第5話 皇帝と東方大君主
新帝国歴1428年の東方諸国会議が終わったあと、フランデアン王シャールミンは皇帝に招かれ、妻を伴ってモアネッド市の天文台にやってきた。
天文台の近くには天馬の牧場があり、シャールミンと因縁深い女性が管理をしていた。
「ここがあの女の牧場ね!」
両手に腰を当てて天文台から眼下の牧場を見下ろすウルゴンヌ女王が言った。
「違うよ」
芝居がかった口調に呆れつつシャールミンは否定する。
「何度も二人きりで会ってるって記者さんが言ってたわ!」
「どこの記者だ?アスパシアか?」
「情報源秘匿の権利を行使するわ!!」
頻繁に帝都を訪れるシャールミンは学生時代に仲が良かった女性と浮気しているのではないかとよく妻らに突かれる。
何年もからかわれ続けてシャールミンも少しばかり怒りを覚えた。
「私は今まで一度も君らを裏切った事はない。だが、そう何度もからかわれると君達の願い通りにしてやりたくなるな」
ムッとしたシャールミンが踵を返して天文台に入って行こうとすると女王も慌てて、後を追いかけた。
「御免なさい・・・しつこかった?」
上目遣いでそっと機嫌を伺うような様子の女王をみてシャールミンは「気にしてない」と言って先に行く。
気にしてないと言われると、女心は複雑でまたまた女王の方も多少不愉快になってしまう。足早に先を行く王の服を引っ張って自分に向き直させた。
「気にして欲しいな。わたし達は格下扱いだし・・・いつもは公式行事について来られないんだもの・・・不安なの。特にわたしには貴方しかいないし・・・」
「・・・む、そうか、そうだよな。少し冷たかったな。さぁおいで」
いじらしい態度を取られるとまたむくむくと愛情が沸き起こってシャールミンは女王を抱き寄せた。二人の後をついて来た騎士達は少しだけ距離を取って周囲の監視に勤めた。
どうも夫婦の時間が始まったようだ。
「わたしも赤ちゃん欲しいな。マリアばっかりずるい」
「機会は均等にしているから、こればっかりは・・・・天の神々のお恵みに縋ろう」
「マリアがね、出張の時は当面わたしがついていって良いって」
「だから今回は君だったのか・・・」
「そ、だからね。早く皇帝の挨拶なんか終わらせて翠玉館に帰りましょ」
どうにも態度が軽めなこの女性、実はウルゴンヌ女王の異母姉マーシャである。
時折こうして女王の影武者として公式行事ではウルゴンヌ女王として出席することもある。マリアとマーシャは交互に一年の半分はウルゴンヌに住み、もう半分はフランデアンで暮らしている。マーシャは先代のウルゴンヌの主である雷公カールの娘で認知はされていたが、妃の侍女で移民の出身だった。
カールの子供はマリアとマーシャを覗いて全員スパーニアとの戦いの中で戦死、殺害されている。その為、マリアに万が一の事があると血統が絶えてしまう事を懸念してマリアとマーシャは外国にはどちらがどちらかわからないようにしていた。
マリアに何かあった時、マーシャが何食わぬ顔で女王として続ける事はウルゴンヌの重鎮貴族達も承知している。
それもマリアに二人の男子が誕生したのでもう必要なくなったが、マリアの頼みもありマーシャは今もシャールミンの愛人を続けていた。しかし、マーシャにはまだ子が無い。
「時間はちゃんと取るから、しばらくは真面目に仕事をしてくれ」
幼い頃、マーシャに命を救われたシャールミンはどうにも彼女に弱かった。
◇◆◇
天文官達に誘われ、シャールミン達は皇帝がいる観測室に入った。
皇帝は機器を調整しているらしく、侍従長が声をかけても少し待てといって作業を続けていた。そろそろ日も沈み、辺りは暗くなってきた所だった。
西から北は大きな山脈が続いており、すぐに真っ暗になる。
しばらくしてようやく作業が終わったらしい皇帝が向き直ってシャールミンに謝罪した。
「済まないな。どうしても手が離せなくてな」
「構いませんよ。もともと天文官だったと伺っておりましたから」
多忙な皇帝にも息抜きが必要だろうとシャールミンは理解した。
「うむ。ものどもがそなたのように寛大だといいのだがな。さて、サビニウス。お前達はしばらく外の警備をしておれ」
「しかし・・・」
命じられた親衛隊長はシャールミンの騎士を警戒してすぐには従わなかった。
「オルランドゥ、お前も外へ」
「承知」
