番外編:ラキシタ家
帝国本土の中央には北から南へ長い山脈が走っている。
最北端は霊峰ツェーナ山、最南端にはヨーアン山がありそのヨーアン山の中腹にラキシタ家の新宮殿と要塞群、そして麓に城下町が築かれた。
オレムイスト家と並んで多くの軍人を輩出してきた皇家のひとつラキシタ家はそこに多くの文人を招いてその威容を讃えさせた。
当主シクタレスはお披露目の後、息子達と家臣を再び集めて祝宴を開き、詩を読ませた。
「父上、我らに詩など求めるのは剣に無用な飾りをつけるようなもの」
次男のサビアレスは下手な詩を詠むのを嫌がった。彼は無骨な武器を好み、鎧にも装飾は省いている実用一辺倒の武人だった。
「ははは、愚弟に詩を読ませるのは剣に飾りというより銃弾に掘り物を入れるようなものかな」
皇家の御曹司でありながら、軍人というより日夜体を鍛え剣闘士の風格を漂わせる弟を長男が揶揄する。
「兄上は銃弾のように一度出て行ったら戻りませんからね。今度の騎士修行はどちらへ?蛮族退治ですか?」
遅くに生まれた三男、四男は兄二人と違って文人としての教育を優先して受けている。詩人を学師として育ったので今回のような課題は日常的に受けていた。
「寒がりの兄上の事だから炎鳳山の魔獣退治かな。魔獣の毛皮で防寒具を作ってから北へ行かれるのが効率的でしょう」
「確かに。確かに。ムシニスの毛皮を着こんで行けば凍れるナルガ河とて渡れるでしょう」
「河の氷が割れたらどうする?愚弟が溺れてしまう」
「これはしたり。兄上が泳げないのを忘れていました」
渋面のサビアレスに弟達も揶揄った。
サビアレスも10歳の弟に笑われいじり倒されても怒らず困ったように笑い、仲のいい兄弟だった。
「息子達よ。その辺にしておけ。サビアレスも時間内に詩を作るがよい。無駄話をいくらしようが構わんが制限時間は変更せんぞ。さあ、我が百官も読むがよい、客人達の作品と比較してやろう」
武門の誉れ高いラキシタ家はシクタレスの代になってから三十年、文官の育成にも務めてきた。
その文官達の席も全てこの祝いの場に用意したのだが、いくつかは空席がありその席は武官達によって埋められ、やはり詩を詠むよう命じられた。
長男は北を見下ろす高台を三つ備え、精兵が守る宮殿の威容を讃え、我が家の繁栄を願う詩を詠んだ。
次男は雲に手が届きそうだ、という無邪気な詩を。
三男は山々の間を雲が河の様に流れる様を竜が飛ぶように例え、雲を越えてさらに高い高台を築き、この手に雲を掴みたいと詠んだ。
そして四男は高台から見下ろす我が領地、黄金の稲穂が広がる絶景を讃えたが、眼下に広がる田畑のあぜ道が少し歪んでいて完璧な光景に不規則が生じているのを残念に思う詩を詠んだ。
◇◆◇
シクタレスはその夜、私室で前回の選帝選挙の時に幕僚として従っていた政策顧問の一人ヴィジャイに息子達の詩の感想を言わせた。
「ご長男ベルディッカス様の詩はまだまだ成長途上ですな。特に可も無く、不可もなく」
「ではサビアレスは」
「ご次男は・・・論評に値しません。文字を書くのも危うい。小等教育からやり直すべきかと」
誤字だらけの詩にヴィジャイは吹き出して詩が書かれた紙を放り捨てた。
「仮にも主君の子にそうまでいうか!」
「ご主君、お許しください」
ヴィジャイは主君の覇気に平身低頭して謝罪した。
彼の主君は前回の選帝選挙で身内を尽く粛清し反乱を叩き潰し家の候補を自身に一本化させた。
身内であろうと親兄弟であろうと彼は邪魔に思えば容赦なく殺害する男だった。
ヴィジャイもシクタレスが家の実権を握る謀略に加担してきたが、自分も用済みと突然消される可能性は想定しながらも仕え続けてきた。
「まあよい、次」
「ご主君、叱責されるのであればこれ以上は申せませぬ」
「わかった、わかった。怒らぬから言え、そしてお前も言葉を選べ」
「では、三男ボロス様はさすが詩才がおありです。わたくしめは参上出来ませんでしたが、見ずともその光景が目に浮かぶようです」
「よろしい。では最後だ」
ヴィジャイは最後の詩を読むなり表情を曇らせた。
「どうした?」
「・・・祝宴の席でこのように些細な事をあげつらって水を差す詩を詠む必要はないでしょう。皆の気も削がれたのでは?」
ヴィジャイのいう通り四男ファスティオンがこの詩を詠んだ時、詩の出来栄えに感嘆しつつも場は盛り下がった。
「その通り。さて、我が懐刀に問うがこの詩を詠んで誰が一番後継者に相応しいと思うか」
「無論、ご長男ベルディッカス様に御座います」
「それは何故か」
