第4話 バルアレス王国の事情②
一度離宮に戻ったエドヴァルドだったが、やはりスーリヤとの面会は許されず離宮を封鎖している騎士に追い払われ城に戻った。そして日が暮れると父に呼び出された。
その場にはギュスターヴとその妻やカトリーナ、アイラクリオ公らもいる。カトリーナの後ろには取り巻きの夫人たちもいてその中に興奮した様子のチャンテクレール夫人もいた。
「ハーティスが戻ってこない。先ほど戻って来たそこの夫人からお前が旧市街に置いて来たと聞いた所だ。何故そんな事をした」
ベルンハルトは詰問調で息子に尋ねた。
「父上、僕は置き去りになんかしていません」
エドヴァルドがそういうとカトリーナの取り巻きの四夫人が「まあ、嘘ばっかり」と口を扇で隠して囁く。エドヴァルドはその夫人たちをちらっと見てからもう一度同じ言葉を口にした。
「父上、置き去りになんかしていません。僕は嘘をついたりしません。彼がどうしても行きたいというから勝手にしろと言っただけです」
「それでハーティスが本当に行ってしまうとは思わなかったのか?」
「僕の知った事じゃありません。彼の小姓には僕より年上の少年達もいました」
エドヴァルドはフンとそっぽを向いた。
ベルンハルトは末っ子が珍しく反抗的な態度に出た事に意外に思った。
いつの間にか幼児だと思っていた末っ子が反抗期にさしかかっていたらしい。
「案内を買って出ておいて無責任じゃありませんか!」
チャンテクレール夫人の言葉にカトリーナが頷いた。
彼女のキンキン声にベルンハルトは眉をしかめて一度身震いする。
「父上、僕は一度断ったんです、でも無理にと連れ出されました。パラムンなら証明できる筈です。それよりこんな時間まで戻らないなら僕が探しに行きましょうか?それにその夫人だけなんで戻っているんですか?」
「衛兵が捜索に出たからお前はここにいろ。・・・だいたいお前をこんな時間に貧民街にやれるわけがないだろう。このご婦人は貧民街に入るのが怖くて逃げて来たらしい」
ギュスターヴは父の言葉を聞いて夫人を咎めるような目で見た。
「わたくしは状況を知らせねばと思ったのです。実際エドヴァルド様は何も報告されてませんでした」
非難の視線に晒された夫人はそう自分を弁護した。
カトリーナもそれに同調する。
「彼女が知らせてくれねばどこを探したらいいかもわからない所でした。違いますか?」
「ふむ、まあそうともいえるな。とりあえずパラムンを呼ぼう」
ベルンハルトは顎鬚をさすりつつカトリーナの言葉に同意したものかどうか考えるように言った。
◇◆◇
パラムンが呼び出されている間にハーティスも無事発見され、連れ戻されている最中であると伝令があった。難民達がお恵みをと取り囲んだ際に危機感を感じた小姓が剣を抜いて傷つけてしまい、怒った難民達に取り囲まれていた。さすがに王子を傷つけるのは不味いと顔役が宥めていたが難民達は囲んだまま彼らを返さなかった。
パラムンが来た時にちょうど二番目の報告があり詳細も明らかになってきた。
とりあえずハーティスは無事であるとの報告に一同胸を撫で下ろしていた。
「さてパラムン。何があったのか一言一句正確に俺に報告しろ」
パラムンは王の命令通り誇張を交えずそのまま報告したのでエドヴァルドがチャンテクレール夫人を雌鶏ババアと呼んだ事まで一同の前で発言してしまった。
それを聞いてギュスターヴはパラムンと同じように吹き出してしまう。
彼も母の取り巻きのキンキン声には参っているようだった。
その説明が終わるころにハーティスが戻って来て母親が抱きしめて無事を喜んだ。彼女はタブーク地方の有力な貴族の娘だが、内海側の民族や南方系の血も混じっている。ギュスターヴが現地に赴任した時に恋仲になって子供も出来て親たちも認めざるを得なかった。その代わりギュスターヴは第二夫人として純血派の貴族の娘を妻として迎えるよう母に命じられ、そちらの娘は今年出産予定である。
「さて、ハーティス。お前が無事で喜ばしく思う」