シャールミンの騎士は簡単に頷いて外回りに出て行った。それからようやく親衛隊長も親衛隊員を連れて外に出て行った。
「さて、うるさい奴が出て行った。起動してみるか」
そういってカールマーンが何やら魔術装具を使って大型装置に魔力を投入すると観察室のドームに天の星々が投影された。
月と星々の輝き、そして手に取れるような位置にある小さな星をみてマーシャは感嘆の声を漏らした。
「気に入って頂けたかな?古代にどこかの国から強奪してきた神器で天象儀という」
「強奪したのは頂けないですが、歴代皇帝が手放さなかったのも頷けますね」
今はウルゴンヌ女王として皇帝の前に立っているのでマーシャも皇帝に礼儀を払った。皇帝はそれを聞いて呵々《かか》と笑った。
「実はな、帝国も手放さなかったわけではなく忘れ去られていたのだ。旧帝国期は半島の西側を重点的に開発していてな。この辺りに勢力を持っていた当時の皇家が設置してそのままになっていたのを余が再整備したのだ」
フランデアンも古代に神器を帝国に提供しているが、帝国魔術評議会が神代の技術を研究する為に必要な情報を取った後は返却されている。
「本日はこのお披露目に?」
「そうでもあり、そうでもないな。個人的にはこれを自慢できる友人を招く事が出来てうれしいが、本題は他にある」
「でしょうね。ですが、自慢なさりたいのでしたらどうぞ、妻も気に入ったようですので」
マーシャはふらふらと歩いて興味深げに星を摘まもうとしていた。
「そんなことをいうと明日の朝まで話してしまうぞ。昔のカレリアはすぐに寝入ってしまったものだった」
「それは困りますね。では先に本題から伺いましょうか」
◇◆◇
「うむ、残念だが嫌な事から先に終わらせるとしようか」
そういってカールマーンは装置を調整して部屋を少し明るくし、話を続けた。
「実はな、以前に我が帝国の法務省監察隊などの海外活動を制限する事で合意したが多少、制限を解除して貰いたい」
「彼らがスパーニアで行った蛮行を思うと歓迎できませんが、何か納得できる理由でも?」
「あぁ、魔術評議会と帝国地理院の要望でな。各国に調査団を送りたい」
「何の、でしょうか」
シャールミンは目的だけでなく規模も知りたがった。
「どうも大陸全体でマナの濃度が低下しているようでな。これが自然環境にどういった影響を及ぼすのか多方面の学者を投じて調査する必要があるらしい。この帝都で濃度が低下している話は前から出ていたので都内での魔術の乱用は制限していたが、これが全世界に及ぶとなると我が帝国が主導して調査するしかあるまい」
「科学調査であれば特に反対する理由もありませんが、各国で独自に調査させるわけにはいかないのですか?」
「余もそういったが、各国それぞれ計測方法や基準値がバラバラらしくてな」
シャールミンもそれで納得した。それだけならば特に反対する理由は無い。
「《《学者の調査だけ》》であれば『どうぞ、ご自由に』とお答えしますが・・・」
「そなたは察しが良いな。学者だけでは少々危険な場所にも赴く事があるので軍事力を伴う。そして調査は継続して広範囲に何年も何十年も続ける必要がある」
やはりな、とシャールミンは警戒する。
しかし目的からすると当然であるともいえる。
「で、あれば各国に調査方法などを伝授して統一基準を設け徐々に移管する事が条件となるでしょう」
「そんなところだろうな。余もそう思っていた。だが、その場合予算は各国で出して貰う事になるが良いか?納得のいかない結果が出てきたらこちらがやはり調査団を引き続き送ることになる」
「いいでしょう。来年の東方諸国会議で議題に取り上げます」
「いま、そなたが決める訳にはいかんのか?」
「無理をおっしゃられても困ります。私は他の国の内政や外交にまで指示する立場ではありません」
自分は取りまとめ役の議長に過ぎないとシャールミンは固辞した。
「ふむ、そなたがいうなら皆素直に聞きそうなものだがな・・・。まあ東方の大君主も皇帝も似たようなものか」
「皇帝も?」
シャールミンは自身の名声が高まるのと共に、東方の小皇帝などという陰口が叩かれ始めているのも知っていた。長年冷戦関係にあった帝国と同列の扱いは御免蒙りたい。
しかし皇帝の口から出たのは意外な言葉だった。
「うむ。所詮皇帝も閣僚達の取りまとめ役に過ぎぬ。いや、それ以下かな。余は彼らのような専門知識は一切ない。帝王教育も受けた事は無いし、政治、経済、軍事何一つわからん素人だ。そなたとは違って皇帝がいようといまいと帝国は揺るがぬ」
