第8話 辺境国家の第四王子
また少し時と場所が変わり東方圏最南端の国バルアレス王国の話となる。
新帝国暦1418年にエドヴァルドは大陸東方圏最南端の国バルアレス王国の第四王子として生を受けた。王族にはよくある事でその名に箔をつける為に高貴な生まれに相応しい伝説が流布された。
生誕の際には激しい雷が城の一角に落ち、今まさに出産せんとしていた生母スーリヤの全身を雷が包んだという。雷と共に誕生し、彼が産声を上げると雲が晴れ虹がかかったといわれた。
この国には王妃が三人おり、彼の生母スーリヤの序列は実質的には第三位となっている。
第一王妃は北東にあるアルシア王国から嫁いできたクスタンス。
バルアレス王国よりも強大で貿易面でも栄えている内海側にある国の為、妃の序列で最上位とされた。彼女は双子の男子と娘を産んだ。他にも子を産んだが幼少期に亡くなってしまい無事に育った子供は三人だけだった。
第二王妃は国内の大貴族アイラクリオ公の娘でカトリーナ。
長男を産んだが、その子は生まれつき病弱であり次に生まれた子も体に障害があった為に産婆が産湯で殺してしまったといわれている。王は体の弱い長男を嫌い継承順位をクスタンスの双子の弟よりも低いものとした。他に男子は出来ず、昔は第三王妃扱いだったがベルンハルト王の幼馴染でもあり大貴族の父の後押しで徐々に宮中を席巻しつつある。
最後に生母スーリヤで第三王妃となる。
彼女も王に大事にされたが、生まれがラール海を挟んだ対岸にある貧しい南方圏の国ヴァルカである為、宮廷で肩身は狭かった。バルアレス王国の援助無しには国として成り立つ事も危ういとされスーリヤを後押しする事は出来なかった。外交的には公式の場に立つ時、カトリーナよりも上位の席にあるが、後見人も無く実質的には第三位だった
バルアレス王国の貴族達は帝国でも熱砂の国の舞姫ともてはやされていた彼女の舞を卑しい芸人の技として評価しなかった。この国では芸事は奴隷にやらせる卑しい技能だと考えられているのだった。
二人の妃達が中年に近づき段々王と寝所を共にすることが少なくなっていった後もまだ若く美しいスーリヤの寝室に国王ベルンハルトは度々王宮を渡って通った。クスタンスもカトリーナも当然それは面白くないのであからさまにスーリヤを虐めにかかる。大国の親アルシア王国派の貴族も国内の大貴族純血派らも対スーリヤでは女官達まで団結して追い出しにかかった。
そうなると宮中の混乱を避ける為にベルンハルトも足が遠のき、市井の娘に手を出すようになった。それで何人か孕ませてしまったが、今度はその娘や生まれた子供が暗殺されたという噂が街を賑わした。スーリヤも身の危険を感じて離宮を貰い宮中行事には顔を出さないようになっていった。こうして彼女は宮廷序列二位ながらも人々には実質的第三位として扱われている。
エドヴァルドは三歳まで無事に育つと息災祈念の儀式も終わり、スーリヤも胸を撫でおろし一層溺愛した。
母達のいがみ合いとは無関係にカトリーナが産んだ長兄のギュスターヴは12も年上だったので時折エドヴァルドと遊んでやっていた。東方圏の王侯貴族間で人気の動物を擬人化した絵本を読んでやったり、笹船を作って一緒に川で流して共に追いかけ、道草を食べようとして酸模の酸っぱさに笑い、城下町の子供とかけっこやかくれんぼをして遊んだり東方圏でも南端の辺境国らしい牧歌的な幼年時代だった。
◇◆◇
「エドヴァルド、お前宝物庫は行った事あるか?」
「いいえ、タルヴォ兄さん」
ギュスターヴが領地を得て王都から離れると代わって遊び相手になったのは9歳年上のタルヴォである。彼は少々厄介な生まれの兄だった。
「なんだ。ギュスターも連れて行ってやれば良かったのに。じゃあ行こうか」
段々成長して行動範囲が広がるエドヴァルドに病弱なギュスターヴはついていけなくなり、タルヴォが弟の面倒を見るようになっていた。エドヴァルドも年に一度の行事などで宝物庫から引っ張り出される巨大な破城槌や煌びやかな武具、自動的に音楽を奏でる神秘的な道具の数々に興味はあったが触れる事は許されなかった。
