第3話 バルアレス王国の事情
ベルンハルトは毎年避けていた新年昇天祭にも顔を出し、シャールミンの仲介で娘とその夫イクリースにも会った。一発ぶん殴ってやろうとも思ったが、翠玉館はフランデアンの別荘でありシャールミンの侍女が興味津々で様子を伺っていたので出来なかった。
「俺は娘を取り戻す為なら、貴国と一戦交える覚悟だった。イクリース、お前にメーナセーラを守る為なら誰が相手でも戦う覚悟はあるのか」
「父が相手でも叔父であるアルシア王が相手でも、例え帝国が相手でも剣を以て、妻を守ります」
「フン。口だけじゃない事を期待する。メーナセーラ、お前に心細い思いをさせて悪かったな。もし、こいつがお前をないがしろにするような事があったらフランデアン王に頼れ。俺はもうお前を守ってやれない」
ベルンハルトはメーナセーラとイクリースの仲を許し、娘は勝手な行動を詫び、許しを貰えた事を感謝した。こうしてベルンハルトはクスタンスと子供達を全て失った。メーナセーラは一人の娘を生み、再びバルアレス王国と関わる事になるが、本人は生涯二度と母国の土を踏む事は出来なかった。
◇◆◇
翠玉館で娘に別れを告げた後、ベルンハルトはシャールミンに魔術評議会の管理下にある転移の塔まで見送られた。
「それでスーリヤ殿は?」
「あいつは面皰が出来たとかいって最近顔を会わせるのも嫌がられてる」
「はは、可愛い事じゃないか。彼女はまだ一人息子だけか、可哀そうに。いい医者を紹介しようか?」
「うるせい、余計なお世話だ。まったく人の家庭に口を突っ込みやがって。お前んとこはどうなってるんだ?」
そう返されるとシャールミンは少し顔が暗くなった。
「息子は二人出来たよ」
「娘はいないのか?」
「いない」
「男だけじゃ寂しいだろ。もう少し嫁さん貰って産ませたらどうなんだ?そろそろ若い妻が欲しくなる頃だろ」
多忙なシャールミンは帝都に来るたびに誘惑をしかけてくるご婦人達はいるが、一度も誘惑に屈した事はない。一方のベルンハルトは帝都に来た時くらいにしか遊びは出来ないので今回も少し遊んでから帰るつもりだった。
「マリアはまだ十分若いよ。もうそちらの家庭の問題には口を出さないから他国と諍いを起さないよう頼む」
「相手に言ってくれよ・・・。じゃあな、俺は帰国する。今度は南部で小会議をする時にでも会おう」
広い東方圏を三地方に分けて行う小会議の議題も東方諸国会議で事前に詰めている。全てに出席しなければならないシャールミンは多忙を極め、自国の事は大臣達に任せ始めていた。
◇◆◇
ベルンハルトが帰国してそれからようやくバルアレス王国の宮廷では新年祝いが行われた。しかしスーリヤはまた顔を見せなかったのでベルンハルトは離宮にまで見舞いに行ったが、寝台を囲う御簾を卸していて、顔を見せたがらなかった。
かなりきつい香が焚かれていてベルンハルトはその匂いに顔をしかめた。
「申し訳ありません、陛下。病が移るといけませんので」
「面皰だろう?大げさな」
「皮膚の伝染病かもしれません。顔を見せるのは許してください」
無理に顔を見ようとすれば、控えている侍女が非難の目で見るので仕方なくベルンハルトは離宮を後にした。
それから新年の祝いに集まった諸侯の中でアイラクリオ公だけを私室に呼び出した。
「メーナセーラ様の事は残念でした。改まって何か御用でしょうか」
「娘が余計な事をしでかさないよう躾けろ」
「はて・・・」
「『はて、何のことでしょうか』などと言ったら宮廷から追い出して家に帰すぞ。貴公を義理の父と思うからこそこれまで大目に見てやって来た。国境で無用な争いを起こした事は東方候にもバレていてカトリーナの為に俺が頭を下げて解決してきてやったんだ。もしこれ以上身内に不幸が起きれば、疑わしい奴は俺が自ら討伐して回る。ギュスターヴの子かエドヴァルドの妻に外国から姫を迎えてそいつの子に後を継がせる」
ベルンハルトも独自の調査でカトリーナがアルシア王国との対立で火に油を注いでいた事を確認している。女性には女性の集まりがあるので男性の密偵しか抱えていないベルンハルトはなかなか探れなかった。
「あれにそんな大それた事が出来るとは思えませんが、よく言い聞かせましょう」
