第51話 選帝侯の孫娘⑥
コンスタンツィアが帝都を出たのは新帝国歴1425年、それから約二年が経った。
帝都に戻る頃には三年が経過してしまう。
東方圏をぐるりと一周してそのまま帰路につく事になった。
転移陣の不調から陸路で極北東部のディシア王国に行き、そこから運河を遡ってフランデアンの東にあるアンガーティ王国へ行く。
道中には再びフランデアンのフィリップ王子が護衛につく事になった。
巡礼について来た護衛で生き残っていたのはエイヴェルだけで、他に侍女のヤドヴィカが漂流中に漁船に救われて保護されていた。残りは全滅だった。
その為、道中フィリップとフランデアン騎士達が護衛についてくれるのは渡りに船だったのだが・・・。
「ご不満そうね」
馬車の中でコンスタンツィアが機嫌の悪そうなフィリップに話しかける。
「不満などありません。自力で生還されて喜ばしく思っています」
「短い間に少しは背が伸びたみたいだけど、まだまだお子様なのね。そんなふくれっ面を隠しもしないで・・・かわいらしいこと」
彼らがぎすぎすしているのも理由がある。
以前、フィリップの視点ではちょっと肥満に見えた事を揶揄した件は謝罪して仲直りしている。仲直りしているのだが、再会した時にまたフィリップは口を滑らせてしまった。無事でよかったとか、心配しましたとか言えば良かったのだが、開口一番ちょっと痩せました?と聞いてしまった。
森と同盟市民連合内を半年近く彷徨いサバイバル生活を送っていたおかげでコンスタンツィア達はすっかり痩せて健康的な野生児然としていた。
バスターキン王国で歓待されて身なりを整え、健康を回復した後にフィリップがやって来たので、尚更以前と身体上の違いだけがくっきり際立っていた。
アンガーティ王国まで中原を突っ切れば早いのだが、途中にあるガヌ人民共和国は同盟市民連合と同じくらい王制批判を繰り広げて帝国駐屯軍は受け入れているとはいえ、少々危険な国なので迂回している。旧王族も反乱活動を頻繁に繰り返していて、山賊も多く巡礼者が通る道では無かった。
「貴女は相変わらず上から目線なのですね」
「年齢も背丈も経験も上ですもの。わたくしに他人を見下ろす気はなくとも、貴方が見上げてしまうのはどうしようもありませんわね」
コンスタンツィアがそういって腕を組むと豊満な胸が強調されてフィリップは気恥ずかしさから目を逸らした。それがまた彼を負けた気にさせる。
「コンスタンツィア殿、私がふてくされているように見えるというのなら貴女のいう通りなのでしょう。実際に不愉快なのですから。貴女が自力で生還したのに諸国では勝手に私が助け出した事になっている。帝国東方軍の司令官でさえそう思って歓迎して下さる」
「私が自力で生還したわけではなく、頼りになる友人達のおかげですから訂正してくださいね。そして帝国と東方の融和の為だと外務省がいうのですから貴方も受け入れて下さいな。実際貴方にここまで迎えに来て頂いてますし、他にも大勢の東方の人々が協力してくださったのですから」
嵐を生き延びた聖堂騎士が自分で巡礼者を保護したのだから、フィリップ達の努力は関係ないのだが、帝国の依頼で東方の有力者達が協力しあって助け出したという方が美談になるので、そう喧伝されてしまっていた。
話のネタとして最適だったのは東方の大君主の息子であるフィリップが自ら極東までやってきて陣頭指揮を取った事だ。話題にならないわけがない。
フィリップは学院を休学してまでダルムント方伯令嬢を捜索しに来て、帰り道もエスコートしている事になっている。
それは一面では事実だが、一面では違う。
単に転移陣の故障で帰れなくなってしまっているだけである。
早馬とイザスネストアスの使い魔から父であるフランデアン王が勝手な行動に激怒している事が伝わって来ていた。姫君を救い出す偉大な騎士王に憧れ、言いつけを破って勝手な行動をした結果が、この作られた英雄像という道化役だった。
「フランデアン王にはわたくしからもお礼を申し上げておきますから、いい加減に機嫌を直しなさいな」
姫君にフォローを申し出られてまたフィリップの誇りが傷つく。
不満気な顔からだんだん暗い顔になっていくフィリップの気を晴らすかのようにヴィターシャが嘆き声をあげた。
「フィリップさんはまだいいじゃないですか、結果はどうあれ婦女子を助けに来たことは事実で誇れる事です、違いますか?」
本当の評価ではなくとも。
「それはその通りですが・・・」
「私なんて途中からどうにかして同盟市民の街で筆記用具を買って記録をつけ始めたのに、今回の出来事を出版出来ないんですよ!」
ヴィターシャは苦労して得た現金の使途として選んだのは筆記用具の購入だった。
帰ったらこの体験を本にしようとしていたのだが、没収された。
「それはまたどうして?」
「そんなの知りませんよ!ただこんなもんはけしからん、と!」
ヴィターシャの憤りは激しい、自立への夢を取り上げられたに等しいのだ。
