第2話 東方大陸諸国会議
新帝国歴1427年。
冬が来る直前に帝都では終古万年祭という収穫祭がある。
神々にその年の収穫を感謝し、奉納を行う儀式と様々な競技祭が同時に行われて各国から名士が集まる。
新年昇天祭と違って王や代理の出席は義務では無かったが、優れた魔導騎士や魔術師を抱えた国々は国力を示す場であるので有力国の王達は自国随一の戦士を参加させて競わせていた。
芸術祭も開かれていて芸術分野に秀でた国は弱小国であっても名声を得る事は出来た。皇帝や帝国貴族のお気に入りになり、後援を得られれば小国も侵略に怯えずに済む為、小国でもこの芸術祭は重要なイベントだった。
そして、各国の王や要人が一ヵ所に集まるとなるとこの際事務処理をまとめて片してしまいたいというのは当然の欲求だった。
現在の東方選帝侯であるフランデアン王が東方圏の大君主となってから、全国が集まる東方大陸諸国会議は四年に一度フランデアンで開かれているが、それでは緊急の問題対策が遅れる為、各国の代表者が集まる新年祭や地方ごとに小会議も行っていた。
ベルンハルトはいちいち皇帝に新年の祝賀に行くのを面倒がって毎年、代理でティーバ公を送っていたが今年は必ず来るように東方候から使いが来てしまったので仕方なく万年祭の時期から帝都入りしていた。自国の公邸は人で埋まっている為、滞在には中堅どころのホテルを利用している。
適当に自国民の出場選手を応援し、宿に戻って爪を切っていると侍従が来客を告げた。
「陛下、東方候がいらっしゃいました」
「通せ」
侍従に案内されてやってきた東方候がベルンハルトの部屋に入った時、まだベルンハルトは足の爪を切ってやすりをかけていた所だった。
「なんだ、その爪切りまだ使っていたのか」
「まあな。プリシラの見立ては間違っていなかった。20年も使う事になるとは思わなかったが」
ベルンハルトはふっと削りカスを飛ばしてから手ぬぐいで拭いて、軽く抱擁を交わす。
「久しぶりだな、ベルンハルト」
「マックスも」
シャールミンは毎年帝都に来ているがベルンハルトは滅多に寄らないのでこちらで会うのは久しぶりだった。
「お前があんまり会議に出てこないからだぞ」
「お前は毎年毎年よくやるなあ。俺は自分の国だけでも手一杯なのに八十ヶ国も面倒を見るとは」
「ああ、だからあまり手間をかけさせないでくれ」
「アルシアの事か。ま、かけてくれ」
ベルンハルトとシャールミンは護衛の騎士を部屋の外に待機させて二人だけで話す事にした。
「俺と二人で先に話したら何か含む所があるとアルシア王に疑われるんじゃないか?」
「逆の場合、お前は私を疑うか?」
「いんや、俺は自分の主張をするだけだ」
「では聞かせてくれ。バルアレスの兵士に襲撃されて焼き討ちにあった村もあるとか、通行中の商人が物資の徴発を受けたとかいう訴えもある。数万もの兵力を国境に集めたとかいう話で、警戒した帝国の軍団長が休暇中の軍団兵に駐屯基地への帰還を命じたようだ。わかっていると思うがバルアレスとアルシア王国の間には白の街道が縫うように走っている。彼らの警戒は当然の事だと思う」
人口百万を越える自由都市連盟の大都市ヴェッターハーンに近い場所で紛争が起きているので帝国軍の介入を招きかねない。自由都市とはいえ帝国海軍基地や東方行政長官が間借りしているのでほぼ帝国領のようなものだった。
「言っておくがこちらは被害者だ。弁明する気などないので事実を伝える。まず毎年恒例の騎士や従士達の交流試合の後に我が国の騎士が拘束されたまま帰還していない。それに俺の娘もだ。これは誘拐だ」
「なるほど、向こうの言い分は?」
「俺が妻と息子を殺したんだとさ。馬鹿馬鹿しい。どうせだいたい調べてほんとは知ってるんだろ?」