「そうしろ。取り巻きのご婦人方にもな」
◇◆◇
さて、その頃エドヴァルドと言えばギュスターヴの子らと城下町を散策していた。ベルンハルトの末っ子であるエドヴァルドからすると長兄よりその子の方が年が近い。エドヴァルドはようやく今年10歳で、ギュスターヴの子ハーティスは7歳だった。
ギュスターヴ一家は領地のタブーク地方で暮らしているので、その子供達は王都が珍しく王都在住のエドヴァルドに道案内を要求した。大人たちは昼間は宮廷内で新年の退屈な儀式を開いていたり、夜も夜会で遅くまで飲み交わしているので子供達は暇を持て余していた。
ハーティスに王都の案内を頼まれた時、エドヴァルドは嫌がったが退屈していたパラムンが乗り気でエドヴァルドを無理に連れ出した。
バルアレスの王都エルニコアは防衛用に街中もかなりうねった道の作りで分かり辛い。貧民街の再開発も資金不足で中断されてしまって余計に酷くなっている。
地元人のエドヴァルドが案内しなければハーティスと小姓達では迷子になっていただろう。
いちおう大人として小姓の母であるチャンテクレール夫人とペルトロット夫人が着いていたが、彼女達も下町までは詳しくないし貴族の女性だけで街中を出歩く事は滅多に無い。
「ねえ、エドヴァルド。なんかあっちから臭いにおいが漂ってくるんだけど」
「向こうは旧市街だよ。貧民とか難民がたむろしてる」
「僕はあっちに行ってみたい」
ハーティスは貧民街に興味を持ってしまった。
彼の居住しているタブークの領都は歴史が浅い分、王都よりも管理しやすいように設計されて貧民が違法に住みつく場所も少なかった。
「向こうにまで行くと母上に叱られるんだ」
そこらの市民が王子を騙したり誘拐しても何の利益もないが、貧民や難民にはどんな理由があるか知れたものではない。
「お前と違って僕の母上は叱ったりしない。連れていけ」
「駄目だっていってるだろ」
高慢な物言いにエドヴァルドは反発心を抱く。
「僕は王子だぞ!駄目とはなんだ!」
僕も王子だよ、とエドヴァルドは言いたかったがハーティスと小姓達はエドヴァルドを家臣のように扱っている。
嫡男の家系であるギュスターヴの家ではもう王位継承路線は既定のものだと判断されていた。実際エドヴァルドに兄と争う気はないし、応援するような貴族もほとんどいないので間違いではないのだが、エドヴァルドは召使扱いされた事に腹が立った。
「兄上ならともかくお前に指図されるいわれはない」
はっきり拒絶されたハーティスは口をぱくぱくさせた。
彼は『お前』などと呼ばれた事は今まで一度も無い。怒りで言葉も出ないハーティスに変わってチャンテクレール夫人がキンキン声で喚き散らす。
「まっ!なんて口の利き方をするんでしょうか。スーリヤ様は日頃どんな教育をされていらっしゃるの!?物乞いヴァルカ人の為にカトリーナ様がどれだけ苦労していらっしゃるかご存じ!?ハーティス様はお兄様の子なのですからお兄様に接するように礼儀を払いなさい!!それとも帝国の学者の教えですか?やっぱり他国人は駄目ですわね!さあ、おっしゃい!喜んでハーティス様のご命令に従いますって」
エドヴァルドは途中から両手で耳を塞いでいたが、それでも甲高い声が頭に響き渡った。チャンテクレール夫人が言い終えるとエドヴァルドは改めて拒否する。
「煩い雌鶏ババア!帝国で仕立てた服を有難そうに着てるくせにギャアギャア喚くな!」
プッとパラムンが吹き出した。年若い小姓も何人か思わず吹いている少年がいた。
帝都の流行を半端に取り入れようとしてご婦人方の服装は子供達の素直な目にはかなり珍妙に映っている。体型も気候も合っていないのでチャンテクレール夫人はかなり汗だくになっていた。高温多湿なこの地域と乾燥した帝都の冬では着る物は違って当然だというのに無理をするからである。
「僕はもう帰る!行きたければ勝手に行け!」
エドヴァルドは一人で離宮に向かいすたすたと歩み出した。
最近スーリヤは顔も見せてくれず、彼の鬱屈した心はもう限界を迎えていた。
パラムンはエドヴァルドとハーティスをしばらく見比べて結局エドヴァルドに付いてその場を後にした。




