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二人のおばあちゃん

作者: ピルパンダ


 僕はその日一枚の写真を見た。

そこには僕の母と祖母が映っていた。

何処で撮ったものかは分からないが、生垣の前に座る僕の母と祖母の写真で、二人とも笑顔の写真だった。

僕は別に、その写真を見ようと思って見た訳ではない。

たまたま、居間で映画を見ていた時に、テーブルの上に重ねられていた真新しい写真の束を見付けてしまい、興味本位で見てしまったのだ。

その一番上の写真、そこに映る二人の姿を見た瞬間、急激に胸が苦しくなった。

涙も溢れていた。

それまではお酒を飲み、久々の休日前の夜の時間を眠くなるまで映画でも見ようとか思っていたのだが、何と言うか、とてもそんな気分じゃ居られなくなった。

悲しい、のか。

寂しい、うん・・・いや、後悔と言うか。

ともかく、その写真に映る二人の家族の姿に、僕はとてつもない罪悪感を覚えたのだ。


写真の中の母の姿は、別にいつもと変わらないお母さんだった。

しかし、その右隣に座る母のお母さんである祖母の姿は、僕の記憶の中のおばあちゃんの姿からは大分かけ離れていた。


記憶の中の最後のおばあちゃんの姿がどれだったのか、正直憶えてはいない。

特にここ十何年間の記憶に関しては、そもそも会って無いんじゃないかとさえ思えてしまう。

それくらい、疎遠になっていたのだ。

小中学校までは、比較的会っていた方だと思うが、高校辺りから年に数回、社会人になってからは数える程も会ってはいなかったのではないだろうか。

そもそも、その写真の祖母は母方の祖母なのだが、そちらのおばあちゃんとの記憶自体も少ない気がするが。

僕はどちらかと言えば、父方のおばあちゃんには可愛がられていた方だと思う。

僕自身、そっちのおばあちゃんの事が大好きだったし、おばあちゃんっ子だと言われても、そうなのだと思う。

だからと言って、別に母方の祖母が嫌いとか苦手だった訳ではない。

ただ単純に、距離が在っただけだ。

物理的にも、思い出の中でも。


おばあちゃんは、とても小さくなっていた。

僕の記憶の中のおばあちゃんはどちらかと言えば恰幅が良く、すごく健康そうなイメージだったのだが。

写真の石段に座る祖母の姿は、とても痩せていて、顔立ちそのものも僕の記憶の中のおばあちゃんとは違っていた。

それもそうだ。

そもそも、僕の母親自体が、既におばあちゃんなのだから。

その隣のおばあちゃんは、ひいばあちゃんになるのだ。

因みに、僕の子供では無い。

弟妹の子供たちだ。

そいつらにとっては、ひいばあちゃんと言う話だ。

それくらい、時間が過ぎていたと言うことを改めて実感してしまった。


二人並んで笑顔で映るその写真を見た瞬間、僕はとてつもない後悔と罪悪感に苛まれ、必要も無いのに涙さえ零してしまった。

僕は、本当に、その写真に映る二人に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。



 僕は、これまでの人生の中で、ある時期を境に人との距離を取るようになっていた。

人と、と言うより、身内や家族か。

会社や友達関係は別段変化しなかったが、自分の家族に対しては何故か関わる事が出来なくなったのだ。

特に、妹や弟が結婚して子供が出来、一つの家族として独立した辺りからはその距離がより明確になった気がする。

勿論、僕は一人だ。

今でこそ実家に住まわせて貰っているが、これがもし一人で暮らしていたとなると、恐らく何があっても他の家族には会わなかっただろう。

理由は明白だ。

恥ずかしいからだ。

惨めだからだ。

羨ましいからだ。

僕は長男なのに全てに於いて先を越された、と言う何ともみみっちく、しょうもない理由だ。

ただそれだけの理由で、家族との関わりを断っていたのだ。

それは勿論、両親の祖母に対してもだ。

大好きだったはずの父方のおばあちゃんとも、他の家族に会う可能性があると言うだけで、会う事を避けていたのだ。

