番外編 方伯家の女性達:大コンスタンツィア
◆1287年3月1日 コンスタンツィア
紙の値段がすっかり安くなりました。
おかげで日記というものを書く事が出来ます。
今日は、今日も!雨が降っています。
今から三ヶ月前、聖ヴァルマンを讃える祭がヴェッタハーンで行われました。
ヴァルマンは四千年くらい前の偉人で、南方圏を制圧した軍人だったそうです。
当時は今と違って神々に匹敵するような力を持つ魔術師がたくさんいて苦労したのだとか。
彼が石人形の軍団を率いて戦車の大軍をやっつけたそうです。
新聞記事によると聖ヴァルマンのお祭りで女性達が生贄に捧げられて大洪水が発生し、ラール海とイレス海が繋がりました。洪水といっても雨が降って山の川が増水したわけではなくて、海底が渦巻いて水がせり上がりながら運河の底と両岸を削り取っていったそうです。
これでたくさんの犠牲者を出した工事も終わりました。
生贄となった女性達の冥福をアナヴィスィーケとドゥローレメに祈ってから寝ようと思います。
◆1287年4月12日 コンスタンツィア
安くなったといっても紙が勿体なくてしばらく間が空いてしまいました。
マリア先生のお話では紙を作るのに木をたくさん切らないといけないそうです。
300年前に比べると随分森が少なくなったとおっしゃっていました。
病気や水害が増えるんじゃないかって先生は心配しています。
ちなみにもう四ヶ月くらい雨ばっかりです。
ドゥローレメの涙がまだ止まらないようです。
巷ではドゥローレメを慰める為、音楽祭が始められました。
唯一信教の大司教は水害をもたらす神だといって非難しています。
食料が高騰して飢えた平民達が貴族街への門に押し寄せて来ています。
門を越えて雪崩れ込んで来たらうちの警備員では御屋敷を守り切れないのでお館様の大きな御屋敷に退避させて貰おうかと皆で話し合っています。
◆1287年4月19日 コンスタンツィア
ガドエレ家が東方圏から大量に食料を買い付けて来て民衆に振舞いました。
暴徒になりそうだった平民達も家路について一安心です。
次の皇帝はガドエレ家から選ぼうとお館様が漏らしていたそうです。
うちもそんなに食料庫の余裕が無かったので助かりました。
◆1287年5月6日 コンスタンツィア
ようやく雨が止みました。
世界中で水害が発生しているようです。
大司教は次の皇帝は下らない神に捧げるお祭りに予算を裂くより水害対策をきちんとやる方を選ぶといってお館様と対立しています。
◆1288年3月15日 コンスタンツィア
実は結婚しました。えへへ。
お母様はまだ早いんじゃないかって言ってたけれど、もう14歳ですもんね。
お婆様なんて5歳で婚約して12歳で嫁いで来たそうです。
お相手は巡礼騎士のカルトさんでラインフェルデンに参拝した時に、巡礼者達と一緒に道中守ってくださった方です。
友人からは学院はどうするのって聞かれたけれど、子供が出来るまでは今まで通りです。ジュディッタお嬢様からは夜会に巡礼騎士なんか連れて来ないでよねっていわれました。
頼まれても連れて行きません。
あんなこといっておいて一目見たら惚れちゃうんだから。
夫を同伴出来ないので、これで社交界とはおさらばです。
夜会服を取り繕うのが大変だったのでせいせいしました。
◆1296年2月2日 コンスタンツィア
毎年毎年子供が産まれるので大変です。
学院はお腹が大きいまま通ってちゃんと卒業しました。
お嬢様も嫁いでいきましたけど、未だに子供が出来ないみたいです。
あー、かわいそ。
方伯家のお嬢様のくせに大地母神への感謝が足りないんじゃないでしょうか。
カルトは転勤になるみたいでベルチオ家の一族が集まって盛大な宴会が開かれました。任地はしばらく秘しておくそうです。
ずっと巡礼騎士を止めて帝都の神殿警備だけして家にいてくれたのに・・・なんで今更?