ベルンハルトは苛立たしそうにしているが、聞かれる事は予め分かっていたのでシャールミンが事前に危惧していたほど怒りを露わにはしていない。
「まあ、悪く思わないでくれ。周囲の証言や当事者の話の食い違いをひとつひとつ確認しなければ真実は見えてこないものだ。お前も省略しただろ?騎士は殺人の罪でアルシア王に逮捕されたのだとか」
「事故だ」
事前に調査しているならこれで通じる筈だとベルンハルトは短く告げた。
「もちろんそうだろう。双子の息子の事も残念に思う、お悔みを言わせてくれ」
「ああ。それでどう調停するつもりなんだ?」
「希望を聞かせてくれないか。本気で二国が戦争をすれば面倒な事になる。地元の領主が抱える数十人程度の小競り合いなら見逃してくれても、戦争状態になって帝国商人が被害を受けたら帝国軍の介入を防ぐことは出来ない。最悪二国とも帝国に叩き潰されるぞ」
「俺には気に入らない国と戦って娘を取り戻す自由も無いのか」
「残念ながら」
ベルンハルトは嘆く、自尊心の強い彼でもさすがに帝国と正面切って戦う事は出来ない。スパーニア戦役以来、帝国政府は昨今大きな争いになる前に介入を早める傾向があった。
簡単に脅しの聞く小国ならそれで引っ込むが、バルアレスもアルシア王国も中堅どころの国で動員される帝国軍の規模も大きくなる。一度動員令が出れば財政上の都合から帝国側も引けなくなるかもしれない。
「で、東方の大君主にあらせられましては我が国の為に帝国軍の介入を防いでくれる気は?」
「東方司令には軍団の集結はともかく軍を介入させる前に相談して欲しいと伝えた。しかしどうしても帝国軍が踏み込むと決めたら静観する。とても他の東方諸国の支持は得られない」
「ま、そうだろうな。うちとアルシア王家の家庭内の問題だ。こんなことならクスタンスを貰うんじゃなかった」
「それでどうする?」
「返すべきものを我が国へ返し、下衆な勘繰りをした事を謝罪し賠償金を払って貰う」
ベルンハルトはそれで軍を引くと約束した。
「焼き討ちの件は認めるのか?」
「もともと何の証拠も無く変な疑いをかけて、存在しないものを証明しろなどと滅茶苦茶な事を言ってきたアルシア王が悪い」
シャールミンはそれを肯定も否定もしなかった。
「騎士は返せるが、娘は返せないそうだ」
「何?もうアルシア王に会ってきたのか?」
「まあ、そういう事だ。お前は構わないんだろ?」
先ほどそう言質を取った。
「ちっ。娘を返せないなら力づくで返してもらうだけだ。それが結論なら話は終わりだ」
ベルンハルトは立ち上がって旧友に背を向けた。
「まあ、待て。メーナセーラ殿はもうアルシア王が嫁ぎ先を決めたから返せないのだそうだ」
「なんだと?あいつの所有権は俺のものだぞ、嫁ぎ先を決める権利は俺にある。誘拐した挙句、勝手な事を!」
ベルンハルトは拳を打ち合わせて大きな音を立てた。
「メーナセーラ殿はアルシア王の弟の子とめあわせるそうだ。もう妖精婚済みで撤回出来ないのだとか。変則的だが家柄には問題ない、従兄妹婚もよくあることだろう?」
ベルンハルトは壁を殴りつけようとして、辞めた。
それからまたシャールミンに向き直って苛立ちを露わにする。
「お前が俺の立場だった場合、そんな真似を許せるのか?」
「普通なら許せない。だが私の騎士を派遣してメーナセーラ殿に事情を聞いてみると彼女の意思である事が分かった」
「メーナセーラの?」
シャールミンは頷いて話を続ける。
「帝都にまで来て貰って私も話を直接聞いた。彼女は私に保護を依頼してきている。どうも自国ではお前の別の王妃に命を狙われていて、身の危険を感じていたようだ。それで従兄に相談するうち恋仲になったそうでな。頼れる母も兄も失って心細く思っている彼女を引き離して連れ戻させるのは少々哀れに思う。従兄殿も婚約者を心配して帝都に来ているが特に問題はない好青年に見えた。認めてやってはどうか」