当然、そもそも会う機会の少なかった母方の祖母とは殆ど会ってはいなかったのだ。

だから、その写真の二人を見て、あまりにも経ち過ぎていた時間の流れを痛感してしまったのだ。


 僕は、どうしようもなくなった。

テレビを消して、止まらない涙をぼたぼたと床に落としながら、本当に情けない声を上げた。

僕は、恥ずかしいから、惨めだから、という理由のほかにもう一つ会いたくない理由が在った。


それは、これ以上悲しい思いをしたくなかったからだ。


 父方の祖母とは社会人になってからもそこそこ会っていたが、会う度におばあちゃんが老けこんで行くのを感じたものだ。

髪はどんどん薄く白くなり、背も曲がり、最近は入退院を繰り返していると言う話を良く耳にしていた。

もう、八十を超えているのだ。

当然と言うほかない。

切実に、おばあちゃんに死期が近づいている事を感じてしまうのだ。

それも、そう遠くない未来に。

それが確実に訪れるのだ。

だから、これ以上関わりたくなかったのだ。

本当に最低な話だが、僕はおばあちゃんに、僕の知らない所でいつの間にか亡くなっていて欲しかったのだ。

本気で、悲しみが幾らか減るのならその方がマシだとさえ思っている。

それくらい、おばあちゃんの事が好きだったから。

だからおばあちゃんの事で、これ以上思い出とか色々を増やしたくなかったのだ。

僕が、その悲しみに耐えきれないから。

その悲しみを感じたくなかったから。

同じ、とは言えないまでも、母方の祖母に対してもそんな感情はあったと思う。

そもそも、関わりの薄かった家族だから。

余計な事をして悲しみを増やしたくなかったから。

だけど、その写真を見てしまった。

自然に笑う僕の母と、うっすらと笑みを浮かべるおばあちゃん。

この二人は、本当に親子なんだなぁと素直に思った。

おばあちゃんは、やっぱり痩せていて微かな記憶の中のおばあちゃんの姿と比べても一目瞭然。

恐らく、その日はもうすぐそこまで来ている。

とても穏やかに笑う祖母の顔は、思い出の中のおばあちゃんとはちょっと違うけれど、本当に幸せそうな顔をしていた。

涙が止まらなかった。


なんで僕は、今までこんな生き方をして来てしまったのだろうかと。


とてつもない気持ちが生まれた。

人は何でわざわざ悲しい思いをしてまで他人と関係を持つのか。

これまでは本当にそう思って生きてきた。

今まではそう言うあれこれが本当に煩わしく、また自分には遠く手の届かない物だと諦めていたから避けていたが、この二人の写真を見て、それが本当にとても尊いものなのだと、初めて思った。

それは、どんなに悲しい思いをしても、どんなに辛い思いをしても、受け入れて共に生きていく方が大切なことなのでは無いかと、本当に初めてそう思った。

僕の知らない母と祖母のこれまでの人生があって、色々あって、今こうして二人並んで笑顔で居られる。

それは僕なんかが推し量れるものでは無いとは重々解っていても、その写真の二人の間には、何かそう言ったすごく大切なものを強く感じた。


 僕は写真の束を静かに伏せた。

他にも色々写真を撮ってあったようだが、正直今はまだ全てを受け入れる事は出来なそうだから。

涙を拭う。

消したテレビを点け、映画を途中から観はじめた。

ぼぅっと画面を眺めながら僕は思う。

多分、僕は色々と思い込み過ぎていたのだろう。

あと、自分が思うよりも、自分と言う存在は案外弱いものだと痛感した。

今まではそれが何よりも許せず、否定し誤魔化してきた。

それを、あまり否定しすぎないようにしようと。

悲しい事や辛い事ばかり起きると思っていたし、他の人達が幸せを獲得している事に不条理を強く感じているし、心が突き動かされたからと言ってだから生き方が直ぐさま変わる訳でも無い。



ただ、もし次に何か機会があれば。

今度はちゃんとおばあちゃんに会いに行こうと少しだけ思えるようにはなりました。


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