◆1296年3月15日 コンスタンツィア
カルトから離縁状が届きました。
納得できません。
届けてくれた夫の友人にせめて一度は顔を見にきて説明して欲しいと頼みました。
裁判所には離婚に承諾しないと通知しました。
◆1296年5月5日 コンスタンツィア
夫が旧都で戦死したと聖堂騎士から知らされました。
任務は旧都の亡者監視だったそうです。
◆1296年9月24日 コンスタンツィア
父の勧めで再婚する事になりましたが、お相手はお館様です。
三十歳も年上ですが、お互い再婚ですから仕方ありません。
両親も祝福してくれています。
まさかベルチオ家から選帝侯家に嫁ぐ人間が出るとは驚きだと。
カルトは喜んでくれるでしょうか。
彼が離縁状を送って来たのは旧都の任務が危険だったから、死を覚悟していたのだろうと友人に慰められました。確かにそれ以外に考えられません。
◆1296年10月2日 コンスタンツィア
まだ、少し気持ちの整理が出来ません。
でも、両親はお館様の気が変わったら大変だと早々に輿入れの支度は整えられました。子供達は全員実家に置いて行くことになりました。
◆1297年5月9日 コンスタンツィア
お庭が広いので畑を作ってみました。
家中の女性達は野良仕事なんてみっともないから止めてと言ってきますが、無視です。
むしむーし♪
◆1297年5月12日 コンスタンツィア
むしの歌を歌っていると旦那様もやってきて畑仕事を手伝ってくださいました。
怒られるかと思いましたけど、存外に優しい旦那様です。
ノリッティンジェンシェーレ様だって大きなお腹で葡萄を収穫する彫像残ってますもんね。これが帝国の女としてあるべき姿なのです。
◆1297年6月7日 コンスタンツィア
長年社交界に出ていなかったわたしが皇帝陛下の大宮殿にも自由に入れる身分になったのは不思議です。夜会で会うとお嬢様はわたしを避けて目を逸らします。
お嬢様というかもう義理の娘さんですが。
今では皇家の女性達までがわたしにひれ伏して、わたしの髪型の真似をして、わたしと同じ美容師と契約したがります。実家の親類も皆、高位貴族の仲間入りです。
大宮殿の礼儀作法がわからないのでプリストクス家のエイレーネ様に教えて貰ったのは内緒です。無作法なわたしの真似をしていた人達ってほんと馬鹿みたいですよね。
◆1297年7月9日 コンスタンツィア
皇后陛下のおはなし相手として大宮殿に通っています。
わたし専用のお部屋も用意して下さるそうです。
皇后様とは庭いじりの趣味が合うのでわたしも気が楽です。
皇帝陛下の御一族はフリギア家という南方系の家系なのでわたしとは大分肌の色も違うし、庭で育てている植物も違います。
来年はお互い種を贈り合う事にしました。
大宮殿の夜会は偉そうな公爵様がよくわからない話をしてくるのですぐに皇后様の所に逃げるようにしています。うちの実家の身分が低かった事をいじりたおされて面倒なのです。
世の中暇な公爵様多すぎやしませんかね、あんなに要る?と皇后様と笑いあっていました。
◆1297年9月4日 コンスタンツィア
貴族年金の支給基準が爵位ではなく魔力の強さに変わりました。
多くの貴族が領地を召し上げられて官僚として出仕するように命じられてから300年振りに変更です。宮殿暮らしなのにろくに働いていなかった自称公爵様とか伯爵様もこれからは自分で稼がねばなりません。ちなみにうちの実家は調査したら上位貴族相当だったみたいです。爵位なんてもうアテになりません。
ところで、こんな平和な世の中で魔力なんて今時何に使うんでしょうかね?
さらにところで、陛下の宮殿の人口って10万人くらいなんですって!おどろき!!
◆1297年9月7日 コンスタンツィア
陛下が年金支給基準を変更したのはわたし達のお茶会の話が元だったそうです。
官僚でも無いのに居座っている白アリ退治だと怖い事をおっしゃっていました。
財政がヤバイのですって!