「ボロス様、ファスティオン様には詩人を師とされました。我がラキシタ家の家風に沿いません。臣下の支持を得られないでしょう。ご次男サビアレス様は明らかにベルディッカス様に遠慮して家に寄り付こうと致しません。殊更修行の旅ばかりに出られるのがそのあらわれかと」
「消去法でベルディッカスというのが残念だが既定路線ではある。さて、クシュワント。そちはどう思う?」
シクタレスはもう一人の政策顧問にも質問した。
クシュワントは才能を見込まれて近年政策顧問として加わった男である。
「詩の感想でしょうか。それとも後継ぎに誰が相応しいか、というご質問でしょうか」
彼は恭しく礼をしながら主君に問うた。
「両方だ」
「しからば・・・申し上げます。最後に詠んだファスティオン様は見事に兄君達の欠点を補いました。まっこと恐ろしい才能です」
「ヴィジャイとは違う意見を持ったようだな」
「はい、サビアレス様が詩を詠んだ時居合わせた文官、武官の一部ははっと顔を見合わせました。ヴィジャイ様にはその理由がおわかりか?」
「その場にいなかった私には分かりかねます」
ヴィジャイは頭を下げ顔を伏せて首を振った。
仕官した年数はヴィジャイの方が長いが、年齢はクシュワントの方がずっと上である。
「いやいや、お分かりの筈だ。だからこそ本日の宴に参加しなかった。この新宮殿が皇帝陛下の大宮殿よりも高い位置に建設されたのが気に入らなかった。そうでしょう?」
ヴィジャイも祝宴に参加した一部の官僚のように表情をはっとさせた。
「・・・帝都であれば皇帝陛下の御座所よりも高く建設されるのは禁止されておりますので」
「その通り。しかしここは帝都ではない。遠慮は無用です。違いますか?」
「はい。おっしゃる通りで御座います」
「では遠慮なく参列して主君に慶賀を述べるべきでしたね」
「ご主君、お許しください」
主君よりも皇帝の権威を優先したヴィジャイは当然、主君から叱責があるかと思ったがその言葉は無かった。平身低頭している彼を無視してシクタレスはクシュワントに話の続きを求めた。
「ご三男ボロス様は家臣の様子に気づかず、兄君の粗末な詩をどうにかして発展させようとしていましたが、途中で放棄なさいました。そしていくつかの雲の流れを伝説の七頭竜に例えて掴もうとされました。さて、ヴィジャイ殿、その時の家臣達の様子がおわかりで?」
「勿論です。竜とは帝王の象徴。それを掴む事を望むのは野心の現れ。家臣達の仲には再び顔色を変える者がいた事でしょう。選帝選挙期間でもないのに帝位を狙う事を表明するのはお家にとって危険な事」
竜は蛇が脱皮を繰り返した末の究極の姿であると考えられている。
神代にあっては神に逆らって絶滅してしまったが、豊穣、多産、死の克服を象徴とする為、大地母神群にも馴染みが深い。
鼠も多産を象徴するが、疫病の媒介者でもある為、大地母神の中でもアイラカーラやアイラクーンディアら邪神の眷属だといわれている。
蛇はその鼠の捕食者である為、聖獣とされる。
「その通り。そしてファスティオン様は空ではなく地の田畑をお詠みになった」
「なるほど。それでクシュワント殿はファスティオン様を讃えられたのですね。では、後継ぎにはファスティオン様が適当であるとお考えですか」
「それは少し違います。聡明な君主にはなられると思いますが少しばかり聡すぎ、やはり家風には馴染まないでしょう。ラキシタ家の長所を潰す事になるかと。どうせならばさらに高空の青空でも太陽でも星でも讃えれば良かったのです。もう一巡されればベルディッカス様はそう詠んでいたことでしょう」
「なるほど。結局の所二人ともがベルディッカスを推してくれるなら私にとっても喜ばしい事だ。では、もう一つ卿らに質問がある」
「何なりと」
二人とも恭しく礼をした。
「一昨日プレストル戦略研究所から一つの論文が届いた。祝宴の前に息子達にも読ませてある。お前達にも読んでもらい、そのうえでもう一度感想を聞きたい」
◇◆◇
「これは・・・本当ですか?あと100年以内に東方圏が我が帝国の国力を追い抜くようになるなどとは・・・」
ヴィジャイは論文を読んで信じがたいと言いつつも、妙に納得している自分に気付いた。南方圏はもともと優秀な軍人を多く輩出してきた地域だが、今は戦乱にあけくれている。
その為多くの難民が東方圏へ逃げ込んでいた。
プレストル研究所は東方圏がもともと帝国本土より広く、水、森林資源、食糧生産能力も大きい為、人口でいずれ東方圏が追い抜く事になると予想している。
これまでは医療、学術分野においてもっとも遅れた地域だったが東西交易の活発化、南方移民の流入で変化が生じている。
