第16話 小さな幸せ
新帝国暦1432年も秋になり、急速な再建工事で帝都の街並みも元に戻りつつある。火災対策として家屋の密集を避け、大きな公園も増えた。
政府による土地の買収も行われて道路も拡張された。
近年のマナ濃度の懸念もあり、魔術頼みでない消火設備の増設も行われた。
エドヴァルドは生け捕りをしていないので賞金稼ぎのランキングでは下の下だが、狩った数ではかなりの数になった。
上位には賞金稼ぎに鞍替えした傭兵団がいる。
大規模に組織的に活動しているので個人でやっているエドヴァルドには勝ち目がない。
それでも記者が期待の新人として取材に来たり、目を付けられる事も増えた。
外国の王子だと判明するとされに目立ってしまう。そうなると伴侶のコンスタンツィアにも視線が向く。髪の色を変えているとはいえ、一際目立つ女性に代わりはなかった。
「くそっ、なんだこいつ」
ある雑誌を見たエドヴァルドは毒づいた。
コンスタンツィアを亡き方伯家の長女だと名乗る狂人だとかいう記事があった。
「まあ、仕方ないわよ。ほんとのことだし」
「でも取材には他人の空似ですっていったじゃないか」
「だからこの記事にも疑問符がついてるじゃない」
コンスタンツィアはゴシップ好きの三流誌の嫌がらせだと気に留めなかったが、冷やかしに来る者もいて心労が嵩んだ。体調を崩したのか辛そうにしていることもある。
「コニー。どうしたんだ?どこか悪いんじゃないのか?今度こそ病院に行こう」
保険にも入っていないので避けていたが、もう我慢出来なくなってエドヴァルドはコンスタンツィアを強引にでも病院に連れて行こうとした。
「もう、心配性ね。じゃあ教えてあげるけど、実は妊娠したみたいなの」
「え?」
「わたし達の子供が出来たのよ」
エドヴァルドは安心して、胸から大きく息を吐きだし、次いで抱きしめようとしたが、抱いていいのかどうか躊躇った。
「大丈夫よ」
コンスタンツィアの方からそっと抱き着いて背中をぽんぽんと叩き、安心させた。
「なあ、本当にこのままでいいのか?」
「なんのこと?」
「自分の名誉や財産を取り戻さなくて。仕事も無くなっちゃったじゃないか」
お店に冷やかしが来るせいでコンスタンツィアは申し訳ないが・・・とクビになってしまった。
「どうせしばらくは働けなかったから丁度いいわ。それに内職も斡旋して貰えたし」
パン屋の主人が代わりにと内職を斡旋してくれて、さらにノエムがコーマガイエン慈善事業財団から仕事を貰って来てくれた。
赤子向けの服とか、コンスタンツィアが得意な編み物で多少はお金を貰える。
エドヴァルドは彼女にこんな暮らしをさせてしまうのが心苦しい。
子供が出来たなら尚更だ。
帝国市民ではない彼らは出産の補助金も貰えない。
市民であれば向こう数年は仕事をしなくても子育てに専念できる。
「あの男と対決するのは駄目よ、エド。もしわたし達が余計な事をいえば貴方の将来も故郷も滅茶苦茶にされてしまう。何も言わない限り、向こうも藪蛇をつついたりしないわ」
方伯の孫娘を名乗らない限り、二人は少なくとも結婚生活を続けられる。
それより多くを望まない限り、これ以上不幸になる事はない。
もしコンスタンツィアが公に名乗り出れば実の父に対して、皇帝の右腕に対して権力闘争を吹っ掛ける事になる。冷静に考えれば勝ち目はない戦いだ。
あっさりしているコンスタンツィアと違いエドヴァルドは難しい顔を続けたままだった。
「ねえ、考えてもみて。わたしのような境遇の女なんて父親の意思で自由を奪われて一生を過ごすのが大半。貴方の国なんて特にそうでしょう?でもわたしは財産だの地位や名誉に拘らなければ自由が得られるの。皆が何を代償に支払っても得られない幸せが今、ここにあるのよ」
コンスタンツィアはそっとエドヴァルドに自分のお腹を触らせた。
確かに恋愛結婚など普通はあり得ない家柄、君が幸せなら、とエドヴァルドも納得した。
◇◆◇
妊娠してからはエドヴァルドも家にいる事が増えた。
『下町のコンスタンツィア』を一目拝んでやろうという冷やかしから逃げ、引っ越した事で安らぎも得られた。
初めての妊娠とはいえこれまで出産同盟でさんざん奉仕活動をしていたコンスタンツィアの方が落ち着いていて、エドヴァルドは彼女を心配して賞金稼ぎはしばらく休業していた。ある程度貯金も出来たし、悪目立ちは避けたい。
