦力は――さらに奥から少数の反応、友軍もこちらに接近中」
少女は連邦側と帝国側を一瞥して呟く。
同郷の兵士が死んだことに現実味は無く、凛とした少女に心惹かれる青年もそれを聞いて焦り出した。自分を迎えに来たかもしれない仲間がクレーターにされるのは、自分達も連邦も困るのだ。
「ロベルト殿下の使いなら武器を向けるなっ、すぐ降伏するんだ!」
「黙れ」
少女の足に力が入り、「ガッ」と青年の肺から空気が漏れ出した。
帝国側から姿を見せた三人組は武器を頭の上に見せて戦意が無い事を示した。同時に、反対側から少女の良く知るホムンクルスの上官と、同じ哨戒任務に就いていた同僚達がやってくる。
「カーティス様、ご無事ですか! 連邦の兵士よ、こちらは戦闘をするつもりはない」
「ソフィリア少尉、彼らは敵ではない。手を出すな――『司令部、こちら――」
少女――ソフィリアには理解できない状況できなかった。帝国軍の軍服を着た集団を敵ではないと言われても、彼女はどうしたらいいのかわからないのだ。
ソフィリアの上官は説明よりも先に、回復した通信機で警戒状態を解く様に伝えている。
「エリス中佐、なぜここに――」
カーティスと呼ばれた青年を解放するよう命令されて、ソフィリアは速やかに足を退けてナイフを引き抜いた。
「上からの命令だ、話してる時間はない。彼らは解放して、このまま帝国に送り返さねばならん。ブラッド殿、帰還の手筈は?」
最初に戦意の無い事をソフィリアに呼びかけた、初老の男性にエリスは話しかける。初老と言っても背はピンと立ち、如何にも軍人らしい振舞いをしている男だ。
同行する二人はまだ若く、ブラッドという男が責任者なのはソフィリアにもわかった。
「大丈夫です。こちらのミスで申し訳ない」
「作戦に想定外は付き物、最悪の事態にならなかったなら問題はないでしょう」
敵対国の軍人同士であるが、和やかなに会話をする二人。
立ち上がったカーティスは手に付いた土を軍服の端で何度も拭き取り、上官と帝国兵をただ静かに眺めていたソフィリアに差し出す。
「君の名前はソフィリア少尉でいいのかな?」
「そうですが――?」
それが握手を求めているとはソフィリアには通じておらず、カーティスは「あはは」と照れた顔で誤魔化す。
すれ違う若者に助け舟を出したのは、ソフィリアと同じホムンクルスのエリスであった。
「――ソフィリア・ドロッセル陸軍少尉」
「はっ」
上官に名前を呼ばれたソフィリアは微動だにせず直立する。
「貴官は彼らを国境線まで案内を。それを見届けたら速やかに帰還せよ」
「了解しました、エリス中佐」
念のための護衛兼監視要員なのか、それとも戦場に似つかない熱を帯びてる青年への気遣いのなのか。それはエリスにしかわからない。
そんな内心喜ぶカーティスを、赤ん坊の時から知るブラッドは温かい目で見守っていた。
「最後まで、心遣いに感謝します」
「次に会う時は調印式であることを願っています」
エリスが立ち去る後ろ姿にブラッド達は敬礼で見送る。しばらくして、「行きましょう、坊ちゃま。殿下がお待ちです」と浮足立つ青年の気を引き締める。
これ以上のトラブルに巻き込まれる前に帝都へ帰らねばならないのだ。
「わかってる、――だから坊ちゃまは止めてくれ」
「なら色事は全て終わってからにしてください」
「ブラッド!」
親し気なやり取りをソフィリアはじっと眺めていた。その視線に気付いたカーティスは頭を掻いて、先を歩き始めたブラッドを追いかけた。
三人が進む道は月と手持ち照明の頼りない明かりしかない荒れ放題な道。
ブラッドとソフィリアはこんな道は慣れたモノだが、新兵であるカーティスはついていくので必死だ。
ブラッド以外にも二名の軍人が居たが、河を渡る舟の確認に向かっているのでここには三人しかいない。
軍学校の訓練のおかげで情けない所を見せずに済んでるカーティスは沈黙に耐えられず、口を開いた。
「偽王の犬に勘付かれた時はどうしようか、途方に暮れていたが君のおかげで命拾いしたよ」
「自分は任務を全うしただけです」
粛々と仕事ですから、と答えるソフィリア。これでは同年代の友人ではなく、堅っ苦しい上官との会話だ。
しかし青年はめげずに声を掛け続ける。
「それでも君に感謝してる気持ちは変わらないさ。ありがとう」
どういたしまして。
ただそう返すだけでいいのだ。それさえ同類とのコミュニケーションしか経験のないホムンクルスの少女には、咄嗟に出てこなかった。
「これで親友に直接、いい知らせを伝えることができる」
「連邦からの不可侵協定は我らに必要不可欠な交渉でしたからな」
話の続きそうにない二人に、ブラッドが坊ちゃまの手助けとばかりに話に混ざる。
カーティスは連邦との交渉のために、ここを極秘裏に行き来していた。
