第39話 ヴァネッサ・フィー・ベルチオ②
「ああ、酷い。酷いわ、こんなのって無いわ!」
『生命の泉』の女神とやらの遺跡を出た夜、コンスタンツィアが風呂敷を紐解いて突然大声をあげて泣き出した。
「な、何があったんです?」
ヴィターシャが驚いてコンスタンツィアに問うた。彼女がこんなに取り乱しているのは未だかつて見た事が無い。岸壁に囲まれた浜辺にいた時でもこうも錯乱してはいなかった。
「見てよ、これ!本が、エッセネ公の古代文書が!!」
砂のようになっている。本の原型は部分的にしか留めていない。
コンスタンツィアが触れると完全に砂になって吹き飛んで行った。
「ああ、あんまりだわ!せっかく持ち出したのに!!」
飛び去った砂に手を伸ばし、嘆くコンスタンツィアをヴィターシャが慰めた。
「たぶん、遺跡に何か魔術的な制限かかかっていたのではないでしょうか。もともと四千年も綺麗な状態で残っていた方がおかしいです」
「・・・そう、そうね。貴方の言う通りだわ。となると、持ち出すには本をあの場で写本するしかないわね・・・。紙とペンを何処かで買いましょう!!」
『いや、何言ってんだ、アンタ。ちょっと待ってくれ』とヴァネッサは危うく突っ込む所だった。
「え、入手出来たら引き返すつもりですか?」
ヴァネッサが突っ込みを入れる前にヴィターシャが同様の事を別の言葉で言い換えた。
「四千年前の原資料よ?人類の至宝なのよ?」
「いやいやいや、そんなの帰国してから調査団に任せればいいじゃないですか」
そうそう、ヴァネッサは内心声援を送る。父親にはのんびり旅してくれば報酬を出すといわれたが、予期せず十分に時間は稼げた。今はもう巡礼を止めて帝都に帰りたい。
「調査団?・・・ねえ、ヴィターシャ。もし貴女があの遺跡の第一発見者だと発表して調査を主導して研究成果を世に出せば貴方の願いは叶うのよ?せっかく自分が発見したものを他人に委ねてしまうの?」
「え・・・あ、そうですね・・・」
あ、これは不味い。説得されてしまうとヴァネッサは慌てた。
コンスタンツィアは既に最高位の貴族であるからして名声にはまったく興味が無く、成果は全てヴィターシャに譲る前提で話をしている。
「ねえ、コンスタンツィア様?私、早くおうちに帰りたいんですの。でも・・・一人じゃ生きて帰れる気がしません。お願いですから一緒に帝都に帰りましょう?」
ヴァネッサはせいぜい哀れ気に振舞って早期帰国を促した。
彼女の責任感に訴えれば簡単に落とせるとヴァネッサは踏んだ。
「え、あ、うん。そうね・・・でも」
それでもまだコンスタンツィアは逡巡している。
「ねえ、ヴィターシャ。現地の人の協力なしに遺跡の捜索なんて無理でしょ?あんなおっかない魔獣もうろついてた所に人を送ったって犠牲者が出るだけだと思わない?」
「・・・それは確かに、そう何度も続けて幸運が訪れるとは思えませんね」
ヴィターシャもヴァネッサの言葉を受け入れて二人でコンスタンツィアに遺跡を諦めて帰国を促した。二人がかりで説得するとコンスタンツィアも我に返って明日はまた北上する事を約束してくれたが・・・二人ともコンスタンツィアの意外な一面に呆気にとられる晩だった。
夜、二人はコンスタンツィアに先に寝るよう促し焚火の番をしていたがこの出来事を思い返して二人笑いあう。
「意外だったわね。常に優雅で冷静なコンスタンツィア様にもこんな一面があったなんて」
「でも分かるような気がしますね。ダルムント方伯家の所蔵品をあの年で全て読み尽くしてる時点で普通じゃないですよ」
「それもそっか」
◇◆◇
それから何日も沿岸部沿いに北上し続けたが、聖域なのかやはり人が踏み込んでいる気配がない。時折、コンスタンツィアが魔術で上空に飛び上がったがあまりに背の高い木々が並んでいて邪魔をされる。とりあえず近くにクンデルネビュア山脈らしき山々は見えず、沿岸部からはそれほど離れていない。
「御免なさいね、わたくしがもっと飛行の魔術に習熟していたらいいのですけれど」
コンスタンツィアが謝ってくれたが他の二人は飛行魔術は使う事すら出来ないのでコンスタンツィアを責めたりはしなかった。上空から見れば街のある位置くらいは分かっただろうが、上空のマナは地上よりも希薄な箇所があったり、風に吹かれて魔術の制御が難しく熟練の魔術師でも補助用の魔術装具を使う。
コンスタンツィアも上空まで飛んで制御が困難になった場合落下死が確実なので危険は冒せなかった。
「コンスタンツィア様ならそのうち慣れますよ。杖も無しに使ってる事の方が驚きです」
ヴィターシャが慰め、ヴァネッサも頷く。
「杖・・・というか収束具と発動体なら時間があればつくれると思うけど、今は無理ね」
「そんなものまで作れるんですか!?」
「作った事はないけれど、エッセネ公の文書に載っていたから時間があれば試してみたいわね。それにしてもなんて広大な森かしら。帝国本土にはたぶんこんな森は無いわね」
世界樹が存在したという東方大陸ならではの大森林だった。その代わり帝国や西方圏に比べて鉱物資源には恵まれていない。
「ところで猛獣とか魔獣の類はいませんでしたか?」
「木々に遮られて上空から発見するのは難しいわね」
ああ、それはそうだと納得する。
今の所危険な生物には出くわしていない。だが、夜になると獣がうろついている気配がする。ヴァネッサだけでは恐ろしくて精神が参っていただろうが、今は頼りになる人がいるので大人しくついて行っている。
だが、ある日の夜狼の声が聞こえた。そして子供が叫ぶ声も。
彼女達は毎日朝早く出発して、正午にはキャンプに向いた見晴らしの良い高台か水場を探し、日没前には食事を終えて眠る。寝床の周囲は魔術で覆って周囲の地形に溶け込ませて偽装していた。
彼女達の寝床近くの崖から見下ろした下の方に現地の少女達が槍と弓、松明を持って狼と対峙していた。噛みつかれて引きずられている少女もいる。既に狼にのしかかられて動かなくなった者も。
「コンスタンツィア様・・・助けてあげないと」
「でもどうやって?わたくしだって助けてあげたいけど武器なんて持ってないし、魔術じゃ届かないし」
殺傷能力のある魔術を行使するにはマナを集めるのに時間がかかるうえ、触媒も無い。
「でも、見捨てちゃうんですか?」
ヴァネッサーの非難するような声をヴィターシャが咎める。
「こら、ヴァネッサ。貴女にだってどうにもできないでしょ?私達はただの巡礼者なんだから」
彼女達は戦士でも何でもない。まだ大人にもなりきれていない少女達。
襲われている子供達と大差はなく、彼女達と違って武器も持たない。