第38話 選帝侯の孫娘⑤
「これ・・・凄いわ。古代の女神の遺跡よ」
コンスタンツィア達が発見したのは森の中にある古代の遺跡で人気は無かった。遺跡には女神に捧げる為と思われる祭壇や舞台があった。
そして地下に書庫を発見した。
そこには古代の統治者の日記や農業書、植物、女神への供物の内容の記録、取引記録などが収められていた。
コンスタンツィアはしばらく膨大な本の数々に圧倒されていたが、一冊手に取って地下から上がって遺跡の中央にある泉に戻った。
「はぁ、そうですかぁ。それよりコンスタンツィア様も入りませんか?」
ヴィターシャとヴァネッサは寝巻を脱いで遺跡内の泉で泳いで汗を流していた。
蒸し暑かったので森の泉の冷たさが気持ちよく海の水でべたべたしていた肌もすっきりしてきた。
「どちらの女神様でしょうか、感謝を捧げたいところですね」
「エーゲリーエとあったわ。聞いた事ある?」
コンスタンツィアは供物の記録から誰宛ての物なのかを確認していた。
「さあ」
二人とも聞いた事はなかった。
何万という神がいるので地元のマイナーな神かもしれない。
「帝都の万神殿なら記録があるかもしれませんね」
コンスタンツィアは持ち出した本を読みながら自分も泉に入って行ったが、読んでいた本で女神の正体が判明した。
「『生命の泉』の女神ですって、ということはこの泉がご神体みたいなものね。入ってしまって良かったのかしら」
「生命の泉の女神っていうとゲリア様と同じですね。水の女神様は慈悲深いし大丈夫じゃないでしょうか」
「あー、沁みるー沁みますー。ご利益はなんですか?」
ヴァネッサは森の中を通過する際に枝や葉で体をあちこち切っていて、痛そうに抑えながら聞いた。
「怪我を治し、病を癒すんですって。どう?」
「そういわれてみるとなんだか段々癒えて痛みが無くなって来た気がします」
問い返されたヴァネッサは指で傷口に触れてみたが痛みが消えている。
「そんなに即効性があったら、地元の人だけでなく各地から人が集まって来るでしょう・・・ってそうか。あの蜘蛛がいるから近づけないのかも?」
「たぶん土地の聖域なのね。書物を見ればこの地域で食べられる植物も分かると思うし、帝都の植物園で見た事がある果物もあったから何とか生きていけそうね」
コンスタンツィアはヴァネッサを追いかける間に甘酸っぱい味がする果実を発見しているが、後回しにしていた。
「ただ・・・、いつまでもここにいるってわけにはいかないですよね。人が近づけない聖域なら」
「そうね・・・どうしたい?救助を待つ?それとも自力で移動する?」
「今は考えられないです・・・眠りたい」
傷が癒えたヴァネッサは気が抜けてうとうとし始めていた。
「なら上がって火を起こしましょう。病を癒す泉で風邪を引いたら目も当てられないわ」
コンスタンツィアは苦笑して泉から上がり魔術で枝に火をつけようとしたら巨大な白蜘蛛が気配を察知したのかやってきてコンスタンツィアを威嚇した。
すぐに魔術を止めたので、実際に攻撃はしてこなかったがしばらく複数の目でコンスタンツィアを見つめていた。コンスタンツィアがじっとして敵意が無い事を示すと、警戒を解いてこちらに来いというような素振りでコンスタンツィア達を祭壇近くまで誘った。
そこはすすの残滓で黒ずんでいたので、昔の人はここで火を焚いていたようだ。
「ああ、御免なさい。ここは神聖な森で火を使える場所が決まっていたのね」
コンスタンツィアは素直に謝ってそこで火を起こしてみると今度は白蜘蛛も攻撃の構えは取らず無関心になってまた森の奥へ姿を消していった。
◇◆◇