メーナセーラはもう世界に頼る相手もいなくなって怯えていた所に救世主が現れたのだ。恋に落ちても仕方ないとシャールミンは同情し、仲人を買って出た。
「それでは俺が家庭を制御出来ていないと詰られているかのようだ」
「こんな問題に介入しなければならない私の立場も考えて、実際どうなのか教えて欲しい。お前はあちこちの女に手を出して問題を抱えているようだからな。スーリヤ殿とは相変わらずなのか?」
「双子の件は濡れ衣だ。だが、メーナセーラの夫にと考えていた相手の親からは辞退の話があった。どうもカトリーナ、第二王妃だが、あいつの父が裏で脅していたようでな。メーナセーラに子が出来たら王位を継がせるのも一案かと考えていたのがバレたらしい」
ベルンハルトはスーリヤの事は無視して、内情を告げた。
彼も婿にと考えていた相手に断られるとすぐには代わりの候補は見つけられなかった。自分の子孫と国の安泰を願うなら誰でもいいわけではない。
「友人として忠告するが、意地を張っても誰にとっても良い結果にはならないぞ」
「意地を通したお前がいうか」
「すまん」
シャールミンは素直に謝った。
彼の場合は当人同士が望んでいたし、既に戦争状態だったのだから意地を通す意味もあり今回の場合と比較するのに適当ではないが、下手に反論しても得られるものはない。
「被害者はこっちなんだ。国の面子もある。単に恋人が出来たから返せないといわれても引き下がれないぞ」
「東方諸国会議の議題に上げて、両国に引き下がるように議決を出すのは簡単だが、意味も無く恥をかかせるだけだ。それは避けたい」
「当然だ、そんな議決には従わない」
諸国に促されたからといって簡単に従っては王威が損なわれる。今後の統治に支障が出て国内騒乱の元だ。
「だろうな。と、なると帝国軍が介入しても誰も助けない。バルアレスの未来は破滅しかないぞ」
バルアレス王国が単独で帝国と戦う場合、敵は最新鋭の銃火器と大砲を備えた一個軍団一万とヴェッターハーンを守る帝国海軍海兵隊、傭兵団も加わってくる。
そして一ヶ月と経たないうちに東方軍がわらわらと集まって来てすぐに10万以上の大軍になる。
バルアレス王国が10万以上の兵力を動員するのは半年以上かかり、終結前に帝国軍がやってきて貴族達はすぐに裏切るだろう。
ベルンハルトもその未来図は避けたいが、納得しがたい。
苛立った声をあげる。
「何度もいうがこっちは一方的に濡れ衣をかけられているんだぞ!向こうに俺を納得させる代償を寄越させろ。それともカトリーナが、アイラクリオ公が俺の息子二人を奇跡的に同時に殺害せしめて、さらにメーナセーラの命を狙っていた証拠を出させろ。訴えた側が証明するべきだ」
シャールミンは頷いた。
「もっともな事だ。私もアルシア王にそういった。随分ごねて言い訳をしたが、何の証明も証拠も無い。しかし、メーナセーラ殿は欲しいという。今の状態で来年を迎えればアルシア側を非難する形で東方会議は決着を迎える事になる。お前が先に攻め入らなければ、だ」
だが、現実は既にバルアレス王国軍は嫌がらせ程度だが攻撃を開始している。
「向こうの方が大国なんだ。こちらが軍を起こしているのは当然だと理解して貰いたい」
「・・・そうだな。アルシア王国がそちらより裕福なのは内海側の国家であるという事が大きいと思う。バルアレスの場合、ヴェッターハーンの運河を通って輸出するのは大分通行料や関税が嵩むだろう」
運河を所有している帝国と自由都市連盟の両方から税を取られる。
最寄の内海側の国がアルシア王国であるバルアレス王国としてはどちらかを経由するしかないので困った位置関係にある。