二人が連れ立って宝物庫まで行くと衛兵に止められた。
「ちょっと見学するだけだ。通せ」
タルヴォは命令したが衛兵は通さなかった。
「なりません。開放する権限を持つ方は僅かです。タルヴォ殿はそのどれにも該当しません」
「俺は父上に連れられて前にも入った事がある、別に悪さはしない。エドヴァルドにも間近で見せてやりたいんだ」
「若君でも無理です、開ける権限を持つのは陛下や神儀官、図書館長、王都の防衛指揮官の方々のみ。実際に開ける能力を持つのは王家の方々だけです。この扉は王族の魔力にしか反応しません」
「なら、俺達でも開けられるんじゃないか」
「貴方が?」
衛兵のひとりが鼻でふっと笑い、もう一人が窘めて「おい、やめろ」と割って入る。だが、その衛兵も入れてくれるわけでは無かった。
「貴方では無理ですよ、試してみますか?」
衛兵の無礼な態度にむっとしたタルヴォだったが、タイミングよく割り込まれて争いには発展しなかった。おうと答えて扉に手をかざしたタルヴォだったがやはり彼の力では扉は開けられなかった。バツが悪くなってタルヴォはエドヴァルドに開けるよう促した。エドヴァルドも真似をして手をかざしたが無反応。
「若君にもまだ資格はないようですね。タルヴォ殿も気は済みましたか?お引き取り下さい」
タルヴォとエドヴァルドは虚しく引き返し、城下町に遊びに出かける事になった。
◇◆◇
スーリヤはその夜、夫を迎えて手料理を振舞っていた。
国王ベルンハルトはちょくちょく忍んでやってくるが歓待するにはスーリヤの離宮は貧しくあまり食糧に余裕は無い。
「済みません、こんなものしかありませんが」
「気にするな、酒さえあればいい。カトリーナはクスタンスから毒を贈られたとか騒ぐし、逆も然り。ここは何の危険も無くていいくらいだ」
「お肉もありませんよ?」
僅かながらあった保存用の燻製肉はスープに入れ、味に深みを加えるのに使ってしまっていた。
「スープだけか。・・・今度狩りに行ったら帰りに獲物を置いていく」
ベルンハルトのお目当ては女主人だったので、食事の貧しさには文句を言わなかった。この国に後見役がいないスーリヤの宮廷予算は少ないのだ。
大貴族から嫁いだカトリーナや裕福な国の姫クスタンスには実家からの援助もある。しかしスーリヤは祖国ヴァルカに援助する側だった。
「南方圏の戦乱はますます激しくなって難民が押し寄せてくる。義母上達が心配だろうが仕送りはシセルギーテの給与からだけにしておけよ?」
「勿論、わかっています。母からは難民の受け入れに感謝しますと手紙がありました」
「ああ」
「あとシセルギーテの給与は彼女のものですよ」
食卓にはエドヴァルドも同席しているが、難しい話に口を挟んではいけない事くらいは弁えていた。スーリヤを手伝って給仕をしている奴隷の娘に自分の手を拭くのに使ったパンを与えている。下々にはこうやって時々情けをかけてやらなければならないのだ。
「後はスーリヤだけでいい。下がってお前も食べておけ」
奴隷の少女はベルンハルトとエドヴァルドにうやうやしく礼を言って下がった。
それを見送ってからベルンハルトは再び口を開く。
「エドヴァルド、宝物庫に行ったそうだな」
「え、はい」
怒られそうだと思ってエドヴァルドは身を縮こまらせた。
「正直に答えろ。開けられたのか?」
「駄目でした」
報告が行っているのなら開けられなかったのも知っているはずなのに、と疑問顔でエドヴァルドは返事をする。
「何か、感じたか?」
さらなる質問にもエドヴァルドは首を振る。
嘘は言って無さそうだとベルンハルトは納得したが同時に失望もした。
目ざとく気づいたスーリヤは口を挟んだ。自分の子供を失望の目で見るべきではない。
「まだ五歳ですよ」
「だが、後二年だ。あいつは三歳の時には目覚めていたというのになあ・・・」
「妖精王陛下と一緒にしないで下さい」
スーリヤは苦笑した。スーリヤとベルンハルトは帝国の学院留学時代に出会い、婚約した。貧しい砂漠の国ヴァルカには食糧援助が必要で、農業国のバルアレスには労働力が必要だった。ベルンハルトは幼馴染のカトリーナやクスタンスを妻に迎える事が既に決まっていたが、父親に強引にお願いしてスーリヤを貰い受けた。