しばらく火で温まったが、まだ次の行動が決まっていない。
「乾きはしましたが、着替えがしたい所ですね」
「何か無いか捜索してみましょう。宝物庫があるかもしれないし」
「私、少し眠っても構いませんか・・・?」
ヴァネッサは体力の限界のようで柔らかい土の上ですーすー眠り始めた。
「とりあえず何か食べ物を探しましょう。私も限界です」
「そうね、少し戻って果物を取って来ましょうか」
二人は先ほど見かけた森の中の果実をいくつか取ってまた戻って来た。
「こっちはプランね。帝国でも品種改良されて栽培されているけど普通に食べられるわ。こっちはシバンカ、燻して出た煙は神事に使われるの。錯乱するから焚火に投じないように」
コンスタンツィアは知っている物と知らないものを選り分けた。救助を待つのも兼ねて彼女達は一週間ほど遺跡で食料を集めた。頻繁に雷雨があったが、その時は地下書庫に退避した。服は無かったがサンダルや布はあったので、いったん煙で燻して虫を追い払ってから適当に布を体に巻き付けた。
「古代人みたいな恰好になっちゃいましたね」
「透け透けの寝間着姿よりはいいけど、早くまともな服が着たいです・・・」
ヴィターシャが苦笑し、またヴァネッサが愚痴を言う。しかし大分余裕が出来て彼女達もたくましくなってきていた。ヴィターシャは思い切って蛙を捕まえて捌いてしまった。コンスタンツィアだけ拒否して果物だけで通しているがそろそろ栄養も偏る。
「風化もせず残っていた事からすると、この布もたぶんエーゲリーエ様が使っていた神器ね。空も飛べるような特殊な力があれば良かったのに残念だわ」
「あら、コンスタンツィア様が神々が残して下さったものに愚痴なんて珍しい」
母の代理巡礼だったのでコンスタンツィアもそれほど敬虔では無かったが、今は神の慈悲に感謝している。とはいえ、余裕が出てくるともっともっと、と望んでしまう。
「そうね、懺悔しなきゃね」
◇◆◇
書庫で発見した医学書、農学書に治療に使える植物や油が取れるものなど、生活に役立てられる様々な本が見つかった。イラスト付きで解説されている本なので彼女達にも理解出来る。
「食料以外にも鎮痛剤に石鹸、解熱薬。消炎剤、軟膏・・・いろいろ揃ったわ。どうにか旅も出来そう」
ヴァネッサの体調も回復している。
「やっぱり、行きます?」
どうにか生活出来る状況なのでヴィターシャは及び腰だった。いっぽうヴァネッサは出発に乗り気だった。
「いつあの蜘蛛さんの気が変わるかわかりませんし、行きましょう!」
「・・・そうね。遺跡のあちこちに人骨も散らばっているし・・・。あの白蜘蛛がやったものね。鎧の残骸もあるし」
蜘蛛が捕らえたのであろう騎士姿の遺骨も鎧と共に残っていた。白蜘蛛が作ったらしき繭の中にはまだ人が入ってるものもあるかもしれない・・・。
「私達は彼の非常食かもしれませんしね」
「非常食なら巣にお持ち帰りされて繭になってるわよ。きっと女神の守護者なのね。遺跡にある日記でもそんな神獣がいるって書かれているから」
コンスタンツィアは十分な食料の余裕が出来ると書庫に入り浸りになっていた。
「っていうと少なくとも五千年は生きている事になりますよ!あの蜘蛛さん!!」
「不滅の神を守るんだから近しい存在なんじゃないかしら。もうちょっと書庫の書物を読む時間があればいいんだけど・・・」
「実はコンスタンツィア様はあんまり出発に乗り気じゃないとか?」
ヴィターシャの視点ではコンスタンツィアが知識欲に駆られてこの遺跡に残りたがっているように見えた。
「え、うん。そうね・・・。少なくとも当面命の危険はありませんからね」