皇家の直臣以外は平民の血が混じっている場合、大分不味い事になりますね。
◆1298年2月1日 コンスタンツィア
大宮殿が大分すっきりしました。
追い出されちゃった人達、ごめんなさい。
わたしのおしゃべりのせいです。
家系図をでっち上げたり紋章院に賄賂を贈っていた貴族達がまとめて整理されました。旧帝国が一度滅んで記録が散逸しているので胡散臭い人が多かったようです。
うちの実家を見下していた『下級貴族』の公爵様、いまどんな気持ち?
今日は旦那様がとても優しくして下さいました。
◆1298年12月2日 コンスタンツィア
ダルムント方伯家に嫁いできて最初の子供は女の子でした。
名前はシュヴェリーンです。
旦那様に男の子を産んであげたいとお婆様に相談したらカーマ様の絵巻を渡されました。
◆1299年3月3日 コンスタンツィア
旦那様ももうお歳なので、大変そうです。
出来るだけ優しくしてあげています。
◆1300年1月1日 コンスタンツィア
今年は畑を大幅に拡張します!
◆1300年11月24日 コンスタンツィア
終古万年祭でわたしが育てた野菜を奉納してきました。
パンに挟んで民衆にも振舞いました。とても評判が良いのです。
ちなみにわたしはゴマが駄目です。食べると何故か呼吸困難になります。
肺の病気かと思いましたが、お医者様によると体が特定のものに過敏に反応してしまう人が何十万人かに一人はいるそうです。食べなければ大丈夫なので、悪い病気ではないそうです。
あーよかった。旦那様も安心しています。
ところでお医者様達はどうやって統計を取ったの?
◆1305年6月4日 コンスタンツィア
方伯家では子供達の教育は家庭教師に任されています。
女の子は私が教育してもいいといわれたのでシュヴェリーンは私とマリア先生で面倒を見ています。
◆1305年12月4日 コンスタンツィア
シュヴェリーンの教育に方伯家の女性達が介入してきました。。。
朝から晩まで詰め込み教育で可哀そうです。
◆1310年12月9日 コンスタンツィア
子供は六人出来ましたが、全員女の子です。
マリア先生はお肉をたくさん食べると男の子が生まれやすいと教えてくれましたが、全然駄目でした。ただの迷信だったみたいです。
もうシュヴェリーンに任せてしまおうかしら。
◆1312年4月11日 コンスタンツィア
シュヴェリーンがゲオルクという男の子を産みました!
お相手はカーマ様の神殿で斡旋された貴族です。
次男坊でしたがそこそこの家柄だったので、旦那様は小領地を与えて独立させて結婚を認めました。皇帝陛下も祝福してくれているのに新しい大司教だけが結婚前に子供を産むなんて恥知らずなカーマ信徒めと非難してきます。
うざったいお爺さんです。
◆1313年6月7日
新人大司教があんまりにもうっとおしいのでそんなに唯一絶対神が凄いなら奇跡の一つでも示して見せればいかが?と言ってみた所売り言葉に買い言葉になってしまい、彼が港から水上を歩いてツェレス島まで渡ってみせる事になりました。
◆1313年7月1日
もちろん大司教は大失敗して面目を失いました。
これで少しは黙るでしょう。
◆1319年3月21日 コンスタンツィア
シュヴェリーンが産んだ男の子は才気煥発で、旦那様はまだまだ現役ですがこの子に将来後を継がせたいみたいです。
これからすぐに英才教育を始めるとおっしゃっています。
私の子孫が方伯家の当主になっちゃっていいの?ほんとに?
◆1319年5月16日 コンスタンツィア
シュヴェリーンは子供達から引き離されています。
私と違って男の子ばかり産んでいるので女の子が欲しいようです。
シュヴェリーンを連れてカーマ様の神殿に参拝に行こうとしても唯一信教が道を塞いで封鎖しています。
◆1326年1月2日 コンスタンツィア
シュヴェリーンは会う度に人が変わって行きます。
今ではすっかり唯一信教に嵌ってしまい、カーマ様への礼拝も拒みます。
カーマ様の神殿で夫を見つけたくせになんて無礼なんでしょう!
