第7話 ラリサの統治②
スーリヤはある塔の最上階に安置された。
治療に神の加護を借りようと天に最も近い白く高い塔が選ばれた。
感染を防ぐ為に塔の入り口には常にシセルギーテやメッセール、離宮時代からの古参警備兵ベローらが誰の侵入も拒んでいる。
エドヴァルドさえ再びスーリヤに会う事は許されなかった。
イザスネストアス達はスーリヤの病魔の研究は危険を伴うという判断のもと、城の裏手に研究棟を建ててそこで動物実験を行っていた。
「しかし恐ろしい寄生虫じゃ。スーリヤ殿の体の中で循環し体温を維持しておる。もはやスーリヤ殿は食事も排泄も必要としていない。全ての臓器をこの虫が支配して無理やり生かしているようじゃ」
「シャフナザロフが生きていればこれこそが完全な不死の生物、神に最も近い存在と喜んでいたでしょう」
自分よりも幾分若い風体の師にイーデンディオスが最後に会った時の事を思い返しながら返答する。
「アレはスーリヤ殿のような状態の人間を大量に作り出したかったのだろうか・・・。だとすれば奴の研究所から何か示唆が得られるかもしれぬ」
「スーリヤ様は奇跡的にまだ殺されきっておらず同居しているようですが、他の感染者は皆死亡しています。死んで魂が循環してしまえば奴の目的は叶いません」
「では別件か・・・」
イザスネストアスは神に取って代ろうととして神の怒りを買い永遠の苦しみを与えられたアンチョクス王の事を思い出した。王は邪悪な蟲に苦しめられたというが、今のスーリヤがその状態ではなかろうか・・・、と。
研究棟の窓から外を眺めるとエドヴァルドが塔の外壁を走って登ろうとしているのが見える。
「スーリヤ殿に会ってお詫びを言いたいそうですね」
「彼女を苦しませるだけじゃ」
イザスネストアスは杖を取ってちょい、と風を吹かせエドヴァルドの邪魔をした。
バランスを崩したエドヴァルドは壁を蹴って他の小塔へ飛び移る。
「器用なもんじゃ」
塔は長年風雨にさらされて脆い部分があったり、つるつるに滑る部分があったり、苔に覆われて滑りやすい箇所もあるというのに器用に外壁を蹴り塔から塔へ移りながら着地に成功した。
「危ないですよ。転落死した魔導騎士がどれだけいることか」
「シセルギーテが鍛えておるんじゃ、平気じゃろ」
外に向かって魔力を放つ魔術師と違って魔導騎士の魔力は内に向かう力で己の体を強化する。単純に強化しても内臓までは鍛えられないのと動きが直線的になるのが弱点だ。
余力を残さず高所に飛び上がれば着地に失敗して死ぬ事にもなる。
「それにしても惜しい。私は武術とは無縁ですが、あのシセルギーテ殿を手こずらせるほどの才能があるというのに」
高位の魔術師でもあり、錬金術師でもあるイザスネストアス一門が揃った為、エドヴァルド用の魔石が作られて既に魔導騎士としての訓練をエドヴァルドは受けていた。
通常であれば費用があまりにも嵩むので、魔導騎士を抱えられるのは大貴族だけである。
イザスネストアスらは無償で彼に作ってやっていた。
「ほんとにの、シャールミンでさえまともに戦えばシセルギーテに勝てるかどうかはわからんといっていたのに」
「妖精の民の力を使わなかった場合でしょう。彼の力の秘密は教えて貰えましたか?」
「神の加護のおかげ、と煙に巻かれてしまった。ラグランという魔導騎士のように普通は魔術を使えば血管が裂け魔石から血が漏れてしまうというのにあ奴は平然と魔術を使う」
「魔術というより神聖魔術・・・神術なのではありませんか?」
雨乞い巫女の力のように神術は学問や訓練だけで得られる力ではないので信徒でなければ発動する様を視認、理解するのも難しい。
「わからんな。フランデアンの守護神は風の大神であった筈じゃが、王家は森の女神以外は眼中にないようじゃ」