「本ならまたいつか戻って来て読めますよ」
ヴァネッサは早く帝都に戻りたい心境になっているので、どうにかしてコンスタンツィアを動かそうとしていた。これまでとは逆である。
「うう・・・御免なさい。あと一日、あと一日だけお願い。いまいい所なの!」
「いったい何を読んでいるんです?」
コンスタンツィアが読んでいたのはここの統治者の日記だった。
「今読んでいるのは最後のエッセネ女公の記録でね!知っているかしら?帝国議会で使われている木槌って彼女が贈ったものなのよ。使用されるようになったのは何千年も経った後ですけれどね。驚きだわ。あの木槌って世界樹から削りだしたものなんですって!それもここのエーゲリーエという神はなんとシレッジェンカーマと恋のさや当てをしていた神ご本人!森の泉の女神で神代の終わりを導いてしまった事件の当事者なのよ!でも名前は変わって現代に伝わっているのね。この日記によると大神の妹であるシレッジェンカーマが神々の時代を終わらせた黒幕ってあるわ。おかしいわよね?それはアイラクーンディアの筈だわ!!エーゲリーエ神に嫉妬から毒を盛ったとか言いがかりよ!ちょっと酷くない?毒を盛ったのはアイラクーンディアでしょ?違う?そのせいで神々は争いあって自滅して、神喰らいの獣に襲われてかなり数を減らしてしまったあたりは読んだ事のある聖典の記録と同じね。あ、でもいくらか神々は天上界に返らずに獣から姿をくらます手段を開発したらしいの。自らの体を石化させたり、分裂させて神格を薄めて追跡から逃れようとしたり、人間に転生したり・・・ねえ、どう思う?じゃあ全ての神々が天上界に帰ったわけじゃなく、今も地上にいるのかしら?これ、凄いのよ?古代では獣人達もわたくし達の先祖と共に群れをつくって仲良く暮らしていたのだとか、つまりわたくし達にも獣人の血が入っているかもしれないってこと?どう思う?ねえ?」
「え、ええ?」
話が長くてヴィターシャ達は途中から呆気に取られていた。
「個人的な日記にわざわざ嘘を書くとは思えないし。最後の女公がそう信じていたのか確かね。となるとシレッジェンカーマも・・・?いえ、これはやっぱり一方的だわ。三角関係なんて誰の責任とは言い難いもの。殿方が浮気せずしっかりしていれば済む話よ、違う?」
「カーマ神は確か何百もの愛神がいたと記憶していますが・・・」
三角関係どころではない。
「愛の女神ですもの!そこらの神より愛が溢れていても仕方なくない?」
あまり敬虔でなくとも、どうも他所の地方の人間に地元の神が悪し様に書かれる事には不満であるらしいコンスタンツィアだった。
「わ、分かりましたから。分かりましたから・・・。いちおう帝国は全ての民族の守護神を尊重するっていう方針ですよね。今更蒸し返しても仕方ないでしょう?」
「そうですよ。日記くらい何を書こうが好きにさせてやればいいんです」
ヴィターシャがコンスタンツィアを宥めた。
ヴァネッサも同調する。
二人揃ってコンスタンツィアを宥める側に回るのは珍しいので、コンスタンツィアもふと我に返った。
「あ、あら御免なさい。そうよね。勝手に遺跡を暴いてしまっているだけですし。でもこんなもの誰かに発見されて世に出されても困るし・・・一冊くらい持ち帰ってもいいわよね?」
コンスタンツィアはいそいそと出発用の荷物を入れた包みに本を混ぜ込んだ。
二人は呆れていたが、一冊くらいは今更大した荷物の追加にはならないともう止めはしなかった。
彼女達は余った布切れを風呂敷にして集めた食料や薬草、雑貨を詰め込んでいる。
三人とも風呂敷を背中にしょった姿で再び沿岸部沿いに北上を再開した。




