番外編:皇帝と選帝侯
暗殺者への警戒から宮殿に戻ったカールマーンだが面会を求める者がひきもきらさずやってきて、もう寵姫と愛息達の所に戻りたい気分になっていた。
早朝にさっそく東方行政長官と帝都の衛生管理局長が揃ってやって来て東方圏南部で疫病流行の恐れありと往来に制限をかけたいとのことだった。
彼らのいいように計らえと指示を出し、皇帝が一息ついたのを見計らって侍従長が問いかける。
「陛下、次の面会者を招いてもよろしいでしょうか」
「ん、ああ構わん」
次の面会者はダルムント方伯だった。
「お疲れのご様子で申し訳ありませんが人払いをお願い出来ますか」
「珍しいな。構わんが」
皇帝の執務室には侍従、親衛隊、書記官などが待機していたが、皇帝の指示により一時退席した。
「ああ、いや。サビニウスだけは残れ」
親衛隊長だけは皇帝もさすがに残した。
退席する前に侍従が老齢の方伯に席を勧め、茶を出してから正式な礼をする。
胸の前で円を描くだけの略式礼ではなくちゃんと五方の神々へ敬意を払った礼だったので方伯も少しばかり表情を緩めて返礼した。
「さて、どんなご用件かな。最近は領地に戻っている事が多いと聞いていたが」
「陛下がマーダヴィ公爵夫人の宮殿を出た今がお話するのに良い機会と思いましてね」
堅物の方伯は寵姫の宮殿に参上するのを嫌がって長い間皇帝とは直接面会していなかった。
「皇帝に嫌味を言うのはそなたら辺境伯と皇室会議のご老人だけだ」
「これは失礼を。ではお疲れのご様子ですので早めに用件を述べましょうか」
「手短にな。今日は内務省と暗殺者教団について報告も聞かねばならんのだ」
皇帝暗殺未遂事件以降は内務省への予算も増え、人員も増加したが暗殺者達は潜伏を強化してこれまで以上に追跡が困難になっていた。
「今、陛下が暗殺されると後継者は何方になりますかな」
選定権は現職皇帝が二票、エイラシルヴァ天爵以下が一票ずつ持つ。
天爵以下とはすなわち大司教、宮廷魔術師長、ダルムント方伯、アル・アシオン辺境伯、東西南北の選帝侯。だが皇帝が在任中に死んでしまうと皇帝と天爵と大司教、南方候、西方候の六票が浮く為、その分は帝国議会がこれはという人物を代選帝侯として指定して任命する決まりになっている。
「過半数を帝国議会が持つ事になるから経済対策に強いと思われるガドエレ家かアルヴィッツィ家が当選するだろうな」
「私が懸念しているのはその二家の事です」
「ほう?」
皇帝は方伯にさらなる説明を促した。
「彼らは帝国本土にさしたる領地を持たず、その力は海外交易に依存しています。彼らが帝国に対し今も愛国心を持ち合わせているか疑問です」
自家を繁栄させる為の最大市場の一つとしか思っていないのでは、と方伯は指摘した。
「彼らは多額の税を収めて帝国の財政赤字改善に貢献してくれているぞ。特にアルヴィッツィ家は先の内海貿易事件で多くの負債を引き受けてくれた」
「商売人に取ってはそれが利益になると判断したからでしょう。ガドエレ家は先の大戦、『マッサリアの災厄』おいて窮地の帝国軍に兵力を提供せず、もっぱらフランデアンに武器と技術援助を行い彼らをほんの数年で近代国家に改造してしまいました。そして戦後はフランデアンで余った武器を安値で買い取り最新火器を欲しがる諸外国に売りつけて大儲けしています」
大戦中、軍事通行権を得ていた帝国軍だったが、今は元通りフランデアン国内の移動に制限を設けられ、帝国商人も規制対象となっているがガドエレ家は除外されて特権を持っている。
「実際、ガドエレ家が保有している兵力は少ないのだから仕方ないのではないか?傭兵を雇おうにも傭兵国家のパスカルフローもスパーニア戦役に参加していたわけであるし提供できまい」
「それ自体は仕方ないとしても彼らが帝国が独占すべき技術を他国に流して利益を得たのは事実です。フランデアン王の祖父は200歳を過ぎてもまだ健在であるとか。かの妖精王もまだ100年は生きるでしょう。その時、帝国と力関係が逆転していないといえますか」
「フランデアンの人口は一千万からそこらに対してこちらは三億だぞ」
「ウルゴンヌ、リーアン、旧スパーニアをまとめれば四千万近くなります。そして彼は東方の大君主、彼に従って東方諸国全体が帝国に刃向かってきた場合、止められますか?アル・アシオン辺境伯は国内に侵入している蛮族対処で参戦出来ないでしょうし」
「なるほど北部に領地を持つそなたの懸念はそこか」
帝国政府は東方諸国が強力な海軍を持てないように大型艦の建造を許可制にしている。帝国海軍を避け、陸路で遠征してきた場合は北部から侵入してくることになる為、旧スパーニア、北方圏南部サウカンペリオン、そして帝国北部のダルムント方伯領を通過する。