「妖精王陛下って?」
好奇心旺盛な年頃なので一度会話に加わるとエドヴァルドは気になる事は何でも尋ねた。
「昔の学友さ。俺やスーリヤが帝都の留学時代に知り合った」
「今では東方の大君主に君臨されているお方よ」
「ちちうえよりも偉いの?」
子供にとっては父親は絶対的な存在なのでそれよりも上に君臨していると言われると子供心にはなかなか受け入れがたい。
「まあな。他所の土地では他所の流儀がある。スーリヤはこの家で一番偉い女主人だが、カトリーナの家ではあいつが一番だ。妖精王だって帝都じゃ皇帝には譲る」
へーとエドヴァルドは分かったようなわからないような感嘆な声を上げた。
まだ王都から出た事も無く、国というのもよくわかっていない。
「兄上達も今はてーとって所にお勉強しに行ってるんでしょう?ぼくも行ける?」
エドヴァルドは帝都に興味を持って兄が行く所なら自分も行ける筈だと期待して父親に訊ねた。しかしベルンハルトは難しい顔をする。
「お前を行かせる予定はない。留学は学業の為だけではなく将来王位を継ぐものに帝国と友誼を持たせる意味合いもある。何、心配するな。お前には国で一番評判の高い学者を呼んで家庭教師につけてやる。さ、食事が終わったなら自室に戻れ。俺はスーリヤとまだ話がある」
エドヴァルドの兄のうち最も次期国王に近いのは双子の兄レヴァン、次に弟のヴァフタン。無事健康に育っているこの二人に不慮の事態が起きるとは考えにくいがそうなってもまだ長兄ギュスターヴがいる。後見人もいないエドヴァルドが王位につく事はまずあり得ないと大抵の貴族は思っていた。
エドヴァルドは優しい双子の兄が通っている帝都に自分も行って見たかったのでその望みがないと知ると肩を落とした。ベルンハルトの口調がやや厳しく追い出すかのようだったのでスーリヤが軽く睨む。学生時代と違っていまのスーリヤは夫より子供を優先するきらいがあった。ベルンハルトにとっては複数いる妻よりも息子達よりも今はスーリヤの愛を失う方が困る。
「あー、明日は俺が宝物庫に連れて行ってやる。だからしょげるな。正午の鐘が鳴るころ城に来い」
「はい、父上。ありがとうございます」
◇◆◇
まだしょんぼりしたまま食堂を去って行くエドヴァルドを見送りベルンハルトはスーリヤに話しかけた。
「残酷に思うかもしれないが、そろそろ序列をわきまえさせろ」
「そんな風には思いませんよ。とてもよくして頂いていると感じています」
スーリヤは酌をしながら目を伏せて答えた。
「二人きりの時にはそんな風にしゃちほこばらなくてもいいんだぞ」
「もう慣れてしまいました」
スーリヤは帝都にいた頃舞姫としても有名だったが、学院では常に腹を空かせている欠食児童としても有名だった。腹を空かせていたスーリヤを何かと面倒見て食事を与えていたのがベルンハルトや妖精王達のグループだった。
「どうしても学院にやりたかったら、学費はシセルギーテに出させろ」
長男のギュスターヴは帝国からの補助でほぼ無料で帝都の学院に通えたが、次男三男、ましてや四男ともなると帝国も面倒は見てくれない。
「今は主従関係にありませんからそんな事は出来ませんよ」
スーリヤにとってシセルギーテは乳姉妹であり、友人でもある女騎士だったが今は別の主人に仕えている。
「あいつはそうは思っていないぞ。俺の命令も聞かないくせにお前の頼み事だけは何でも聞く」
「命令ではありません、家族だと思っていますから。でも息子の学費を出してくれなんてお願いするのは無理です」
「あいつは学費くらい十分溜め込んでる筈だぞ」
「ヴァルカへ仕送りに使っていますよ。それに帝国騎士は何かと経費がかかるようですから」
「ま、好きにすればいいさ。さて、久しぶりにお前の技を見せてくれ」
翌日ベルンハルトは昼まで寝ていたのでエドヴァルドと城で会うどころか一緒に宝物庫へ行く羽目になった。
※注釈
古代ギリシャではこうしてパンを手拭きに使い、犬や奴隷に与える事もあった。