神術であれば信仰する神の恩恵による力しか得られない筈なので、多様な力を振るうシャールミンとは違う筈だった。
「破壊神でもある風の神々を守護神としていた東方諸国を率いたのにおかしなものですね」
イザスネストアスとイーデンディオスコリデス、帝国魔術評議員でもある二人は人類社会の安定を願い、帝国に次いで最も多くの人口を持つ東方諸侯を親帝国派にするのが行動の目的の一つである。
同盟市民連合から連れてきたトレイボーンや地元のエッセネ人から有望な薬草学者を弟子としてオルプタやミリアムと共にスーリヤの病の謎を解き明かそうとしているが、その傍らで東方諸国の監視も行っていた。
◇◆◇
スーリヤの主治医兼エドヴァルドの相談役を務めるこの魔術師達はトレイボーンと共に今後の領地運営の方針を検討していた。
「トレイボーン、エドヴァルドの城下町での評判はどうかの?」
「文字を書けない民の代筆を行ったり、牛の乳搾りを手伝ったり、野良犬の世話をしたりと優しい少年領主だといっています。税もこれまで通りで良いとお触れを頂いたので皆感謝しているようです」
同盟市民連合出身だが、この近隣で生まれ育ったトレイボーンは父親や祖母から地域の固有種の薬草の効能について教わっていた為、イザスネストアス達も重宝している。段々彼を弟子というより執事のように扱い始めていた。
エドヴァルドはアルカラ子爵を自分の顧問として招き、周辺貴族やナイアス家に仕えていた騎士の子を自分の小姓とした。彼らを率いて街中を巡察し、ゲリアを祀った廟を修復しエッセネ女公の墓にお参りをし少しずつ人心を得始めている。
「儂らはここが安定しさえしていればよい。彼の家臣でも無いし真実を言っても構わないぞ」
「・・・庶民は王子や有名な騎士が派遣されたのはエールエイデ伯を掣肘する為だと噂していましたが、どうやら違うようだと気が付き始めています」
「ふむ、それは良くないの。この地方が王に見捨てられた地域だと思われてしまう」
長男に裕福な土地を与えて、末子とその母は宮廷から追い出して最も貧しい地方に追放したと誰もが思うだろう。
「違うのですか?」
うーむ、と唸るイザスネストアスに代ってイーデンディオスが答える。
「見捨てられた地域という意味あいなら違いますよ。ここまで悪化するとは思われていませんでしたがもともとスーリヤ殿の健康と安全の為に地方で静養してもらう事は検討されていました。しかし、王位継承争いが終了したと国内外に示す為の追放措置のようなものではありますね。エドヴァルド様を推そうとしていた勢力もこれで諦めがつくでしょう」
もともとエドヴァルド派などというものはいなかったが、レヴァン、ヴァフタン兄弟が死んだ今、アイラクリオ公に反発する貴族はエドヴァルドを利用して混乱を起こそうとする気配があった。しかし、そんなものはエドヴァルドやスーリヤにとって迷惑でしかなかった。
「見捨てられた地域だと民衆が思うのは不味いのう・・・生産力が低下して税収も落ちよう」
書庫から引っ張りだしてきた記録ではラリサの収入は年間一億オボル。
賊の襲来であちこち焼き討ちされているので今年は激減するだろう。
家や田畑を失った者を助けてやらねばならないし、大赤字になる。
「ベルンハルト殿から支度金は預かっているので、それで食料を輸入すればすぐに民衆が飢え死にする事はありませんが・・・使えば元手が残りませんね。それにベルナルド商会からの借金が足を引っ張っています」
ラリサの城下町の市壁再建どころか、城壁の修復費用すらない。
「ベルナルド商会というと、アルヴィッツィ家の傘下の商会か。次男坊だったか三男坊が経営を任されていたな」
「内海貿易事件でポンテ・ミアーム商会の粉飾決算が暴かれた後、債権を彼らが引き継いだようです。皇家を相手に借金を免除して貰うのは難しいでしょう」