今回は帰還中に国内の敵対勢力に察知され、襲撃されて本来のルートから外れたのである。その結果青年は少女に出会うことになった、と彼らは話す。
そんな話をしてもいいのか、初老の男性にソフィリアがそんな視線を向ける。
熟練の老兵であるこの男が口を滑らしたはずがない。ソフィリアはこの戦争がすでに、止まれないところまで何かが動いているのだと察した。
「このまま国境を越えて大丈夫でしょうか?」
目立たないルートを選んでいるとはいえ、見つかれば命の保証はない。何かしらの対策はしてあるのかと、ソフィリアは聞いてみる。
「大丈夫ですよ、お嬢さん。すでに城塞は我々の手が伸びている。やつらが先ほど以上の戦力をカーティス様の暗殺に割くことはありません」
「クーデター、ですか?」
ブラッドは答えない。けれどその含みのある笑みが言葉はなくとも、答えを言ってるようなものだ。
以降、会話も無く行軍は進み国境まであと少しと言った所。
もうすぐソフィリアと別れの時間が来る。それが名残惜しいと思ったカーティスは彼女に、「戦争が終わったらどうしたい?」と問い掛ける。
「戦争が終わったら……?、わかりません。考えたこともありません」
ソフィリアのしっかりとした足取りは変わらない。けれどカーティスにはそれが迷子のように弱弱しくなった様に感じる。
もう会えない。そう諦めていたカーティスは一つ提案する。
「帝国に来ないか?」
「カーティス様……」
それはどう考えても無理な話である。苦笑するブラッドが諭す前からカーティスだってわかってる。連邦の殺戮ドールと呼ばれるワルキューレが帝国に入って、問題が起きないはずないのだ。例え、作られた切っ掛けが帝国の非人道な毒物の散布だったとしてもだ。
出てしまった言葉は無かったことにならない。カーティスは可能性の無い誘いをしてしまったことにため息を溢す。
しかし、その意気消沈は意外な答えで吹き飛んだ。
「考えておきます」
「ソフィリア少尉!?」
「軍がそれを許すならの話です。それに――ずっと先の話です。――ずっと先の」
「約束します! 一年あれば必ず戦争を終わらせる、と」
ソフィリアの心境にどんな変化があったのかはわからない。それは無理だと、断られるばかりと思っていたカーティスには青天の霹靂である。
有頂天となった若者は大口を少女の前で叩く。
さらにカーティスは、
「ソフィリア少尉、これを――」
と、自分の首に掛かっていたペンダントを外して少女に手渡す。
「ペンダントですか」
精巧な鷹の意匠が入ったペンダント。きっと高い物なのだろうが、少女にはそれがどれほどの価値であるかはわかってはいない。
「言葉だけじゃ足りない、これは感謝の気持ちだ。君のおかげで私は無事に祖国へ帰れそうだ。もし受け取れないと言うならエリス中佐への伝言を頼みたい、その報酬だと思ってくれても構わない」
これが別れの挨拶となる。ブラッドは目の前にまで見えた小舟へ、そっと二人から距離を取る。
「報酬がなくとも、私は軍人ですので必要なら伝えますが?」
「だから報酬が必要なんだ。エリス殿には『手紙を例の会社経由で届けたい』、と伝えて欲しい」
それは私的なメッセージである。国や軍とは関係ない、青年の個人的なメッセージを預かったソフィリアは何も考えず了承するのであった。
「了解しました。無事に帰還できることを願っています」
それは社交辞令のような別れの挨拶なのだろう。
それでもカーティスには和平を結べる希望のように感じられた。
――きっと近いうちにこうして隣国の人間と話をするのが普通になっていくのだ、と。
「ああ、次は戦場ではない場所で会おう」
小舟に乗るのも見届けず、ソフィリアは踵を返しまっすぐに伸びた背中を向けた。
「ソフィリア・ドロッセル!」
「なんでしょう?」
カーティスはソフィリアの後ろ姿を呼び止めた。
「俺はカーティス・モーガンだ。一年後まで、覚えていて欲しい」
「――わかりました」
振り返ったソフィリアの表情は人形のまま変わらなかった。けれど少女の足取りは少し軽くなったようにカーティスには見えたのだった。
それから一年後、戦争が終わってしばらく。軍の縮小に合わせて元軍属のホムンクルス人材派遣会社に異動となった少女の元に、一通の手紙が届いた。
『約束は守った。君にまた会える日を楽しみにしてる』
少女が初めての手紙を書いたのは二週間後の事だった。
『赤い――、赤い――、赤い――
私は見た、紅葉した山を映す湖の絶景を
私は出会った、好きな人に夢中な女の子に
私は知った、あの人の事を考えると熱くなる頬を
私の赤い世界は変わっていない。
同胞よ、あなたの見ている世界はどんな世界でしょうか』
『ワルキューレの見た世界』 ソフィリア・モーガン より
悪役令嬢と乙女ゲー要素を足した方がなろうではウケるんだろうな、けど人間を知らない少女というコンセプトを捨てたくない。
連載するならそっちに寄せた方がいいか……。