万年祭の闘技大会に出場して賞金を稼げるので無理に犯罪者を追う必要も無い。
警察が凶悪犯罪者組織に踏み込む際に応援を求める事はあったが、他の仕事は避けてコンスタンツィアの内職を手伝った。
「ねえ、エド。子供の名前は何にしようか?エッセネ公の後継ぎになるんだから地元の名前の方がいいわよね?」
エドヴァルドは前に約束しているように側室を娶る気は一切無い。
地元に帰っても近隣有力貴族から嫁を貰う気は無かったので、コンスタンツィアとの間に出来た子がエッセネ公家を継ぐ事になる。
「そうだなあ・・・女の子だったらシュヴェリーンはそんなに不自然な名前じゃないからいいと思う」
親や祖母から名前を貰う事は帝国でもバルアレス王国でもよくある事なのでコンスタンツィアのミドルネームをそのままつけようかとエドヴァルドは考えた。
「男の子は?」
「うーん、すぐには思いつかないな」
エドヴァルドは方伯家にもバルアレス王家の男性にも好感情が無いので先祖の名前から付けるのは嫌がった。
「じゃあ、一緒に考えましょう。せっかくだから地元の英雄の名前とか歴史が知りたいわ」
男の子が生まれても女の子が生まれてもいいように二人はエッセネ地方の歴史書を取り寄せて、いくつもの命名リストを作った。
◇◆◇
「そういえば、前に西方候とかヴァッシュヴェインから勧誘を受けたんだが、何で彼らは俺を高く買っているんだろう?」
エドヴァルドは腕に自信はあるが、世間の一流といわれるような武人に比べれば大した実績は無い。小さな活躍は続けて来たが大きな戦果は特にない。
「フィリップ王子を倒した事とか、シクストゥス殿に推挙されている事があるんじゃないかしら。それにエドは小さい頃にわたしを捜索に自ら出向いたり、自力で留学費用を支払ってまで帝国に来たから親帝国派の王子だと思われているの」
帝国とのパワーバランスを考慮して、従属国の力を引き抜かれるのを避けたい人、そして帝国内でも親帝国派の王子を厚遇して直接交易による利益や後に選帝選挙で東方候から支持を得たい者がいるのだとコンスタンツィアは指摘する。
「後はやっぱりヴェッターハーンかしらね」
「ヴェッターハーン?あの自由都市の?それが何か関係あるのか?」
「そりゃあ東方圏と南方圏を結ぶ運河にある大都市ですもの。隣接しているのはアルシア王国とバルアレス王国だけだから重要な地域だわ」
運河を挟んで長大な橋が架かり、東側と西側に別れるが合わせて人口百万人。
東方圏行政府と南方圏行政府、帝国海軍基地もある要衝だった。
「わたくしはあなたがお兄様個人とは仲がいいって知ってるけれど、何も知らない人からみれば将来あなたが国王になる可能性も残されてるから懇意にしておきたいってことよ」
「迷惑な話だなあ」
「もしわたしが方伯の娘だと身分を明らかにして貴方と結婚したことを表明した場合、どうしたって国王に推挙する声が上がるわ。それは困るわよね?」
「うん、困る。でもコニーが望むなら俺は何もかも叩き潰す覚悟はあるよ」
帝国で最も古く高貴な家柄の娘を辺境国家のさらに辺境地方の領主が娶るのでは具合が悪い、とバルアレス王国内における反純血派勢力が一気に盛り上がる事は必定だった。エドヴァルドはコンスタンツィアの為ならば幼少時に自分を庇ってくれた兄と戦う事も視野に入れなければならない。
「ふふ、ありがと。でもいいの。そんなこと望んでないから。あなたと同じ気持ちよ」
二人とも家族との骨肉の争いを始める事より、小さな幸せを選んだ。
自分の為に争う必要を感じなかった。
相手の為を思っても逆に苦痛を与える事になる。
自分の立場を思い起こし、ようやくエドヴァルドもコンスタンツィアが戦いを避けた事に納得した。
あと数年耐えればエドヴァルドには帝国騎士として十分な報酬と名誉が約束される。
コンスタンツィアは栄えある帝国騎士夫人として尊重される事になる。
彼女を知る人はその時、あれっと思うだろう。
『下町のコンスタンツィア』だの『狂女』だのと罵っていた連中に目にものを見せてやる。短絡的な性格ながらも第四王子として幼い頃から耐え忍び続けて来たエドヴァルドだ。帝国騎士としてこれまで誰も見た事が無いような戦功を立ててやる、あともう少しだ、今に見ていろとエドヴァルドは時を待った。