内海貿易事件というのは南方戦乱の原因ともなった詐欺事件である。
ポンテ・ミアーム商会は国債発行商社として帝国政府から委託されていた業者だった為、大勢が詐欺に引っかかって南方圏への投資を行っていた。
これが破綻した時、南方圏の経済が次々と崩壊し困窮した諸国に泣きつかれた南方候が皇帝カールマーンに直接抗議に行ったのだが、すげなくあしらわれて反乱を起こした。帝国人でも破産者が続出していた為、皇帝も南方圏にあまりかまっていられなかった事情がある。
最終的に帝国軍が南方候についた国々を破滅させ、大君主がいなくなった南方圏は群雄割拠の時代に入ってしまった。商会が引き起こした財政破綻については金融事業に強いアルヴィッツィ家が引き継いで処理している。
帝国政府に人脈を持つイザスネストアスもがめついアルヴィッツィ家と金の問題でやりあうのは畑違い過ぎて匙を投げた。
「賊に襲われたばかりであるし、安全な街にしないと人も寄り集まらないが・・・外壁の修復は無理かな。あの子を焚きつけておいて何じゃが・・・この地方を栄えさせるのは無理じゃないかのう」
オルプタは呆れた顔でイザスネストアスを見やり、ミリアムは自分で作った酒を飲みぷはぁーと息を吐いた。二人とも呆れているが、彼女達にも名案はない。
何か言え、と言われたミリアムは仕方なく酒臭い息と共に投げやりに提案した。
「あの子に決めさせりゃいい。なけなしの金を何処に使うかね」
オルプタとミリアムは元々イーネフィール公家の宮廷魔術師だったが、スパーニア戦役の途中でフランデアン側についた為、名前を変えている。特にオルプタの方はフランデアン王妃を洗脳しようとしていたので、顔を会わせないよう徹底的に避けていた。
今回この一門がこちらに移り住んだのは色んな意味で渡りに船だった。
しかし、ここまで金が無いとは思っていなかった。
◇◆◇
会議に呼ばれたエドヴァルドはなけなしの費用で城壁を修復するか、城下町の再建に金を使うか問われて城下町、そしてまずは食料の購入をするように答えた。
「それは何故かな?」
「安全は大事だけど、今はシセルギーテやメッセール、僕や老師もいるんだから平気だ。壁よりも人を助けてやって欲しい」
なるほど、とイザスネストアスは頷いた。
「だが、儂らだけでは全住民を昼も夜も守ってやることは出来ん。壁があれば時間を稼いでいる間に駆け付けて守る事も出来るとは思わんか?」
イザスネストアスは考え直せという意味でこう言った訳ではない。エドヴァルドも前の家庭教師に議論を重ねて思考をより洗練させていく為だと言われた事を思い出して相手の意図を理解した。
「壁を修復するのにかかる時間と費用はどうなりますか?」
「城壁を石材で補修するなら最低限の部分だけでも一年と10億オボル」
エッセネ地方に採石場は無いので輸入する事になる。
「うちの収入年間一億でしょ・・・無理じゃないですか」
「御父上の支度金もあるし、借金は出来るぞ」
「・・・老師たちはホントに一年で工事は終わると思っていますか?王都からここまでの道を思い返すと石材運搬するのに相当苦労しそうな気がしますが・・・」
帝国の白の街道は魔術で地形改変をされて最短距離で要衝と要衝を結んでいる。
あちらと違って近隣の未知はでこぼこ道で峠も急だ。
石材を遠距離運搬する途中で死者が出ると予想された。
「最低限といった筈じゃぞ」
「じゃあ、城壁は無しで。市壁はどうなります?」
「門以外は木柵にすれば安く上がるぞい。労働力も住民に命じれば良い」
エドヴァルドは一応話は聞いたが、やはり費用と期間がかかり過ぎるので却下した。労働力は焼かれた農地の回復に振り分けたい。
「では、まだうろついている賊や反抗的な近隣領主の牽制はどうするのじゃ?」
「誰かが泣きついて来るまで放っておきます」