「だが、そなたには聖堂騎士団があるではないか」
「あれは私の私兵ではありませんよ。そして大半は各国に散って巡礼者の保護や神殿の警備に当たっています。今や臣民の9割以上が週に一度の礼拝にも来ないのに、騎士団が本気で帝国を守るかどうか・・・。そしてサウカンペリオンの要塞群の建設は中断されたまま。帝国本土の常備軍はせいぜい二十万。先の大戦の時、皇家の方々は予定された戦力の半分も提供しませんでした。例えばガドエレ家の皇帝の為に私兵を率いて防衛にやってくる皇家がどれだけあるでしょうか」
いったん取らせてから取り返して帝国を復活させた方が自家の影響力は高まると考える者もいそうだと方伯は指摘した。
「悲観的だな。余はフランデアン王とは良好な関係を築いておる。そのような事にはなるまいよ」
「次の皇帝もそう考えるでしょうか?我々はここ百年で北方圏、西方圏、南方圏で故意に乱を起こして分断させてきました。次の皇帝も同じように東方圏が脅威とみれば分断しようとするでしょう」
「余はヴィクラマを背かせようとしてやったわけではない!」
カールマーンと南方候ヴィクラマの口論が南方戦乱のきっかけではあるが、ヴィクラマが不満を持ったのはカールマーン以前の皇帝たちの政策だった。
「被害を受けた国々はそう考えないでしょう。そして今後の世代の話をしているのです」
憤慨したままではあるが、カールマーンも同意した。
「確かに彼は分断工作を嗅ぎつければ対抗策を打って来そうだな。次の皇帝も在任中に自分の実績を欲しがってやるかもしれん。そなたはガドエレ家のことばかりいうがアルヴィッツィ家はどうなのだ?」
「あれも同じです。本土外に銀行を作り帝国から資金を移しています。もはや帝国が存在しなくても彼らは生き残っていけるでしょう。それに彼らは兄弟間の内紛で帝国を滅ぼすかもしれません」
「と、いうと?」
「私の孫娘が巡礼に出た時に海賊に襲われましたが、その際の巡礼船を手配したのがアルヴィッツィ家の次男坊が抱える商会でした。そして巡礼船に海賊と内通している者がいると私に告発してきたのは長男」
「そなたの孫娘をアルヴィッツィ家が襲う筈があるまい」
「彼らが営む海賊保険への加入者が増加したそうです。実際に襲わずとも脅威を見せるだけで良かったのですよ」
身代金や船荷の代金を保険会社が代わって支払ってくれる為、リスク回避をしようと多くの富裕層や商人が加入する事になった。
「困った連中だな。それで、そなたはどうしたらよいと思う?」
「この選帝制度を廃止しませんか。選挙のたびに帝国内に内紛が起こり国力が低下するだけです」
選帝侯という特権を享受しているダルムント方伯から爆弾発言が飛び出した。
方伯はいざとなったら国をも売りそうな皇家から皇帝が誕生する事を恐れている。
「余がそんな事を提案したら皆、トゥレラ家が帝位を独占しようとしていると思うだろう」
「誰かがその悪名を受け入れない限り、いずれ帝国は弱体化し、代わって東方圏が台頭するでしょう」
「余は御免蒙る。余ではなく帝国議会に提案することだな」
「議会にそんな権限はありません。せめて皇室会議で話し合って頂けませんか」
「無駄だ。皇家同士が戦争になって力で皇帝を決める時代に戻る事になる」
カールマーンはそもそも望んで皇帝になったわけでもなく、最近は皇帝など不要では無いかとすら考えていたので方伯の提案を拒絶した。
失望して退席しようとする方伯に皇帝からまだ話があると声がかけられた。
「あと十年もすれば余は引退しようと思う。その時にもう一度世間に提案してみるがよい」
兄と帝位を争った皇家の当主達も老境になり、子供達の世代が選挙に出てくる。
世事に長けた当主達が引退しなければ兄の子に後事を託せないと考えたカールマーンはそれまで帝位を維持するつもりだった。
一度大乱が起こらねば現行制度を変える事などあり得ない。
次の世代に選ばせるべきだ。
「十年ですか・・・私がまだ健在かどうか」
そういって方伯は完全に白くなっている髭をこすった。
「息子はどうなのだ?」
「あれは駄目です。覇気というものがまるでありません」
「その割には随分早々に再婚したようだが・・・。法は尊きに及ばず、結婚には古来よりの礼ありという。庶民のように喪から一ヶ月で再婚を許すとは卿にしては意外だ」
「以前の妻は病に倒れて以来被害者意識と妄想癖が酷くうんざりしていたようです。実質的に何年も離婚して間をおいていたようなものでしょう。では失礼」