「政府にとっては共和主義者は蛮族と大差無いような野の獣でないと困るのね。ヴィターシャの記述の何処かに引っかかる所があったんでしょう。まあ、法務省の監察隊が出てきて取り締まられるよりはマシだと諦めなさい」
く、くやしーと泣くヴィターシャをコンスタンツィアは胸元に抱き寄せて慰めた。
「それでフィリップはどうするの?」
「どう、とは?」
「貴方くらい影響力のある人間がペラペラと自分は何もしていない、事実と違うとか言ったらわたくし達は帰国してから取り調べを受けてしまうかも。思想汚染調査って女性の場合は妊娠検査も含まれるのよ」
『マッサリアの災厄』の時も北方圏の人々は蛮族の血が混じった子を帝国兵に取り上げられて抹殺されてしまっていた。それは北方圏に住む帝国人で遭っても同じ対応だった。
「ですね。東方の人だって蛮族とかガヌなんとか共和国とやらと国境を接しているんでしょう?協力していくに越したことはないですよ」
ヴァネッサも同意し、フィリップも不承不承ながら頷いた。
「たとえ立派なお父様に並びたいという思いからでた行動であってもね」
フィリップは心を見透かしているかのようなコンスタンツィアの目がどうしても苦手になったが、長旅を同行して国へ帰り当初の予定と違ってコンスタンツィアの歓迎パーティを開き記者達も招いて作られた英雄像の通り振舞った。
◇◆◇
コンスタンツィアはフランデアンで噂の妖精王にも面会する事が出来た。
「難儀されたようだな」
「いえ、大した事はありませんでした。このくらいの事で王子殿下にまでお手間をおかけして申し訳ありませんでした」
自力で生還したわけだし、向こうが勝手に労力を費やしただけなのだが、一応礼は言った。
「貴殿が船で失った荷物は漂着物として回収されたものもあるようだ。沿岸諸国には返還させるよう働きかけるので安心して貰いたい」
海上交易が盛んになってから漂着物の取り扱いで揉める事が増えたので、帝国が万国法としてその扱いについては詳細に定めている。
「感謝します、陛下。魔力の込められた物もありますので取り扱いにご注意ください」
「心得た。帰りの便の護衛船が到着するまでゆっくり滞在して欲しい」
帰りは再び海賊に襲われないよう護衛部隊が帝国海軍から送られる事になっていた。
「でしたら、ひとつお願いが」
「何だろうか」
「妖精の民の宮殿に招いては頂けませんか?」
コンスタンツィアは妖精王が何千年も守り続けている妖精宮に一度行って見たかったのだが、観光気分で来られても困ると拒絶された。
「残念です。実は遭難中にある遺跡を発見しまして古代史に興味が沸いたものですから」
「遺跡?」
「ええ、陛下は生命の泉の女神エーゲリーエという方をご存じですか?」
「いいや?」
「では、医療の女神エイファーナについては?」
「あいにく知らぬ」
「森の女神ゲリアや、ファウナについては?」
「無論知っているが、それが何か?」
コンスタンツィアは妖精王の内面を探るように彼の瞳を見たが、フィリップとは違って心の奥底は見通せなかった。その固い感触にコンスタンツィアは早々に探るのを諦めた。
「いえ、たいした事ではありません。遺跡にあった文書ではエーゲリーエ神やエイファーナ神の特徴や業績がゲリアやファウナと似通っておりましたので」
「そうか。東方では泉の数、樹木の数だけ神がいる。多くは神喰らいの獣に喰われて消え去ってしまったがそれらの神のひとつであろう。伝える者がいなくなったのは残念な事だ」
「世界最古の国の主であり東方諸国を束ねる陛下ならご存じかと思いました」
「お国の政府とは昔の事より未来の事を考え、共に手を携えて行こうと話しがついている。だがどうしても古代の事を掘り下げたいというのならば、応じる用意はあるぞ」
どうもこれはでしゃばってしまったようだとコンスタンツィアは反省した。
古代の帝国が大地母神の恋敵である森の女神達を侮辱した事が、征服期において東方圏が意地でも最後まで戦い抜いた要因であるらしい。政府間の問題にただの巡礼者が口を挟めるべくもない。
「いえ、わたくしはただの興味本位です。学者でも政府の代表者でもありませんから旅の途中気になった事を知っていそうな方に問いかけてみただけです。失礼しました」
「ならばよい。帝都に比べて退屈かとは思うが、妻達に相手をさせよう。ゆるりと休まれていくがよい」
「ご厚情に感謝します」
厳格な妖精王と違って王妃は気さくな方で、旧知のセイラもやって来て無事を祝ってくれた。
◇◆◇
フランデアンを出発してからヴェッカーハーフェンまではフィリップとセイラも同行してそこで別れた。コンスタンツィアらは再び船に乗って帝国本土に帰還しようやく実家に戻った。
そこでコンスタンツィアは母が長くなった巡礼の旅の間に既に病死していた事、父が再婚していた事、長男も誕生していた事を知った。
「そう・・・そういう事だったのね。ようやく理解出来たわ、ヴァネッサ」