シャールミンもカールマーンが選帝された後に死亡した兄の代役として帝位についた事は知っていたが、こうもはっきり皇帝としての自分を否定しているとは思わなかった。
「帝位についた時はそうであったとしても、今はよく学ばれているのではないですか?」
「だといいがな。先ほど出て行った親衛隊長は余が公務に熱心でない事が不満らしい。馬鹿な話だ、余よりも優れた者達が指揮しているのに何故余が口出しせねばならないのか。余が命じれば皆は従うが、そのせいでこの世が滅ぶかもしれんというに」
「この世が滅ぶとは随分ですね」
帝国が国政のかじ取りを誤って滅んだところで諸国が滅びるわけではない。
帝国がこの世の中心で思っている帝国人らしい発想だ。
「傲慢と思ったか?しかしな、不滅と言われた神々さえ滅んだ。常に天にあって輝く星々でさえもいつかは消滅する。帝国も、人の世も永遠には続かぬ」
「星も?」
形あるものいつかは壊れる、それはわかるが星々もという皇帝にマーシャがつい口を挟んだ。
「そうだ。君はマーシャ殿の方かな?」
「う、わかります?」
マリアとマーシャが時々入れ替わっているのは公然の秘密であり、皇帝も耳にしていたようだ。監察隊の活動を制限しても情報は入手しているのだろう。
「妖精王に相応しい勇敢な女性だと聞いている。余の寵姫もマリア殿の事を絶賛していたが、功績のいくつかは君のものだろう」
カールマーンの寵姫、マーダヴィ公爵夫人は騎士物語好きのご婦人だった。
「てへへ、お恥ずかしい・・・。二人合わせて一人前ということで黙認しておいて頂けると助かります」
「無論だとも。安定した諸王に勃興する市民達を抑えていて欲しいからな」
あまり深く探られたくないのでシャールミンが口を挟む。
「それで、星もというのは?留学時代に太陽もいつかは滅びるという話を聞いた事がありますが・・・」
「あぁ、説明するより見てもらった方が早いな」
カールマーンは再度天象儀を操作し、部屋を暗くして起動した。
シャールミンもマーシャも再び投影された星々を見たが、それで何かわかるわけでもなかった。顔を見合わせてから再度カールマーンに向き直る。
「ちと難しいかもしれんが、マーシャ殿が先ほど摘まもうとした星をよく見ていてくれ。もう一度切り替える」
カールマーンがもう一度停止させた後、起動するとそこに星は無かった。
「無くなった?故障ですか?」
マーシャの問いにカールマーンは首を横に振った。
「いや、違う。これは現在の夜空だ。一つ前のは五千年以上前の夜空となる。つまりここ数千年の間に星がいくつも消えてしまったのだ。神話の通り星々が諸神の神域であるならば、神喰らいの獣によって神が殺され、消滅した際に、星も消えたという事なのだろう」
「なるほど」
神話が絵空事であってもなくとも、記録にある限り星が消滅したのは事実であるらしい。
「投影装置に残っている記録はいくつかあってな、旧帝国時代になってから記録されたと思わしきものもある。それによるとここ四千年くらいでもいくつか消滅している事になるな」
カールマーンは天文官時代に同僚達とそういった研究をしていた。
何万という星の正確な位置を照らし合わせて、装置の故障かそうでないか調査していくのは大変な作業だった。その辺の説明をしていたカールマーンはふと我に返った。
「あ、いかん。つい本題からそれてしまった」
後回しにしようとしていた事をいつのまにか話していた。
マーシャもシャールミンもそれについぷっと笑った。
「構いませんよ。なかなか楽しい話でした」
「すまんな。強引に話を戻すといつかは帝国も人の世も滅びるにせよ、余は自分が最後の皇帝になどなりたくはない。まだ我が帝国にも諸国にも安定していて欲しいのだ。そなたらも健康には気をつけよ」
親しみの沸いた皇帝に対してシャールミンもマーシャも心から頷いた。
「勿論。我が子が大きくなるまでは」「ええ」
カールマーンは一旦そこで装置を止めて、侍従長を呼び茶を持ってくるよう命じた。
「夕食はまだ宜しいのでしょうか?」
「もう少し重い話がある、まだよい」
「かしこまりました」
侍従長は頭を下げて退出していった。まだ話があるというのでシャールミンとマーシャは着席して続きを待った。