旦那様には隠しおいてあげないと、困った事になります。
そうそう、マリア先生が魔術評議会の副評議長に就任しました。
最近病気にかかったみたいで目に黄疸が見えます。
◆1326年2月6日
シュヴェリーンの具合が悪いようで今年は春になる前に自分の家に帰ってしまいました。何か滋養に良い物を送ってあげないと。
◆1326年12月12日
新年祭の準備をしているのだけれど、シュヴェリーンからだけ出席の返事が来ません。念のため再確認してみましょう。
◆1326年12月30日
土壇場になってシュベリーンから不参加の報せが来ました。
相当具合が悪いみたいです。
直前まで持ち直さないか我慢して返事を引き延ばしていたのでしょう。
◆1327年6月20日 コンスタンツィア
夫が亡くなり、ゲオルクがダルムント方伯家当主となりました。
夫が死んだ事でエイラシルヴァ天爵様の負担が重くなり、信教勢力の拡大を抑えるのが辛そうです。暴徒に目を付けられたくないのか、皆息を潜めています。
わたしも家を離れてどこかに畑でも貰って暮らそうかと思いましたが、ゲオルクが当面保護してくれるそうでまだ方伯家に残っています。
ゲオルク曰く東方の男性達には三つの美点があるそうです。
彼らは次の三つを法より重い男の義務だとして伝えているそうな。
咎むべきかな、適齢に娘を嫁をやらぬ父
咎むべきかな、妻を顧みぬ夫
咎むべきかな、未亡人を保護する力無き息子
わたしには息子がいないのでゲオルクが私の騎士として守ってくれるそうです。
まー、なんてよく出来た孫でしょう!
◆1327年11月9日 コンスタンツィア
巡礼騎士達を支援している方伯家にも信教の攻撃は始まりました。
大司教はゲオルクに対して慇懃無礼なくせに!
ゲオルクに万が一の事があれば、シュヴェリーン達を連れて何処かに身を隠すべきかもしれません。娘達の為に最初の夫が残してくれた遺産をアルビッツィ家の銀行に隠して置きます。これは方伯家とは関わりない個人資産ですから家の者達にも内緒です。
◆1332年1月17日 コンスタンツィア
妊娠中のシュヴェリーンの容態がかなり悪いのでエイラシルヴァ天爵様に相談した所、慈愛の女神の聖女を紹介して頂きました。診断の結果、帝王切開する事になりましたがすかさずウェルスティアの御力で母子共に直ぐに回復しました。
古き神々から目を背けていたシュヴェリーンもこれで改心してくれるといいのだけれど。
◆1332年1月20日
生まれたのは待望の女の子で名前はメルセデスになりました。
恋愛の女神の神官が名付け親になってくださいました。
夫婦で相談して神官にお願いしたのだとか。
どうやらシュヴェリーンも正しい教えに回帰したようです。
ちなみに帝王切開に立ち会ってくれた方の聖女はアリシアさんといって、まだお若いのに大した御力です。
わたしが育てた野菜をお礼に差し上げようとしたら民衆に施してあげて欲しいといわれました。よくできた娘さんです。
彼女は祈っただけで聖女だなんて呼ばれるのは不遜だといっていました。
手を血まみれにして人々に奉仕しているお医者様達の努力を考えたらこんな力は無い方がいいのかもしれないとおっしゃっていました。
どういうことでしょうね。
◆1332年2月24日
皇后さまのお招きで天の牧場に行ってきました。
真っ白な羽根の生えた美しい馬です。
数万人に一人しか乗せてくれないそうですが、わたしはあっさり乗れてしまいました。向こうの方から乗れといわんばかりに背を屈めるものなので、つい。
皇后さまにはこの子を差し上げようかと言われましたけど、さすがにもう年ですから遠慮しました。自由に走って飛ばさせてあげた方がいいですもんね。
でも時々、遊びに行く事にしました。
グラーネと呼ぶとすぐにやって来てくれます。
◆1332年3月21日
グラーネの方からうちまで飛んできました。ちょっとびっくりです。
仕方ないので、うちで面倒見る事にしました。
食べ物は普通の馬と同じでいいらしいですが、食は細いです。
牧場の管理人さんが言うにはたぶん精霊に近い生物だという事らしいです。
たぶん食べなくても平気だそうな。
ふしぎふしぎ。
◆1333年4月2日
シュヴェリーンが離婚したそうです。
まあ、わたしも再婚組ですからね。
大丈夫大丈夫。
娘達も半分くらいは再婚してるし。
気位の高い方伯家の娘とそんじょそこらの男ではなかなか釣り合わないんでしょう。
◆1333年4月19日
シュヴェリーンとメルセデスが我が家にやってきました。
メルセデスはグラーネがお気に入りみたいです。
大きくなったら乗せて貰おうね。
◆1334年11月1日
シュヴェリーンはまだ情緒不安定のようです。
再婚相手がみつらかないせいかしら。
メルセデスのお部屋や衣服が少しばかりみすぼらしいのでわたしが繕ってみました!
