第4話 皇家の第一皇子
ところ変わって大陸の北の果て、蛮族と境界線の争いを繰り広げる人類最北端の戦地ゴーラで商人皇子は北方方面軍の将軍と握手を交わしていた。
「良い取引が出来てよかった将軍」
「こちらこそ、レクサンデリ殿下」
この土地では指揮官といえども時折自ら剣を振るう事もあり高齢の将軍も未だ鍛え続け、逞しい体つきをしていた。それに比べて握手をした皇子はいまだ少年で、体格も貧弱だった。
孫のような年齢の相手と握手する時、握りつぶさないように力加減を気を付けた将軍だったが意外と強い力が返って来て配慮が無用だった事を悟る。
将軍は握手の後、皇子に着席を求め軽い酒宴を開いた。
まだ昼間だがゴーラの現地人はとにかく酒好きで客人が酔いつぶれなかった場合、もてなしが足りないとされて世間の笑いものとなる。
帝国軍も現地人の協力が欠かせない為、北方軍ではその風習につきあっていくうちにすっかりそれが当たり前になってしまっていた。
帝国人の将軍や軍高官達はまだ少年の皇子に酒を勧めるのを遠慮していたが、毛皮を着こんだある現地兵は頓着せず皇子に酒瓶を持って勧めにやってきた。
「皇子も一杯どうぞ」
「いや、私は・・・」
現地の風習も知らずに断ろうとする皇子に将軍が割って入った。
「ヤドリク殿!」
北方の猛者も歴戦の勇士である将軍の突然の怒声に驚く。
「な、なんだ?」
「レクサンデリ殿下にそんな安酒を振舞おうとするなど無礼ではないか!」
「無礼だと?この俺が自ら振舞おうとしているんだ。中身が何だ!」
「将軍、私は別に酒の良し悪しで断ろうとしたわけでは」
「黙らっしゃい!」
レクサンデリの発言を遮るかのように将軍が黙れといったのでどちらに対して言ったのかはわかりかねた。少々気色ばむヤドリクに対して将軍がにやりと口元を緩めて言葉を続けた。
「ヤドリク殿、私は貴方が12年のマクミラー酒を大事に隠し持っている事を知っているのですぞ」
「げ!何故それを!?」
レクサンデリはマクミラー酒が高価な蒸留酒であることは知っていたが、12年というと何のことかと思案しすぐに思い当たった。
「ああ、あの『災厄』が始まった年のか・・・貴重だな。まだ残っていたのか」
近くの兵士達もそれを聞いてこそこそと話し、揶揄した。
「サームのヤドリクともあろう男が、十数年もチビチビと大事に飲み続けるとは・・・」
「みみっちいなあ」
レクサンデリはサームのヤドリクの名に心当たりがあった。
北方圏で第二の部族を率いる強力な族長の名だった。
北方戦士達は小集団で蛮族と戦いに出撃して軍団基地にいない事が多く、彼はまだ紹介もされず初対面だったのだ。
「レクサンデリ殿下は帝国随一の娼館から女達を連れて来たというのに、ヤドリク殿は安酒で歓待ですか」
後ろに控えていたレクサンデリの付き人の女性が呆れた口調で放言した。
帝国の常識でも少しあり得ない無礼な発言だ。ヤドリクは帝国にとって重要な同盟者であり、将軍も最前線を任されている重要人物である。彼らと皇子の会話に口を挟むなど非常識だった。内容についてもいわずもがなである。
「おい、ジュリア。お前は黙っていろ」
「失礼しました」
レクサンデリは窘めたが、現地兵らはさほど気にしなかった。
それより娼婦が来ている事に喜んで酒宴も忘れてそそくさと出ていく者までいる。
レクサンデリにとってもジュリアは幼馴染で長年商用の旅に付き合ってくれている貴重な友人だったのでそれ以上厳しくは叱らなかった。
「呆れた連中だな」
「済みませんね、俺もちょっと出てきますが、これはお求めのマクミラーを取りに行くだけなんで勘違いしないで下さいよ」
そういってヤドリクも宴席を後にして出て行った。
