番外編 皇帝と最高評議長
「陛下、最高評議長がお目覚めになっているそうです」
カールマーンのもとへ宮廷魔術師が報告にやってきた。
「ん?だからどうした」
カールマーンの返事に宮廷魔術師は困惑する。
彼は昔の話だが、皇帝が最高評議長が目覚めたら会いたいと言っていたと聞いている。宮廷魔術師は恐る恐るそれを伝えた。
「ああ、そういえばそんな話もしたな。どれ、顔を見に行ってみるか」
「わざわざ陛下自ら?」
「さすがに300歳を越えた最高評議長を連れて来い、とはいわん」
カールマーンは最高評議長の元へ赴く道中、昔何故会おうと思ったのか思い出そうとしたが忘れてしまっていた。どうにも頭にもやがかかったように記憶がぼやけている。
「ゾルタン、用件を覚えているか?」
「いえ、わたくしめにはお話しくださいませんでした」
長年仕えている侍従長は皇帝のななめ後ろを歩きながら返事をした。
「サビニウス」
「存じません」
常に皇帝の側で警護している親衛隊長の記憶にも無かった。
「ヴォイチェフ」
「存じません」
近衛騎士長も短く答えた。
「うーむ、困ったな。まあ物見遊山でもよいか」
カールマーンの言葉にサビニウスは僅かばかり呆れたが、顔には出さなかった。
「お待ちください、陛下」
「どうした」
皇帝の側に控えていた紋章官が口を挟む。
彼は紋章院から派遣され、その業務は何千何万といる帝国貴族や外国の王侯貴族の紋章などからあれは何処の誰でどんな由来の紋章でどういう対応をすべきかを皇帝に助言する役割である。普段の皇帝の業務の補助もしており、書記としてついていた。
「その日の記録が御座います。1409年5月の事でした。カレリア殿が陛下をご訪問なさり、その後小さな地震が御座いました。陛下は総裁をお呼びになられておりました」
「ふむ、そうだったか・・・。どんな話をしていたかな」
「わたしはそこまでは・・・。申し訳ありません」
紋章官は謝罪したが、さすがに皆古すぎて思い出せなかった。
ただひとり親衛隊長だけがその日の事を告げられてわずかながら思い出していた。
「陛下は副評議長殿から新しい宮廷魔術師について報告を受けておいででした」
「おう、さすがはサビニウス。他には?」
「それ以上は覚えておりません」
サビニウスは謝罪したが、カールマーンはよいよいと取りなした。
「うーむ、確かイザスネストアスの奴が余の宮廷魔術師になるのを拒否して宮廷を去ったせいだったか。それでレスクオスが後任の人選をしていたな・・・。で、ああ、そうか。死霊魔術師共のせいで魔術評議会の混乱が長くなかなか決まらなかったのだな」
次から次へと連想していってカールマーンは次第に記憶を取り戻していった。
そして完全に思い出す前に最高評議長室まで辿り着く。
先行していた宮廷魔術師が取り次ぐ筈だが、なかなか出てこない。
「少し中を見てきて下さい」
ヴォイチェフとサビニウスはカールマーンの護衛がある為、紋章官を先に入らせた。
◇◆◇
少し待った後に紋章官が出てきて皆を招き入れた。
中に入ると神器の力で生命力を供給されて生きながらえている最高評議長リグリア・イグナーツ・マリアの姿がある。その神器は椅子のような形をしていて、そこに彼女は寝かされていた。
「お初にお目にかかります皇帝陛下。といってももう目は見えないのですけれどね」
高齢のリグリアは魔術によってほぼ常に凍結状態であったが、その前から既に目は衰えていて盲目だった。魔術師としても既に高齢過ぎた彼女は神代の魔術の再現という魔術評議会の目的は部下達に任せて、最後の望みである歴史の行く末を知る為に時折目覚めるだけであった。
「貴重な寿命を無駄に使わせてすまないな、リグリア」
「いえいえ、数十年に一度何が起こったのか聞くのが私に残された唯一の楽しみですから」
老魔女と親しく話しながら近年の歴史を教えてやるカールマーンだったが、護衛役のサビニウスとヴォイチェフに油断は無い。
リグリアには特別に多くの神器が貸し与えられているので、その気になれば皇帝も攻撃出来る、周囲も彼女の部下ばかりの賢者の学院である。
親衛隊長はその証として紫の盾を持ち、あらゆる魔術を跳ね返す。
近衛騎士長は皇帝の剣として最高の武器を与えられる。
二人は高齢でもリグリアを警戒して控えていた。
「時にリグリア」
「なんでしょう」
ここ数十年の歴史を語っていたカールマーンだが不意に口調を変えた。
「シャフナザロフのことだ。最後にそなたが奴と死霊魔術部門の処分を決めたと聞く」
「はい、先帝にもご迷惑をおかけしました」
「奴の、いや死霊魔術部門のこれまでの研究記録はどうした?」
「焼却処分するよう指示しました」
リグリアの答えは簡潔でしっかりした返事だった。
歳の割にははきはきしている。
「死霊魔術の目的は旧都やツェレス島の亡者をきれいさっぱり処分する事だろう。良かったのか?それに神代の魔術の再現をする為に必要だからあの部門があったのではないのか」
「あの者のように邪悪な術に魅入られてしまうならかえって害悪となりますから、処分は仕方ありませんでした」
「なるほど、しかし全ての研究とはいかなかったようだな。シャフナザロフが残した獣人調教術は世間に出回っているようだぞ。軍でも蛮族から情報を吐かせたりするのに使っているようだ。巷でも魔獣の調教に使われているとか」
「死霊魔術とは直接関係ないと判断されたのでしょう」
目の見えないリグリアは命令する事しかできず、末端で何が行われているか把握する事は困難である。
「ふむ、それは仕方あるまい。だが、我が帝国は魔獣の類を使役することはない。闘技場で見世物として扱う事くらいは許すが労働力にもしない。これは帝国の国是だ。この分では本当に処分が徹底されたかどうか怪しいな」
「再度、命じておきましょう」
「そうせよ。ギィエロも聞いたな?もし命令を違えれば評議会への予算配分を停止し、魔術を決して使えぬエゼキエルの牢獄に入れる」
「承知致しました」
カールマーンは納得したわけではないがとりあえず初めて老魔女に会った事に満足した。
「時に皇帝陛下」
「何かな?」
リグリアの方からも皇帝に質問があった。
「コンスタンツィアはどうしているかご存じありませんか?」
「ん?方伯家のか?近々結婚するそうだぞ」
「あれまあ。教えてくれれば良かったのに。私からもお祝いを伝えてやってください」
「承知した」
リグリアは安心して再び長い眠りについた。