クシュワントも論文の内容にひとつひとつ頷いて紙を捲っていった。
「さすがはプレストル伯の研究所です。ラキシタ家をいかに繁栄させるかのみ考えていた私とは視野の広さが違いました」
「まさに」
プレストル伯は帝国軍に所属していた際、軍団基地の改良、要塞建築を主な職務として世界各地を渡り歩き、職を辞した後帰国して主君に提言を行う機関を私費を投じて設立した。
いくら帝国政府が従属諸国へ分断統治を行い、従属国への知識浸透を妨げても現代ではもはや市民レベルでの交流を防ぐ事は難しい。
帝国では出産時に立ち会う医師らの消毒を義務付けて新生児の死亡率を下げて来たが、東方圏でも広がりつつある。これまで10人産んで3人育てば良い方だったのだが、いずれ大半は無事成長すると見込まれていた。
一方帝国では死亡率も低いので富裕層は何度も出産するのを避けて避妊する家庭が増え、出生率も低下してきた。
「私の予想では帝国の国力が10とすれば現在の東方圏は3くらいだが、この差が縮まる速度はさらに早まり100年どころか50年以内に無くなるとも考えている」
シクタレスは独自の情報源からプレストル研究所の論文を修正した。
「50年で御座いますか・・・?」
「そうだ。フランデアンは10年で10倍にも強大になった。妖精王が君臨して指導力を発揮すれば他国もそれに続く」
「ご主君。それはあまりに悲観的な予測では?東方圏には80あまりの国々があり、頻繁に戦火を交えています。全国が一致団結して帝国に対抗するなど考えられません」
「いや、待てヴィジャイ殿。それをいうなら我が帝国には30もの皇家があり、選挙のたびに争っている・・・あぁ、そういう事でございますか。陛下」
「何が分かったのか言って見ろ、クシュワント」
納得顔のクシュワントにシクタレスはヴィジャイにもわかるよう説明せよと命じた。
「先の大戦においてフリギア家はヴィクラマの討伐に失敗し没落しましたが、それは他の皇家の妨害によるものも大きい。そして蛮族討伐にあたり各家は表明していた戦力の半分も出さなかった。この機に近隣皇家に攻め入られるのを恐れていたからです。こういった事が続く限りいつかは帝国も衰亡します。よって従属国の恨みを買って帝国が破局を迎える前に帝国の力を一本化させなければなりません。これでご子息たちの詩の意味も変わってきます」
「ボロス様には帝位を取りに行く覇気がおありになる。そしてファスティオン様には・・・」
「帝位を取る前に足場を固めよとおっしゃっておられる。皇帝の大宮殿よりも高く壮麗な物を築いたくらいで処罰を恐れて離反するような家臣を抱えては戦い抜けない」
シクタレスは家臣達の評価に頷いた。
「そうだ。皇帝の権威を軽んじてはならないが、このままでは帝国は追い抜かれその権威の基盤が揺らぐ。帝国が絶対的優位を確保しているうちに体制を変えねばならぬ。これまで新帝国に入ってからも総督制、正副五帝、選帝制と様々な体制をを導入してきたが、再び変えるべき時が来た」
◇◆◇
一方その頃、長兄ベルディッカスは下の弟二人を呼び出していた。
「弟よ」
「はい、兄上」
二人ともかしこまって兄の次の言葉を待った。
「お前達二人には才気がある。しかし、他家の陰謀渦巻く帝都においてはその才能は隠せ」
「何故で御座いますか、兄上。我が家の声望を高めねば来るべき選挙において不利となります」
「選挙などどうでもいい」
三億の民を率いる絶対的な権力者を決める選挙を軽視するその衝撃的な言葉にボロスは言葉もないが、ファスティオンはひとつ頷いた。
「・・・兄上は他家と組むおつもりなのですね」
「他家に聡い者がいればお前達のように父上の思惑を見抜いただろう。だが我らに武力はあっても帝国を統一するまで戦い抜ける財力は無い、歯がゆい事だがな。逆に財力があって武力がない家も同様に思っているだろう」
「つまり、父上の思惑を見抜き尚も近づいて来る才覚と財力のある家と同盟を組む、と」
武力が無い以上帝位は諦めて貰う事になる。それでもなお、帝国の将来を託してくれる相手と組まなければならない。
「おそらくオレムイスト家も我らのように帝国の力を一本化する必要があると気付く。選挙において帝位を狙うのはどこの家も同じだが、他家を潰し帝国の国力を一つにまとめようとすれば足を引っ張り合い、最後には皆で袋叩きにしてしまう。これでまた国力が低下する。だが、次の選挙が最後だ。選挙を最後までやり通す必要はない。途中で雌雄を決する時が来る」
二人の弟も頷いた。