まだまだ腕は衰えていませんね。
目はちょっと不安ですが。久しぶりに針の穴に糸を通しました。
もう寒くなるので毛糸で大急ぎで着ぐるみをつくりましょう。
◆1335年1月22日
シュヴェリーンがメルセデスをマグナウラ院に入れたいそうです。
まだ小さいのにもう教育熱心になっちゃったのかしら。
まあ任せておきなさいと請け負いました。
フォーンコルヌ家のご当主が理事長をしている筈なのでどうにでもなるでしょう。
◆1334年11月17日
シュヴェリーンにあげたお金は神殿への寄進に使ってしまったそうです。
あの子が信仰の道に戻ってくれるのなら、もう一度お小遣いをあげましょう。
まあ、どうせゲオルクのお金ですけどね。
なんでこんな回りくどい事になったのかしら。
◆1335年9月22日 コンスタンツィア
いつの間にか目も耳も悪くなってきたみたいで、メルセデスの元気についていけません。あまりシュヴェリーンと上手くいっていないみたいで心配です。
皇帝陛下も皇后様も亡くなってずっと選帝選挙待ちの状態です。
ゲオルクの話では大司教が選帝を始めるのを拒んでいるみたいです。
◆1335年10月2日 コンスタンツィア
庭師の人達も皆皇帝が不在の状況を不安がっています。
シュヴェリーンは皇帝がいなくても経済はちゃんと回っているから問題ないといっています。すぐに皆慣れるって。
◆1336年9月29日 コンスタンツィア
大宮殿に行ってエイラシルヴァ天爵様や皇家の方々とお話してきました。
エイレーネ様が長い間、公に顔を見せていないようで不在でした。
皇后様亡き後では数少ない友人なので、とても残念です。
マリア先生はもうすっかり魔術評議会の評議長として立派になられていました。
わたしももういい年なので遺言状を認めて、マリア先生とエイレーネ様に残しておきました。
娘達は皆、それぞれの環境で元気に暮らしていますがシュヴェリーンだけが心配です。
わたしの遺産は全てあの子に託しておこうと思います。
まだ再婚相手が見つからないので母子家庭になってしまうし。
ゲオルクにはわたし同様、何があってもシュヴェリーンを守ると誓わせました。
◆1337年5月8日 コンスタンツィア
明日、メルセデスが初めてのお料理を振るまってくれるそうです。
シュヴェリーンと仲直りしたみたいで、二人で作ってくれるのだとか。
とても楽しみですね。
■大コンスタンツィア(1273-1337)
―――生涯で三人の男の子と六人の女の子を産み、家に夫に尽くし控え目で、書庫を整えて、家計をよく管理し、賢母の誉れと讃えられた。皇帝や皇后ともよく交流し平民にも優しく慈愛をもって接し、飢えた人々に自ら育てた食料を施した。
夫亡きあとは個人資産で孤児院を設立して貧しい人々を救い平民にも慕われた。
人あたりもよく、選帝侯の祖母として皇家からも尊ばれ、唯一信教の大司教も彼女には頭が上がらなかったという。晩年は食事中に胸の痛みを訴えてそのまま月へと旅立った。
彼女の遺言を託された魔術評議会評議長イグナーツ・マリアがエイレーネを発見し、エイラシルヴァ天爵がエイレーネを法と契約の神の大神官に任じた。