「どうにかしてくれるってのか?」
「まあ、そういうことだ。今度の東方会議の議題で外海側で発展から取り残されている地域の税制面での優遇措置を議論する。その時、バルアレス王国からアルシア王国への輸出の際には関税を大幅に引き下げる事でアルシア王とは合意した。お前がそれで納得してくれれば騎士は返すし、メーナセーラ殿は正式に嫁ぐ事になる。それでどうだ?」
シャールミンは東方経済全体の均衡を取り全体の発展を促す議題の中に両国の問題解決案を紛れ込ませてベルンハルト達が恥をかかないよう考慮した案を出してきた。
「謝罪は?」
「無理をいわんでくれ。アルシア王国側は騎士が一人死んで村が焼き討ちを受けている」
「野盗か地方の小領主の小競り合いだろう。焼き討ちなんか指示してない」
ベルンハルトはしらばっくれた。
「騎士を返さないともっと多くの村を焼くという脅しもあったそうだが、まあいい。バルアレス王国からアルシア王国を経由しての輸出には他国にはない大幅な関税の削減が約束される。それでも嫌だというなら、これ以上手を差し伸べはしない」
いくら少年時代からの親友とはいえシャールミンにはここまでの譲歩が限度だった。
「娘に会ってから決める。会えないのなら受け入れない」
「分かった。翠玉館に滞在しているからいつでも来てくれ」
バルアレス王国は貴族の自治権が強く王権は弱かったが、アルシア王国では貴族の称号はほとんど名ばかりで土地を持たない貴族も多かった。
関税が減っても直接交易している貴族達に恩恵はあるが、ベルンハルト自身の資産に大した旨味は無い。
結局ベルンハルトは関税問題はさておいて娘と会い、彼女の幸福の為に自国から送り出す事を受け入れた。
◇◆◇
事前交渉が終わった後、1428年の東方大陸諸国会議で上記の確認が行われ諸王の前でアルシア王国とバルアレス王国の縁談と関係改善が表明された。
他に東方大陸諸国会議では外海側諸国から輸出する際の優遇措置と近年顕在化しつつある森林破壊問題が議題に上がった。バルアレス王国や大陸南東部の同盟市民連合諸都市にまたがって存在しているエルセイデ大森林にまで開発が広がっている。
第一帝国期に帝国軍の侵入を阻んだエルセイデ大森林の開発は何千年も自粛されていたが、近年は開発を行う国も増えて来た。
理由としては印刷機が発明されてしばらく経ち特許料も下がって来た為、東方各国でも導入されて大量印刷が可能になり、紙の需要が増した。
他にも製鉄所の建設、南方圏の難民流入などで土地や燃料の為に開発を始めた国が多い。森林の保全、植樹活動では他国の先を行くフランデアンが警笛を鳴らし今後の技術支援を行っていく事で各国と合意した。
他に問題となっているのは各地の人狩りだ。
行く当てのない南方圏からの難民や貧困者を人さらいが奴隷として売り飛ばしてしまう。奴隷売買の禁止はこれまでにも何度か提起されてきたが、今回も物別れに終わってしまい東方圏ではまだ人身売買が続いた・・・。
※終古万年祭
いわゆる収穫祭。
毎年秋の終わりから冬の初めにかけて行われる
※新年昇天祭
初代皇帝スクリーヴァが神々から地上の統治を委ねられた記念式。
その日を一月一日として、各国の王や帝国貴族が帝都に参集する。
※妖精婚
自由奔放で肉欲好きの妖精に因む。
肉欲と愛欲、本人同士の意思を優先した結婚の形。
上位の結婚観として神殿でお見合いして、婚姻の神エイラーシーオに誓う神前婚。他に父親同士の話し合い、お見合い、金品によって娘を買う形があるが、この妖精婚は現在の東方圏の人々にとって下から数えた方が早い低俗な結婚の形とされる。これより下は略奪婚や強姦によって子供が出来た場合の強制婚しかない。
モデルはカースト制のガンダルヴァ婚