レクサンデリは分かったと返事をして肩をすくめたが、見送るジュリアの目は白く、冷たくなる。
◇◆◇
しばらく後、レクサンデリは帝国兵ばかり残った酒席で盲目の女性が給仕してくれた茶を飲んで将軍と語り合っていた。
「各大陸を回って来たが、やはりここは特殊だな・・・」
この土地は何千年も蛮族と争い続ける激戦地であり、そこで暮らす人々も刹那的な生き方をしている。
平均寿命も酷く短い。
死ぬ前に、殺される前に、殺し、種を残す。
新帝国暦1412年に蛮族の大侵攻によって始まった大戦では北方圏の人口の三割近くが失われたと推測されている。
北方圏の中央地帯では子供を産む女性は貴重で大事にされ女性優位の母系社会となっている。夫婦関係は築かれず女性の方から気に入った男を呼び込んだり、夜這いに行って種を貰ってくる。
「南方圏も相当人口が減って内戦の真っ最中だった筈だが違うのか?」
給仕の女性を補助していた若い北方戦士が口を挟んだ。
「商売で行っただけだから平和な北岸地域しか回っていないんだ。昔とそう変わらないさ」
「なるほど。アルビッツィの事だからどうせ武器でも売り込みに行ったんだろう」
「そういうのはガドエレ家の仕事さ」
レクサンデリは別の皇家の名前を出した。レクサンデリの一門は主に金融事業を扱っていて裕福だが、ガドエレ家は商業に特化している。
「『死の商人』だな」
「そう、そしていうなれば私は『命の商人』さ」
レクサンデリは北方軍団と軍人用生命保険、退役後の医療保険の契約にやってきた。娼婦を連れて来たのはついでである。軍団基地に向かう大規模な商隊と見ると勝手についてくる連中なので最初から契約し病気持ちを除外して連れて来た。
帝国の軍務省に打診した所、軍団予算内で小規模に実験的にやるなら勝手にしろとの事なので彼は自ら軍団長に面会を求めてやってきたのだった。
若い戦士は興味が無いのか鼻でふっと笑う。また主人が軽く見られた事にジュリアが憤っているのがレクサンデリにも伝わった。帝国には北方戦士の協力が必要なのでどうも足元を見られている気がする。
気遣いに長けた将軍が給仕の女性に声をかけた。
「有難うペレスヴェータ。後は私がやる、君は自分の天幕に下がるといい。イーヴァル、送って差し上げろ」
「言われずとも」
ペレスヴェータと呼ばれた盲目の女性は一礼して、コローネの羽根で出来たかのような黒いマントを翻し、宙に浮かんで飛び去って行った。
介護を拒否された形のイーヴァルは走ってそれを追いかけていく。
「介助は無用に見えるが・・・」
レクサンデリは二人の様子を眺めて将軍に話しかけた。
「将来皇帝を目指すのなら彼らと険悪になってはいけませんよ」
「気が早いな。将軍は」
「14歳で大陸各地に商用の旅に出ている殿下ほどではありませんよ。アルビッツィ家の家訓は有名でしたが、本当にまだ10代の少年に商隊を率いさせているとは」
レクサンデリは保険の契約に来るついでに軍との契約で物資の輸送も引き受けていた。さらに兵士達の銀行口座も開いている。
「平民の兵士達まで銀行に口座を持てる世の中になるとは随分世の中の変化が早いものですね」
「貯金せず使い果たして路頭に迷う退役兵が多いようだからな。まずは長期間軍務について収入が安定している兵士達になら門戸を開いてもいいと思った」
「もしや父君のお考えではなく殿下の?」
「そうだ。退役後に路頭に迷ったり、後遺症でまともな職に付けず有り金を使い果たす者も多い。我々は彼らの手助けをしたい」
交渉のうちにただの子供ではないと分かって来ていた将軍だがまさか自ら提案して実証しに来たとは思わなかった。
「今後はどちらに赴かれる予定ですか?」
「旅は終わりだ。帝都に戻ってマグナウラ院に入る。後継ぎとして認められる額は稼いだからな」