「は、はい。お爺様」
ハーティスは周囲の反対を押し切って冒険に出て家族や兵士達に心配をかけた事にさすがに反省していた。
だが、幼い少年には失う者など何もない貧しい民衆の気持ちはまだわからなかった。暴徒化すれば感情のままに少年の体を引き裂いてしまっていただろう。
「で、お前。俺の息子に何と言った?」
ベルンハルトは怖い目で孫を睨んだ。ハーティスは王に睨まれて言葉も無い。
さすがに格が違う。
「答えろ。エドヴァルドは俺の息子だ。お前は俺の息子を家臣だと思っているのか?」
「陛下、この子は嫡流ですよ」
カトリーナが義理の娘の代わりに孫息子を庇った。
ギュスターヴの第一夫人はクレールと言って身分も低いので控え目な性格をしている。後から嫁いだ純血派のアハルツィ公の娘の方が既に大きな態度をしていた。
「お前は黙っていろ」
ベルンハルトはカトリーナをぴしゃりと叱りつけてアイラクリオ公に目くばせをした。尚も反論しようとしていたカトリーナは父に手を引かれて後ろに下がった。
その様子に頷いてベルンハルトは言葉を続ける。
「ハーティス、よその国の風習も伝統も俺には二の次だ。エドがギュスターヴを慕うようにお前もエドを兄のように敬え。出来んのなら行儀見習いの為にどこかの神殿に入れる」
思いつくままに言ったベルンハルトだったが、言ってから今回の罰にもなるし、丁度いいかもなと本気で考え始めた。
慌てたのは母親のクレールである。
神殿に入れられた後、そのまま生涯出して貰えない事もあり得る。
「陛下、どうかお許しください。この子にはしっかり言い聞かせますから」
クレールが詫びるがベルンハルトは適当に相槌を打つだけだった。
彼にとって長男の息子は大事だが、自分の息子よりは優先しがたい。
「もう七つを越えたんだ。そろそろ社会の仕組みが分かってもいい年頃だ。ハーティスは将来王になるかもしれないし、逆に自分の弟が王になってその家臣になるかもしれん。ギュスターヴの子の出来があまりに悪ければエドヴァルドの家臣になる事も有りうる。一族を侮り、不和をもたらすようでは王家の害悪にしかならん」
バルアレス王国は貴族達の信望が厚かったエルニコア伯爵を旗頭として前身の王国を打倒した。他の大貴族の方が領地は大きく兵力もあったが、伯爵はその名声によって連合軍を組んで大貴族達を従えた。王家は今もエルニコア伯を名乗ってその名声を維持している。
単純な力だけなら王家を上回る大貴族はいくらもいる、故にベルンハルトは一族内で力を弱めるような王子は不要と考えていた。
「レヴァンとヴァフタンの争いはもっと早く俺が止めるべきだった。エドは一方的に無礼な態度を取られただけでその怒りはもっともだ。ギュスターヴ、息子を躾けろ。自分の子供を抑えられないようでは国民を統治する事は出来ない。そうだろう?クレール、連れていけ」
ベルンハルトは女達とハーティスを退出させてから改めて長男に話しかける。
「ハーティスの弟はまだ五歳だったか。ギュスターヴ」
「はい、父上」
「俺の後継者とするにはクレールが母親ではちと弱いな。アハルツィ公の娘にもっと子供を産ませろ。エドヴァルドも押し切られたとはいえ引き受けたのなら、ぶん殴ってでも言う事を聞かせろ。それでいいな、ペデラティス?」
アイラクリオ公ペデラティスは頷いた。アハルツィ公は純血派貴族筆頭と目される彼の盟友でギュスターヴを王位継承権第一位とした今ではその第一夫人の子が次の継承順位となる。
彼らにとってもハーティスよりそちらの子の方が都合がいい。
◇◆◇
その夜、ベルンハルトは紋章院を任せたクヴェモ公と酒を酌み交わし不出来な子供達を嘆いていた。
「どうも今時の若者は幼過ぎるな。エドにしても10歳だというのに。東方候ならその年にはもう摂政と争ってでも王になる気満々だった。野心が無さ過ぎる」
ハーティスを叱りつけたものの、エドヴァルドにも不満なベルンハルトだった。
長男ギュスターヴは健康を取り戻したといっても覇気がない。
その子ハーティスは幼いとはいえ考え無し過ぎる。
「我らが大君主と比較するのは可哀そうですよ。エドヴァルド様の場合はもともと家臣とするべく育てられたのでしょうに」
「まあな、だがあいつもやはり留学させるべきだったかもしれない」
「まだ間に合うでしょう」
クヴェモ公はこうなった以上ギュスターヴに一本化すべきでエドヴァルドは帝国にやった方が国家の安定に寄与すると考えていた。
この場合、留学は名目に過ぎず実質追放である。
「スーリヤが手放したがらない。子供は一人だけだし、引き離すのも可哀そうでなあ・・・」
「昨年からずっと体調を崩しておいでとか。どこかで静養して頂いた方がよろしいのでは?」
最近顔も見ていないが、スーリヤを手放したくないベルンハルトは眉をしかめる。
「そんなにスーリヤ達を追い出したいのか?」
「そういうわけでは御座いません。が、皆の幸福を願えばおのずとそうなります。カトリーナ様は陛下のお心がスーリヤ様にあることを知っています。しきりに私の妻に取り巻きのご夫人方が探りをいれてきているのです」
バルアレス王国の立地上、南方と東方の民族間で混血が増えている。
内海側のアルシア王国系も増えてクスタンスらが亡くなってからは残党はスーリヤを利用して純血派に巻き返しをしたいと願っていた。
両派閥共に危機感を抱いている。
「面倒な事だ。純血派だのなんだのいったってせいぜいここ20年くらいで盛り上がって来た派閥だ。そもそも前の王朝も我々も古代からの土着民族ではないというのに」
「ヴィクラマや中原の騒ぎでどうも各地で民族意識に火が付いてしまったようですな。カトリーナ様の母君の系譜も他国の血が混じっておりますので正直どうも納得しがたく思います。皆に系譜を旧帝国時代まで遡って見せてやりたいくらいです」
紋章院を預かるクヴェモ公としては純血派の一党にもかなり外国の血が混じっているので、外国系の継承権剥奪を主張することには首肯しかねる所だった。第一帝国期に帝国の侵入を阻んだエッセネ公の係累が主張するなまだしも大半は混血で何らかの外国の影響を受けている。
「連中は南方圏からの難民受け入れに反発を抱いているが、東方諸国会議の受け入れ枠拡大の議決には反対できんからせめて今のうちに権利を奪いたいんだろうさ」
「もっとも多くの難民を受け入れていらっしゃるのは東方候ご自身でありますしね。難民を受け入れて困窮する国もあれば東方候のように国力を倍増させる国もあり、今後はさらに受け入れ枠が増やされるとか・・・こうなってくると我が国も社会の変動は免れません」
「あいつ、あれだけ犠牲者を出してたくせに戦争中に近代化を果たして経済力を倍増させやがった。どんな魔術だまったく・・・。運河が完成して、もう20年前の約10倍の経済規模だとさ」
帝国貴族の中でも最大の人口と軍を抱えているアル・アシオン辺境伯領への流通量が一気に増えた為、完成した運河と新港は最大限に活用されていた。
「羨ましいことです。我が国でも難民達がもっと協力的に働いてくれればいいのですが」
「過酷な扱いをする領主が多いようだから望み薄だな、北へ東へと逃亡していく連中ばかり。うちもいっそ中央集権化してみるか」
「残念ですが、陛下には妖精王ほどの人望は御座いますまい。国が分裂するだけで御座います」
「言ったな、こいつめ」
最近はベルンハルトとクヴェモ公はこうして胸襟を開いて話し、飲み交わすようになっていた。
「申し訳御座いません。話を戻しましてカトリーナ様らはどうなさいますか」
「母親としては怖い女だが、妻としてはあれで可愛い女だ。『敵』がいなくなれば昔に戻るだろう」
双子の死を今も悼む者達がカトリーナの黒い噂を流しているが、彼女はベルンハルトにとっては幼馴染で最初の女だった。周囲が彼女を遠ざけるよう言えば言うほど意固地になって庇ってしまう。他人に対してはともかく、妻としては夫によく尽くしてくれているのだ。




